第77話 王国の噂話
――死んだはずのテオドール・グラントが生きていた。
情報が夜の王都を駆け巡り、この日の夜会は非常に賑やかだった。
テオドールを追ってきたグラント公爵家の面々は貴族たちから質問攻めにあい、大所帯で夜会会場に駆け付けた捜査官たちはこちらを見るなり号泣し始めた。
「局長とララさんが並んでるところ、見れるなんて……っ!」
「良かったよぉ。本当に、うぅっ、良かったよぉ」
マックスが鼻をすする横で、アルバートが真っ赤な目元を擦っている。
彼らをなだめながら静かに涙を流していたヒューゴが、ララに向かって深く頭を下げた。
「テオを救ってくださったこと、……心から……感謝いたします」
震えた声が温かくて、弱った涙腺が刺激される。
ララは捜査官たちに混ざり、子供のように泣いた。それと同じだけ笑い、喜びを分かち合う。
頭を撫でてくれるテオドールの瞳が微かに揺れていると気付き、愛おしさで抱きしめずにはいられなかった。
捜査官たちにもみくちゃにされたララとテオドールは、じゃれ合うようにダンスを踊った。
半透明ではない彼と手を繋ぐ度、耳元で愛を囁かれる度、大好きな笑顔を見る度、胸が高鳴る。
この上なく幸せな時間を過ごし、二人は会場を後にした。
女性に見向きもしなかったテオドールに想い人がいた。これは貴族たちにとって、彼の生存の次に衝撃的な出来事だったようだ。
そのためテオドールが帰ってきてからの数日は、捜査局を訪ねてくる人の対応に追われた。
『誰もが憧れる犯罪捜査局の局長』と『元呪われた令嬢』の組み合わせでは、難色を示す者もいるかもしれない。
ララは周囲の説得方法に頭を悩ませていたのだが、不思議なことに祝福の声以外届かなかった。
ジャスパー曰く、『あなた達が本気で愛し合ってることくらい、見たら誰でも分かるもの』だそうだ。
接点がないと思われたテオドールとララは、いつの間に恋仲になったのか。皆の興味はそちらに向いたらしく、ララは何度も馴れ初めを聞かれた。
答えるためには、忘れてはならない人がいる。チェスター・カルマンだ。
カルマンは倉庫街での事件の後、すぐに死刑を言い渡された。しかし通常の刑は執行されず、北部の牢獄に送られた。
残虐な行為に手を染めた者は、
カルマンは違法薬物の影響を調べるための生きた人形になった。
北部からの定期連絡によると、死の間際まで薬物で朽ち果てる肉体と幻覚に怯えていたそうだ。
カルマン以外も、倉庫街での事件に関与した者はそれ相応の報いを受けた。捜査局が徹底的に調べ上げたからだ。
ララも大いに走り回った。変装した捜査官たちと共に組織に潜入したり、霊から情報をかき集めたり。
その間にテオドールを刺した少年は無罪になり、母国に帰った。テオドールの希望だったため、異論を唱える者はいなかった。
これで少しは、幽霊少年の無念を晴らすことができただろうか。ララは時たま、空を見上げて考える。
「――ふぅ。やっと終わった」
研究室でアロマオイルの仕上げを行っていたララは、並べた小瓶を見て一息ついた。
扉をノックする音が聞こえたため返事をすると、訪問者はテオドールだった。
「そろそろ完成する頃だと思ってな。運ぶの手伝う」
「ありがとうございます」
捜査局用と騎士団用に箱を分け、アロマオイルが入った小瓶を詰めていく。
テオドールには捜査局用を持ってもらおう。木箱に蓋をして顔を上げると、タイミングを見計らっていたかのように口付けをされた。
「――っ、仕事中ですよ」
真っ赤な顔で抗議してみても、テオドールには全く効いていない。
「良いことを教えてやる。君の就業時間は三分前に終わってるし、俺は今休憩中だ」
え? と、置き時計を見ると、テオドールが言った通りだった。……なら、問題ないか。
ララは木箱を作業台の中央に寄せ、テオドールに向き直る。
「もう一回、……お願いします」
テオドールの制服を摘むと、彼は腹を殴られたような呻き声を出した。もちろんテオドールが殴られたところなんて見たことがないため、想像でしかない。
「……可愛すぎて、脈への負荷が大きい」
「冗談なのは重々承知していますが、私より先に半透明になるのは許しませんからね」
「分かってるよ。何があっても二度と君を一人にはしない」
言いながら身をかがめたテオドールが、ララに口付けを繰り返す。
半透明な姿での出会いと別れを乗り越え、やっとの思いで結ばれたララとテオドール。
生霊として過ごした時のことを聞かれる度に、テオドールは恥ずかしげもなく答えた。
『あの六十日は、俺とララが結ばれるための寄り道期間だった』と。
あまりにも堂々と語るものだから、皆信じるしかなかったようだ。
二人の六十日間を知らない者はいなくなった。
「あー……このままだと止まらなくなるな。続きは俺の部屋に帰ってからにしよう」
唇を離したテオドールが、ささっと木箱を二つ重ね、片手で担いだ。
「それでは私が持つ物がありません」
「あるだろ、ここに」
真面目な顔で空いた方の手を差し出したテオドールを見て、ララは吹き出す。
こういう時の彼は何を言っても譲らない。大人しく手を握ると、テオドールが指先に唇を落とした。彼に触れられる度、「好きだ」と言われている気分になる。
「早く帰るぞ、ララ」
「……ふふっ、はい」
指を絡め合った二人は、並んで歩き始めた。
二人を引き裂く運命は、もうどこにも存在しない。
◇
月日は流れ、――事件から三年後。
ミトス王国では新たな噂話が広まっていた。
――あなたが
幸せだっただろうか。満足のいく人生だっただろうか。愛する人に伝え忘れたことはないだろうか。安心して神の元に、帰れるだろうか。
やりきった人生だったのならば、それほど素晴らしいことはない。
だがもしも。
もしも心残りがあるのなら、王城勤めのララ・グラントを訪ねると良い。
きっとあなたの最後の願いを、叶えてくれるから――。
fin
エンディング目前の半透明な令息と、60日の寄り道を 杏野 いま @annoima
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