きさらぎ駅の怪

船越麻央

第1話 前編  

 今から約二十年前のことである。当時わたしはまだ大学生で『怪異研究部』という得体の知れぬサークルに所属していた。サークルの目的は世の中の異常かつ奇怪な現象を研究し解明することにあったが、実態は愚かな学生の暇つぶしの域を出なかった。その年の一月九日、わたしは暗黒の深淵をのぞき信じがたい狂気の悪夢に悲鳴を上げることも出来なかった。終生忘れえぬ恐怖についてここで語ることをご容赦願いたい。

 その日二千四年一月八日深夜、わたしは漆黒の闇の中である私鉄の小さな無人駅をひとりで監視していた。その駅の名は『きさらぎ駅』といい一見何の変哲もない地方によくある無人駅のようだが、何か独特の佇まいで街灯にその異様な姿を浮かび上がらせていた。周囲には自動販売機はおろか公衆電話さえなく見渡す限りの草原と遠くに山が見えるのみである。わたしがなぜこのような不気味な場所で『きさらぎ駅』を見張っているのかについては大学のサークル活動の一環と理解して頂きたい。『きさらぎ駅』にはある不思議な噂があり、わたしの親戚の家が近いこともあってわたしはその恐怖の真偽を確かめよとの命を受けてしまった。わたしは仕方なく親戚に頼み込み滞在させてもらい、夜になるとこの場所に来て噂の真偽を確認すべく『きさらぎ駅』を監視しているのである。

 今日でもう何日目か分からぬ。噂のような怪現象は起きていない、やはり噂は噂でしかなかったのか。さすがに深夜になると寒くわたしは懐中電灯で時計と時刻表を確認した。もし今晩も何も起きなければ明日には帰京しなければならない。冬休みが終われば大学の後期試験が待っているのだ。わたしはもう一度時計を見た。午前零時を回っていて日付は一月九日に変わっている。あと三十分ほどの辛抱でこの薄気味悪い陰鬱な場所から解放されると思うとやはりうれしかった。しかしこれは悪夢の前の静けさに過ぎなかった。『きさらぎ駅』には魔物が棲んでおり、この世界とは別の空間と繋がっているという奇怪な噂の真偽を確かめようなどと不遜な考えを持つ者を容赦しなかった。周囲は暗く静まり返っているが『きさらぎ駅』だけはなぜか明るさが増してきたように思われた。そしてわたしは異様な冷気を感じて体が震え、何かが起こる予感に恐怖の感情をおぼえた。

 そしてついに悪夢の幕が上がった。零時二十分を過ぎた頃『きさらぎ駅』に向かって来る電車のライトが見えたのだ。わたしはあわてて時刻表を確認したがこの時間帯に駅に到着予定の表記は無かった。回送電車ではないかとも考えたがそれにしても様子がおかしい。電車は徐々に速度を落としてとうとう『きさらぎ駅』に停車した。時刻表にない電車の出現である。わたしははやる気持ちを抑えて駅のよく見える位置に移動し観察した。電車内には数人の乗客がいたが、ドアが開くと一人の若い女性が駅のホームに降り立った。女性はホームで車内に戻るか迷っているようだった。しかし電車はドアを閉めて発車してしまい女性はホームに一人取り残された。女性は駅の時刻表を調べたりしたが諦めて駅舎の外に出て来た。手に携帯電話を持っていて何か操作をしている。わたしは女性に気付かれぬよう距離をとって観察した。彼女は本当に異世界からこの世界に迷い込んで来たのだろうか。これからどうするつもりなのか。わたしには見守ることしか出来ぬ。時刻は零時二十五分を過ぎているが『きさらぎ駅』の周りには本当に何も無いのだ。携帯電話で助けを呼ぶにしてもすでに暗黒の深夜である。

 女性は携帯電話を操作しながら線路を歩き始めた。どうやら線路を歩いて帰るつもりのようだ。誰かが彼女にアドヴァイスしているのか。わたしはどうしようかと迷ったが、彼女に気付かれぬようついて行くことにした。危険なのは承知の上でこの不思議な体験を最後まで全うしたかったのだ。わたしは女性を見失うことのないよう慎重に線路を歩いた。『きさらぎ駅』は次第に遠ざかっていった。



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