サンフランシスコを作った男(5) ラルストンはどこに
私はずっとラルストンの墓を訪ねたいと思っていました。
彼が埋葬された1875年当時、彼の墓はサンフランシスコのローレル・ヒルというパシフィックハイツ近くの墓地にありました。けれど、1920年代に掘り起こされ、移動させられて、コルマという町に移されました。
それは彼の墓だけではなく、サンフランシスコから墓という墓が撤去されたのです。
今、彼の墓はコルマという町にあります。コルマは空港に行く途中に見えるのですが、町中が墓だということで、方向音痴の私が墓場で迷子になることを考えると、ひとりで行く勇気がなかなか出ませんでした。
でも、そんなある日、ハイキンググルーブの催したコルマの墓場歩きという企画に参加したことがありました。
*
サンフランシスコの町には墓場がない、というのは本当のことである。
もちろん、以前には存在したというより、町のそこら中が墓場だった。
ゴールドラッシュにより人口が急増したサンフランシスコの町は、19世紀末には人が住む土地も、墓場も足りなくなっていた。
その解決策として、墓場を移動させようという都市計画案が出て、1920 年から1941年の間、150万もの墓が掘り起こされたのだ。その主な移動先として選ばれたのがコルマという町だった。
ただそんな命令にすんなりと従う市民ではないから根強い反対運動が続き、例外のいくつか除いて、全部の遺体が町から運びだされるまでには実に40年もかかったのである。
サンフランシスコ中の墓が掘り起こされ、荷車に積まれ、日夜ごろごろと運ばれたのだから、さぞかし異状な光景だっただろう。(墓を掘り起こしている時の写真を近況ノートに載せようと思うが、恐ろしい光景は映っていないので、安心して見てください)
さて、遺体を掘り出して移動させるのは市がやってくれたが、そのために遺族運搬代金として10ドル払わなければならなかったし、墓石の移動にかかる費用は個人持ちだった。だから、多くの墓石は残されので、湾の防波堤や外海の防潮堤として使われた。
裕福な人は新しい墓を建てたが、引き取り手のない者の遺体はまとめて、コルマの広場に埋められた。
ラルストンのお墓は、もとはパシフィックハイツに近いローエルハイツにあった。たぶん大きなものだったはずである。
しかし、サンフランシスコの墓移動の条例が出た時、ラルストンもコルマのサイプレス・ローン・パークという墓地に移された。
現在、コルマに埋められている数は約200万人と言われ、生きているのはその1000分の1だから、まさにコルマは「死んだ人」が住む町でなのある。
私は死者の町をひとりで訪れる勇気がなかったので、あるハイキング・グルーブが「墓場歩き」をするのを知った時、これだと飛びついた。
その日、10時に、コルマの駅には20人ほどが集まった。
リーダーが、Tシャツに着替えた。暑いからなのかと思ったら、胸のところに、"It is Great to be alive in Cloma"(コルマで、生きているのはすばらしいこと)と書いてある。
それが市のスローガンなのだそうだ。ここで笑えばいいのかどうか、迷った。
このステープというリーダーとは別のコースを歩いたことがあるが、ウィットがあるタイプではない。彼は真面目すぎてはしょることを知らないから、ハイキングはいつも長くなる。その日はハロウィーンを数日後に迎えており、数人の若い参加者がいたが、どうやら肝試し気分で参加しているようだった。
ステープの説明でまずわかったのは、コルマの墓地がひとつではないということだった。私はたとえば多磨墓地というように、コルマ墓地というものがあると思っていた。
しかしそうではなく、以前サンフランシスコにあった教会とか、会社、個人が経営していた墓地は、その墓地の所有者が、コルマの土地所有者から土地を買い取り、それぞれに新墓地を作ったのだという。5平米キロほどの土地に、そういう人達が経営している墓地が17もあるのだという。(5平米キロって、東京ドーム105個分?)
電車駅の向うに、サン・ブルーノの山が、青色に貼りつけた濃緑の長四角な山が、くっきりと見えている。こんな所に、山があったのだと思う。
「いつもここに来る時にはいつも霧がかかっていて、山が見えたのは初めてだ」とステーブが言った。
墓場と霧、似合いすぎる。晴れていてよかったと思った。
中国人、イタリア人、ギリシャ正教の人の墓地を歩いて、墓場でランチを食べ、午後にサイプレス・ローン・パーク墓地に着いた。ここがラルストンがいるところなのだ。
ラルストンはロウエル・ヒル墓地からこのサイプレス・ローンに移ってきた。
その時、妻のエリザベスはパリからサンフランシスコに戻って来ていたが、新しい場所に新しい墓は建てなかった。
そのエリザベスの経済事情はわからないのだが、ラルストンはサイプラス・ローン・パークの事務所の裏にあるマウンレウム(霊廟)に中にいる。
このサイプレス・ローンの墓地には、一般の墓のところどころに、87ものマウンレウム(霊廟)がある。霊廟というのは特別に大きな墓のことで、時にはひとり、時には家族がはいれるようになっており、中にはギリシャ神殿のようなものもある。
しかし、ラルストンがいるのは個人用ではなく、公共のマウソレウム(霊廟)である。ちょっと悲しい。
その古い学校のような建物には、鍵がかかっていてはいれなかった。
「はいれないのですか」
と私が訊いた。
「鍵が必要なんだよ」
「それ、どこですか」
「事務所にある」
ここまで来たのだから、建物の中にはいりたい。
「借りてきますから、待っていて」
私は事務所まで走って、鍵を貸してほしいと頼んだ。親戚がいるのかと訊かれたから、歴史上の人物を研究していると答えた。
誰だと訊かれたから、「ウィリアム・ラルストン」と答えたら、鍵を貸してくれた。おお、彼を知っている人がいるのだと思ってうれしかった。
小さな鍵でドアを開くと、天井画がステンドグラスで、古い青銅色のロッカーボックスみたいな扉が何百(何千?)と並んでいた。
アンティ―風のロッカールームと言えばよいのだろうか、あまりの奇妙な光景に、絶句した。
納骨堂の鉄の扉には、ひとりひとりの名前と生年と没年が書かれていたが、あまりに数が多すぎて、私はラルストンの扉を見つけることができない。
こういう場所に興味を持つ人は少ないから、グルーブはそろそろ引き上げようとしていた。こんな場所にひとりで残りたくないと思ったが、これがラストチャンスなので、居残って探していると、おお、見つかった。
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