第2話 後編
不運にも異世界に迷い込み真夜中の『きさらぎ駅』に降り立った若い女性の後ろ姿を追うことになったのは、わたしの恐ろしい運命と言えまいか。女性は相変わらず携帯電話を操作しながら深夜の線路を歩き続け、ときおり誰かと通話しているようだが内容までは分からぬ。『きさらぎ駅』から歩き始めて一時間以上経過した。わたしは寒さ、睡魔と戦いながら神をも恐れぬ好奇心により女性の後をついていく。しばらくすると遠くから太鼓を鳴らす奇怪な音と、鈴のような音がして来た。思わず時計を見ると(午前一時五十七分)を指していた。このような時間に奇妙なことになったと思い女性を見ると彼女にも聞こえているようでぎょっとしたように立ち止まってしまった。その音はさながら這い寄る混沌の哄笑かクトゥルフの呼び声のように聞こえ、わたしは身震いした。さらに奇怪なことに女性とわたしの間に突然人影が現れ女性に何か言っているようだったが、暗闇に立っているその姿は片足だけの爺さんに見えた。そして怪しげな爺さんはこつ然と姿を消して再び暗黒に包まれ、相変わらず不気味な太鼓と鈴のような音はやまずむしろ少しずつ近づいて来ているように感じた。これが(午前二時十分)頃だったと思う。いったい片足だけのあの爺さんは何者か、電車にひかれて亡くなった老人の亡霊が冥界から現れたのだろうか。
女性はさらに足を早めた。とにかく一刻も早く家に帰りたい一心であろうが、果たして元の世界に戻れるのか、わたしも巻き添えで異世界に飛ばされてしまうのではないかと恐怖にかられた。しかしもはや後戻りは出来ぬ状況なっていてひたすら真冬の寒さの中深夜の線路を女性の後を追って歩き続けるしかなかった。やがて前方にトンネルの入り口が見えてきた。例の陰鬱な太鼓と鈴のような音は近づいて来ていて恐怖が増幅され戦慄の時を刻んでいた。(午前二時四十五分)女性はトンネルの入り口の前で少しの間躊躇していたが意を決して中に入って行った。当然わたしも後に続いたわけだがトンネルの名は『伊佐貫』とあった。わたしの記憶ではこの私鉄の路線に『伊佐貫トンネル』は存在していなかったような気がする。わたしもいつの間にか呪われた奇妙な空間に引きずりこまれていたのか、このトンネルを抜けるとどこか想像を絶するような場所に出てしまうのではないか、わたしは闇の中を凍てつく荒野のカダスに向かう心境になっていた。
三十分ほどトンネル内を歩いただろうか、出口が見えてきた。『きさらぎ駅』から歩き始めて約二時間半、まず女性がトンネルを抜けわたしも続いた。すると女性の前に今度は若い男が立っているではないか。男は彼女が来るのを知っていて待ち伏せしていたのではなかろうか。なにしろ時間が時間(午前三時十分)なだけにわたしは疑念を抱いたが、当の女性はその男と何やら話し込んでいた。線路脇には男のものらしきクルマが一台止まっていた。女性は男と共にそのクルマに向かった。どうやら男にクルマで送ってもらうことで話がついたようだが、わたしは何か危険な予感がした。『その男と一緒に行ってはいけない』と彼女に伝えるために駆けだそうとしたが足がまったく動かない。どうしても身体が言うことを聞いてくれないのだ。さらに奇怪なことにわたしの目の前に巨大な光の玉が姿を現しどんどん近づいて来るではないか。わたしはあまりのまぶしさに顔をそむけてしまったが、完全にわたしの身体は光につつまれた。わたしは意識が遠のいていくのが分かった。
わたしは親戚の家の布団の上で目を覚ました。すでに昼近くになっていて周囲には誰もいなかった。後で聞くとわたしは早朝に顔面蒼白まるで幽鬼のような姿で帰宅し布団に倒れ込んだそうだ。わたしはあきれ果てている親戚の家から逃げるように帰京した。後日一月八日の夜『きさらぎ駅』周辺で何か事件が起きていたかどうか調べたが何も発見できなかった。あの不運にもこの世界に迷い込んだらしき女性はいったいどうなったのだろうか。
わたしは大学の『怪異研究部』にあの『きさらぎ駅』で体験した奇妙かつ恐ろしい夜の出来事をつつみ隠すことなく報告した。部員たちはさまざまな意見や考察を述べたがどれもわたしの納得のいくようなものではなく、わたしは失望を禁じ得なかった。そしてこの件は忘れ去られていき時が経った。『きさらぎ駅』に関する不思議な噂はしばしば都市伝説として取り上げられているが真相は不明のままである。
間もなく今年も年末を迎え年が明ければまた一月八日の夜がやって来る。わたしは再度『きさらぎ駅』を訪れてみるつもりだ。あの夜と同じ時刻に『きさらぎ駅』を監視し時刻表にない電車を待つ。時を越えて再びあの女性がホームに降り立つのかどうか、そしてまた線路を歩いて帰ろうとするのか。今度こそ最後まで見届けたいと思う。機会があればまた話を聞いていただきたい。それがわたしの願いである。
了
きさらぎ駅の怪 船越麻央 @funakoshimao
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