第6話 子供のままの玲と、大人に近づく玲と

久々の炭火焼きをすっかり堪能した。


和牛もよかったし、さざえの肝もよかったし、それ以外も全部よかった。折り畳みの椅子にもたれて、僕は、缶に残ったビールをちびちび飲んでいた。


いつの間にか雪が降りはじめていた。


食材を焼いた香りはすでに霧散し、雪がもたらすこの地域の冬の匂いだけが漂っていた。


空になった焼き網の下で、火の落ちた炭が、赤く、かんかんと光っていた。玲は、椅子に座ったまま前かがみになって、その赤をじっと見つめていた。焼き網を七輪から取り外してやる。玲は、ちらりと僕を見たが、よりクリアになった七輪の底にすぐに眼差しを戻した。


玲の一心な横顔を僕は見つめる。


その顔が感じているであろう炭火の温かみを思う。その目が捉えているであろう炭火の輝きを思う。それから、外の世界に降り積もっていく雪を眺める。


ここで炭火焼きをしていたころの父は、こんな気持ちで僕を眺めていたのだろうか。


そういう父性を感じそうになったが、ふたたび玲の横顔を見て、不意に心臓が高鳴る。


炭火に、ほの明るく照らされる玲の横顔は、美しかった。


父のような気持ちになっていた、あるいは兄のような気持ちになっていた。しかし、やはりこの子は、僕の家系と離れた女の子だった。


今の僕の玲を愛おしく思う気持ちは、父とか兄とかの存在としては説明できない。


でもだめだ。


玲のことは好きだけど、この気持ちは、妹に向かう愛情として扱わなければならないんだ。


玲に気付かれないように静かにため息をつく。


……いや、わかってるよ。


自分の気持ちに嘘をつくな。気付かないようにしてきただけだ。


僕は玲が大好きだ。女の子として。


玲は、妹でいてほしかった。理性的には。


玲と、ずっと一緒にいたい。感情的には。


玲と七輪の炎を眺めつつビールを飲んでいるうちに、これまで考えないようにしてきた出来事が脳裏に浮かんでくる。


「んふふ」「んふふ」両親が笑う。


「玲はたっくんのこと大好きみたいだから、むしろ注意してね」ひとみさんが言う。


「今日一日、玲は僕の彼女みたいなものだ」「えっ!?」玲が驚く。


僕は目をつむる。口元がゆがんでしまう。もしかしてバレバレでした? なんて間抜けなんだ。


*


ときおり炭が弾ける音以外には静寂。その静寂の中、僕は玲の横顔を見つめていた。


ふと我に返り、手に持っていた缶ビールを足元に置く。カンと音がして玲も我に返ったようだった。


目を見開くと、何回か瞬きをして、それから僕の顔に目線を注ぐ。その目を見返してやる。微笑んでしまう。玲も微笑む。


「雪が降ってきたね」


そう言うと、玲は振り返る。


「あ、気付かなかった」


玲はしばらく空から降る雪を眺めていた。


僕は、僕の玲に対する気持ちをどう扱うべきか考えていた。やはり、玲が妹のような存在であることに変わりはない。だけど、僕がこの子のことを心から愛していることも変わりなかった。


僕が椅子にもたれてそのようなことを考えているあいだ、玲はずっと外の様子を眺めていた。玲の頭越しに、玲の口から漏れた息が白く空中に消えていくのが見える。


ややあって、玲がゆっくりと振り向く。いつも見ている玲の顔なのに、なぜこんなにも嬉しく思うのだろう。


玲は、座ったままずりずりと折り畳み椅子を動かし、僕の横に来る。玲の髪を撫でる。玲はこてんと僕の体に頭をつける。その頭は僕の左肩にも届かず、脇の下のあたりに耳がついている。そのまま左手で玲の頭を撫で続ける。空いた右手で玲の頬を撫でたくなったが、力を込めて押しとどめる。しばらくそのまま、2人で外の様子を眺める。


僕の鼓動はどうしようもなく速い。


やっぱり玲が好きだ。


10歳下? 小学生? そんなことは関係ない、玲が好きだ。


……しかし、関係ないとは言ったが、もちろん関係ないはずなどない。僕が玲を好きであることは分かった。でもこの気持ちは、少なくとも今は、押し留めなくてはならない。少なくとも、玲が成人するまでは。


長いな。


ため息をつかないようにするのが精いっぱいだった。僕は、この気持ちに対してどう向き合えばいいのだろう……?


*


5,6分はそうしていたと思う。


そのあいだ、玲の頭を撫で続け、玲の口から立ち上る白い息を見ていた。


玲は、外の様子を眺めたまま、ふいに僕に問いかける。


「ねえ、たっくん」


「なに?」


「たっくんは私のこと、好き?」


思いがけない問いに息が止まる。


「今日、嬉しかったし楽しかった。やっぱりたっくんは私のこと大事にしてくれるし、たっくんと過ごすのはとっても楽しい」


それから俯いてつぶやく。


「私は、たっくんのこと大好き」


玲の言葉が頭に響く。


最初に生じた感情は、ただただ、嬉しいという気持ちだった。そのあとに、申し訳ないという気持ちが沸いてくる。


玲が、玲の方からそう言ってくれたのだ。もう分かる。玲も、僕を"兄"として見ているんじゃない。1人の男と見て好きだと言ってくれたんだ。もう迷うことはない。迷えやしない。


「玲」


「……はい」


玲は、僕の体に頭を付けたまま答える。


「僕も、玲のことが大好きだ」


「んんふふふ」


大事なこと言ったのにそんな変な声で喜ぶな。


「ごめん、玲。こういうのは僕の方から言うべきだったな」


「まあ、たっくんの体に耳つけてて、たっくんがすっごいどきどきしてるのがわかったから言ったのもある」


んん、こいつは。でも、くそう、玲のそういうところが好きなんだ。


「こういうのは男の人から言わないとダメなんだよ?」


「面目ない」


玲の両頬を両手で包む。


「ん……」


玲は両目をつむる。


冷たいかも知れない。でも玲の頬は暖かい。親指で玲の頬を撫でる。


玲の顔、小さいなあ。親指が眉根のあたりまで届く。そのまま親指を使って玲の頬を揉む。やわらかい。そうしているうちに、玲が薄目をあける。僕は親指の動きを止める。玲が、瞼を開いて僕の目を見つめる。うるんだ瞳に、七輪から上がる火花の光が反射する。


「玲」


思わずつぶやく。


「たっくん」


いいのか? と玲に問いそうになった。やめておこう。


いいのか? と自分に問った。いいに決まっている。


「玲」


小さく名を呼ぶ。


「うん」


「目をつむって」


「はい」


「僕も玲のことが大好きです」


「んんふふふふ」


僕は玲にキスをする。


*


七輪の炭がパチと弾けた。

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