第7話 炭火の赤く永く輝くように

それから10年が経った。


僕は、修士課程を修了して、地元の企業に就職した。玲は、そのまま中学・高校に進み、県下の大学に入った。


中学にあがる頃には玲にも嫌われてしまうだろうか、と不安に思っていたものの、何ら問題もなく玲と付き合い続けた。


僕はすっかり30を越え、玲も成人した。玲が成人したタイミングで正式に結婚した。


学生結婚は嫌だろうなと思い、玲が大学を卒業するまで待つつもりだったが、そのあたり玲は全く気にしていないようで、いきおいそのまま結婚してしまった。


*


両親とひとみさんの計らいだろう、正月最後の夜、僕の実家には僕ら2人だけがいた。玲と話し合って、もう一度、あのときと同じように炭火焼きをしようと決めた。10年前に使った道具はだいたい全部そのまま残っていた。準備は楽だった。


あのときと何も変わらない。ああ、免許を取った玲が、スーパーまでの運転をしてくれた。


「そんなに難しいことだとは思わないんだけどなあ」


「人には向き不向きがあるんだよ」


未だに僕はペーパードライバーのままだ。


*


10年前と同じように、僕は玄関先で炭火焼きの準備をする。


10年のあいだにこの近くにも何軒かの建物が作られた。一軒家やアパートなど。まあ、"近く"と言っても100mは離れている。やはりここは田舎だ。


玄関の扉が開く。玲が食材を持って出てきた。玲の外見はあまり変わっていない。さほど背も伸びなかった。でも、僕はそんな玲を大好きなままだった。10年経ってもなんら変わりない。


