真っ直ぐな嘘

 そうだ、あの時英理と話していた男だ。こちらに近づいてくるにつれ、顔がはっきりと見えた。同時に路地裏での記憶が鮮明に蘇り、また身体が硬直してしまった。男は僕に見向きもせず、英理に話しかけた。

「久しぶりだね。可愛いアイスがよく似合う」

「こんなところで会うなんて、最悪」

 英理はあの日のように今にも男を突き放しそうな形相を浮かべている。僕はそんな英理を見て、少し安堵した。二人の関係は良好なものではない。

「その最悪は、白目を向いて言ってたと同じ意味、?」

 男は卑猥な笑みを浮かべながら言った。僕は英理の耳が薄っすらと赤くなるのを見逃さなかった。心臓をナイフで突き刺されたような感覚になり、近くの椅子に手を置いた。

「やめて」

「また連絡してこいよ」

 男は連れていた女の手を取り、店を後にした。英理は数秒俯いていたが、すぐに僕の顔を見た。

「話したいことがある」

 僕はなんとか返事を返し、食べかけのアイスを食べきった。数分前と味が全く違った。少し溶けたのは原因でないだろう。僕たちは、すぐに近くのカフェに向かった。

 

 二人でカフェに行くのは頻繁にあることで、お互いに注文するものは大体決まってる。僕はほうじ茶ラテ、英理は豆乳ラテだ。休日で混みあっていたが、運よくテーブル席に案内してもらえたため、お互いの表情が良くわかる。真剣な話をする時はいつも俯きがちの英理が、まっすぐに僕の顔を見て話し始めた。

「さっきはごめん。誠には何も話してなかったから、嫌な思いをさせてしまったよね」

「うん、僕は大丈夫だよ。これから話してくれれば」

 振り絞った一言だった。これ以上話すと英理に僕の心情を悟られる。

「あの人は前に付き合ってた人なの。学生時代、誠と付き合う前に付き合ってた。正直に言うと…浮気をして誠と付き合ったの。あの人は少し乱暴な人で、別れたいと思っていた時に誠が現れて、半ば逃げるように付き合った。今では、誠を選んだこと間違ってなかった思ってる。私にとって誠は、救世主なんだよ」

 浮気から付き合ったことは知っていたが、それは言わなかった。あの男が英理の元カレということを知れたことで、色々な不安が解消された。ただ同時に、自分以外に英理の細部を知っている人を目の当たりにしたという現実が、僕の心を蝕んだ。しかも、あんな言葉を聞かされたら平常心ではいられない。

「あの人の連絡先はもう消してるし、これから関わることは無いから安心して。今日   は本当にたまたま会ってしまっただけ。存在自体、忘れてたくらい」

「そうなんだね。聞けて良かった。正直、不安で仕方なかったから。ついでに話したいことがあって―――」

 辛うじて出たはずのリアクションだったはずが、話し始めた途端、勢い余って話すはずのないことまで話してしまった。

「実は○○年前の大雨の日、英理に内緒でバイト先まで迎えに行ったことがあるんだ。内緒にして驚かそうと思ってさ。退勤時間に少し遅れてしまって、急いで店に向かったんだけど、バイト先に着いたら英理が知らない男と話してた。僕が知らないところで何が起きているんだろうってパニックになってしまって、そのまま英理に話しかけられずに帰ったんだよね。英理が別れ話をしてくる様子も無かったから、モヤモヤは数日すれば無くなっていったけど、結局今の今まで言えずにいた。もしかして、その日話してたのもその元カレだったりするの?ずっと未練がましく言い寄られてるの?」

 英理は驚いた顔を少しだけ見せた後に、俯きながら返事をした。

「なんだ。来てくれてたなら助けてくれればよかったのに。そうだよ。あれも同じ元カレ。付き合ってた時に金返せとか俺の方が良い男だろとか、しつこく言われてたんだ。その後すぐに連絡も絶って、今日まで会うことも無かった」

 僕はさらに安堵した。ただ同時に、あの日英理を追いかけなかったことを後悔した。あの時、英理は苦しんでいたのだ。なのに僕は、不安に押しつぶされているだけだった。彼氏として失格だ。

「まぁ、そういうことだから。安心して。あの人とはもう何もない」

「うん。わかった。話してくれてありがとう」

 英理はにっこりと笑った。いつも真っ直ぐに向き合い、目を見て話してくれる。外見だけでなく、人間性にも日々惹かれていく。これからもこの笑顔が隣にあると思うと、嬉しくて涙が出そうになった。守るべきものを再確認できた日だ。


 カフェを出て、ディナーを予約している新宿三丁目駅の方へ向かった。まだ時間があるが、ゆっくりと歩いてお腹を空かせようと二人で話し合った。歩いている途中、スマホが鳴った。仕事の電話かと思ったが、私用の携帯が鳴っていた。画面見ると幼馴染の元気げんきの実家の電話番号だった。お互いに実家の電話番号が登録されているほど、小さい頃からの仲なのだが、実際に電話がかかってくるのは十数年ぶりで驚いた。

「出ていいよ」

英理が気遣ってくれたので、戸惑いながらも電話に出た。

「もしもし?お久しぶりです。誠です―――」


 それは、元気が亡くなったとの電話だった。

 


 

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今世は酒が飲めない Akira @Akira11nov23

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