1906年の大地震(5) 卵とハムの火事
サンフランシスコの災害の時、失われた家は22万5千戸と言われ、それが地震によるものか、火災によるものかの判断が難しかったのです。
保険会社では総力を挙げての調査を行ったので、何時にどんな理由で火災が発生したのか、分刻みの克明な記録が残されています。
何も残っていない状態から考えると、どのようにして調査したのだろうと思うのですが、消防関係の人からの情報からではなかったでしょうか。
火事はまず湾に近い東側の複数の場所で起こり、ダウンタウンを総なめにしたのでした。
でも、ダウンタウンが燃え始めた時、西側は大丈夫でした。
その南西部には、官庁街があり、市庁舎を始め、人々の記録を保管している建物などが並んでいました。昨日書いた中国人の名簿も、ここにあったのです。
また大通りをはさんで、大きなイグナチオ教会や学校が立っていました。
しかし、こちらも全部焼け落ちることになります。
その火事の原因はダウンタウンのものとは違い、「ハムと卵火事」と呼ばれるものでした。
そして、この火事は市庁舎を含めた30ブロックを焼き尽くしたのでした。
今日はその「ハムと卵の火事」についての話です。
*
その早朝、市庁舎の近くにあるヘイズ通りにある1軒の家で、おばあさんが「ハムと卵」の朝食を作っていた。
その時、激しい揺れががたがたときたので、おばあさんはついにこの世の終わりかと思った。審判の時が来たのだ。
おばあさんはカトリック信者だったから、審判が下される前に、神に告白しなければならないと思ったのだ。そうでなければ、地獄に落ちてしまう。
それで、おばあさんはハムと卵がはいったフライパンをストーブの端にずらして、教会に急いだのだった。
おばあさんのは(今の市庁舎の向いにあった)イグナチオ教会に行き、祈り、すべての罪を告白した。
祈りが終わると地震も落ち着いていたので、おばあさんは家に帰った。
当時の薪ストーブは電気と違って消すことができないので、おばあさんが祈っている間にフライパンが過熱して、ハムと卵が燃え始めていた。
おばあさんが玄関のドアを開いた時、その火が空気に触れて爆発し、火の球になって、風に乗り、東に走ったのだという。
一方、西からの炎も爆風に乗り東に向かって走っているところで、その西と東の火の玉が市庁舎近くのコーナーでぶつかり、大爆発したのだという。
そして、官庁街をすべて焼き尽くしたのだった。
その西と東の火の玉がぶつかった場所は、現在の図書館の横で、ある銀行のATMが置かれてところ。今でも、その爆発が起きた三角形の場所は、空きスペースになっている。
これは前に、その三角のスペースの上に立って、市のガイドさんから聞いた話である。
これほど詳しい話が残っているということは、おばあさんは爆風で飛ばされたりせずに、生き残ったに違いない、と思いたい。
*
当時のイグナチオ教会があった場所には、今はサンフランシスコ交響楽団の本拠地デービス・ホールが立っています。
イグネチオ教会と学校は、ゴールデンゲート・パークに近い場所に移り、「サンフランシスコ大学」となりました。
それがUSF (University of San Francisco)で、カトリック(イエズス会)の大学で、医学部もあります。
サンフランシスコには、他にも似たような名前の大学があります。
UCSF (University of California San Francico) 、つまりカリフォルニア大学サンフランシスコ校です。これは州立大学で、医学部があり、とても優秀な大学です。
そのほかにSFST(San Francisco State University)があり、こちらに医学部はありません。
ややこしいですが、ここに書いた「ハムと卵火事」で焼けて引っ越ししてきた大学は「サンフランシスコ大学」です。キャンパスも大きなふたつの塔とひとつのドームのある黄色い大きな教会も美しく、見晴らしがとてもよい場所にあります。
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