「ありがとう。なんか手伝うことある?」


「んー、あと2往復くらいだからいいよ。たっくんは火の番してて」


「承知」


*


炭の火が落ちるまで、僕らは並んで座って外を眺めていた。


玲の頬は僕の左肩に載せられている。僕は玲の髪を撫でる。


「玲」


なんとなく名前を呼ぶ。


「たっくん」


名前が返ってくる。


「10年経っても変わらないなあ」


あきれたように玲は言う。


「すこし僕は甘えんぼになった気がする」


「それはあるね。あの頃は私の方が甘えんぼだったかな」


「『ババ抜きでー勝ったー、ババ抜きでー勝ったー』」


「……そんなこともありましたね」


「あれは本当に悔しかった」


「あれほど完勝したことはない」


悔しいので玲の肩を強く抱き寄せる。


「いろいろ思い出しちゃうな」


「僕も思い出すよ。玲はあの頃からかわいかった」


「なかなか私の気持ちに気付いてくれなかったくせに」


「悪かったよ。妹みたいに思ってたんだ」


「お兄ちゃんみたいに思う気持ちは今でも少しあるけどね」


「インモラルだ」


「お兄ちゃん」


「インモラルだ」


七輪の火が落ちてきた。さきほどまで上がっていた炎は落ち着いて、炭が爆ぜる音だけがときおり響く。


「玲が好きだ」


「んんふふふ」


だからそんな変な声で俺の告白を受け取るな。


「もう10年も経ったんだな」


「そうだね……、私あのころ小学生だったんだ」


「微妙に僕を傷つける言葉を言うな」


「たっくんはロリコン」


「直接に僕を傷つける言葉を言うな」


「たっくんがロリコンだったから私はいまここに居る」


「……評価が難しい言葉を言うな」


思えば、玲にはずっと負けっぱなしな気がする。


そうやって感傷に浸っていたのに、玲ががんがんと頭を僕の肩にぶつけてくる。


「なに! なんだよ」


「嬉しさがありあまって」


「変なやつだなお前は。知ってるけど」


「10の歳の差なんて、大したことないんだよね。そんな夫婦、たくさんいるんだもん」


僕の言葉を無視して玲はつぶやく。何か大事なことを言おうとしてるなと分かったから、玲の手を握ってやる。握り返された手から玲の温もりが伝わってくる。


「私もたっくんが好き」


手に少し力を込めて、知ってるよ、と伝える。


「ここに引っ越してきて、初めてたっくんと会ったときから好きだった」


「えっ……、ちょっと、それ初めて聞いた」


「……初めて言った。抱っこしてくれたら続きを言います」


「甘えんぼさんめ」


「んん」


膝の上に乗ってくる玲を抱きしめる。


「最初はね、お兄ちゃんだったんだよ。お父さんみたいに思ってたかも」


玲の髪を撫でて返事とする。


「でも私と遊んでくれて、私のこと大事にしてくれて、とっても嬉しかった」


玲の言葉は少しずつ震えていく。さえぎるべきではないと思い、ただ玲の髪を撫でる。


「勉強を教えてくれたのも嬉しかった。一緒にゲームしたのも楽しかった。さつきさんもおじちゃんも私に優しかった。たっくんが好きだった」


次はお前の番だぞ、というふうに、僕の胸に顔をうずめたまま玲は頭を左右に動かす。


「玲、僕も同じだよ。初めて玲と会ったときから好きだったかと言われたら、ちょっと自信がないけど……、それに、僕は正直、玲を妹だと思ってた」


それでいいから続けろともぞもぞする。


「ごめんな、ほんとに、玲が僕のこと好きだなんて気付いてなかった。……妹みたいなものだし、玲は好きだったけど、小学生の玲を好きになっちゃいけないと考えてたようにも思う」


パッと玲が顔を上げる。


「やっぱりロリコンだったか!」


だからこいつは。本音で返そう。


「玲だから好きになったんです」


「ん……」


雑魚め。


「10年前にここで告白してくれたとき、とっても嬉しかった」


「ん……」


僕もほとほと雑魚だ。


「あー、そうだそうだ」


玲が不吉にニタニタしている。


「そしてその夜にもうたっくんは私に手を出した」


「やめなさい。ごめんなさい。やめてください」


「やっぱりロリコンじゃないか」


「玲だからです」


「んんふふふ」


お前これ言われたいだけじゃないのか。


*


火は落ち着いてきたようだ。じりじりと炭が熱せられていく小さな音だけが聞こえる。


「……周りの人たちから、ロリコンだこいつって顔で見られたことは何度もある」


これは僕も初めて玲に告げることだ。


「そうだったか……」


玲の顔が曇る。


「こっちに戻ってきてから、玲と付き合ってることは別に隠してなかったんだ。ひとみさんから許可ももらってたわけだし」


「……」


「まあ、それは茶化されるよな、新卒の男が、中学3年生と付き合ってるんだもんな」


「……ごめん」


いかん、思った以上にダメージを与えてしまったか……? 玲、そんな顔するな、お前の好きな言葉をオチにしてやるから。うなだれる玲の頬を両手でつかむ。親指で顔を撫でる。


「最後まで聞いてほしいな」


「ううんむ」


変な声を出しつつ、ようやく玲は僕の目を見てくれる。


「そんなやつらの目線なんて、全く気にしたことなかったよ」


玲の目を見つめて、本音を告げる。


「だって玲が好きだったから」


「んああ……」


これは完勝したな。玲に完全に勝ったのなんていつぶりだろうか。


玲は額を僕の胸に置いてつぶやく。


「なんだよー、たっくんがロリコン呼ばわりされてないか、けっこう悩んでたのに……」


「え……、そうだったの……?」


「たっくんのばーか、たっくんはばか」


「……ごめん」


「……いいよ」


玲が顔を上げる。……涙目じゃないか。玲の髪を撫でて、いつものくせでキスをする。


「私は、たっくんのことまだいろいろ知らないな」


「僕も、玲のことまだまだいろいろ知らないみたいだ」


それからしばらく玲と抱き合っていた。


*


腕に抱いた玲の体温が心地よい。降りしきる雪のせいであたりは静寂に包まれている。


おっと、七輪の炭も、もう音を立ててない。そう気付くと、お腹が空いていることも思い出す。


「玲」


ぽんぽんと背中を叩く。


「反省会は終わりにするか。ここからはパーティナイトだ」


「いよっしゃ」


そう言って玲は顔を上げるが、もう無邪気なだけの笑顔ではない。憂いを帯びた口元から、すこし無理をしていることが察せられた。


でも、きっとすぐに心から笑ってくれるだろう。玲、僕はお前の持ち前の明るさが大好きなんだ。


「玲はさざえの肝を食べられるようになっただろうか」


僕から体を離す玲をからかってやる。


「よし、リベンジだね。私が大人になったことを証明してやろう」


玲はそう答えつつ、自分の椅子に戻って取り皿と箸を構える。まだ何も焼いてないよ。


「言うじゃないか。ではさざえから参りましょうか」


「望むところ」


七輪の底をのぞき込むとすべての炭が赤く熱せられていた。


*


町も、僕も、玲も、静かに変化していく。


たぶん、それでいいんだ。


ただ僕は、玲を愛し続けよう。


この炭火の赤く永く輝くように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

炭火の赤く永く輝くように @yamakazura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