サンフランシスコを作った男(4) 妻エリザベスの場合
もし夫の心に愛する人が住み続けていて、その彼女のことを生涯思い続けていたとしたら、妻としてはどうなのでしょうか。ラルストンの妻、エリザベスのように。
ラルストン夫婦の仲はうまくいっていはおらず、嵐のような関係だったと言われていますが、それは、そうだろうと思います。
エリザベスはある時には子供の教育のため、ある時には家具を買うためにという口実でパリに行き、長期滞在しています。パリで浮気をしているという噂が流れたこともあったし、別居していたこともたびたびです。でも、別れはしませんでした。
あるクリスマスの夜に、エリザベスは生まれたばかりの次女を残して、突然、家を出ていったことがありました。
私にはその意味がわかります。
次女につけた名前がエミリタ・ソーンだったからでしょう。エミリタは義母のエミリーと似ていますが、エリザベスのほうにもエミリタがいるので、そこはいいことにしましょう。
でも、ミドルネームの「ソーン」というのは、愛するルイーズのラストネームです。
長女にルイーズとつけ、次女にはソーン、
そのことに気がついて、エリザベスは逆上し、家を飛び出しました。
私はラルストン推しですが、これはやりすぎだと思います。
またある時、エリザベスはヨーロッパの帰りに、ルイーズの義母のエミリーを訪ねたことがありました。そこで何が話されたのかは不明ですが、ルイーズ亡き後、ラルストンにとって、エミリーの存在は大きかったのです。
ラルストンが建てていたパレスホテルは、ニューヨークのソーホーでネオ・ルネッサンス様式の建築によく似ています。その設計者はジョン・ゲイナーという建築家で、ニューヨークの「ヘイアウト・ビル」を建てた人ですが、パレスホテルも彼の手によります。
ラスルトンに、このヘイアウト・ビルのすばらしさを伝え、ホテルの設計者に頼んではどうかとアドバイスしたのは、エミリーなのではないでしょうか。
またその頃、ニューヨークにはセントラルパークが完成しました。公園を設計したのはオルムステッドですが、ラルストンは彼をサンフランシスコに招いて、「ゴールデンゲート公園」を作る可能性について意見を聞いたのでした。オルムステッドはこんな砂地に公園はできないと言ったので、公園ができるのはラルストンがこの世を去った後でしたが。
セントラルパークのすばらしさを彼に伝えたのは、やはりエミリーではなかったかと思われます。
エリザベスはサンフランシスコに戻ってきても、しばらくは夫のいる家に帰らなかったそうですから、何か感情が荒立つことがあったはずです。それというのも、エリザベスは夫を愛したかったからだと思います。でも、何かにつけて、彼の心を占めているのはルイーズなのだと思い知らされたのです。
ラルストンのような男を夫にもったら、どうしたらよいのでしょうかね。愛すれば、愛するほど空しい。だから、すべてをそっくり包み込むか、または割り切って、自分は自分の世界をもって生きていくしかないでしょうか。
*
ラルストンが亡くなった時、エリザベス(リジィ)・レッド・ラルストン(1837-1929)がどんな反応を示したのかだろうか。
見つかった記事は、エリザベスがシャロンを訴えたというもの。
ラルストンは最後の書類に「財産は損失を埋めた後、残りは家族に」と付け加えたのだが、財産は家族には渡らず、すべてシャロンのものになったのだった。
エリザベスは夫の死因が事故死だと認められたので、生命保険として6万8千ドルを受け止ったのだが、それしかなかった。それで、シャロンを相手に、必ず財産の残りがあるはずだと裁判所に訴えた。
それに対して、シャロンは残った財産はなかったと主張したが、やがて和解が成立したて、エリザベスはかなりの額をもらうことができた。それでパリに行って、家を買って住んだ。
それから12年後の1997年の2月、エリザベスが、パリで、女の子を出産したという記録が残っている。
登録されたその子の名前は、ルイーズ・アン・シャンドー。
ルイーズ?
ラルストンが愛した女性の名前と同じである。彼女の存在こそがエリザベスを苦しめたはずなのに、なぜ彼女はそうつけたのだろうか。
幼くして亡くなった長女の名前だからなのかもしれない。そこのところは、どう解釈すればよいのか、わからない、
12年という月日が、エリザベスに穏やかさを与え、心鏡に変化をもたらしたのだろうか。それとも、ルイーズという名前が、人から愛されるラッキーな名前だと思ったのだろうか。
このルイーズの父親は13歳年下のジョン・シャンドーという男で、フランスのアメリカ大使館に勤めていたとも、作家だったとも言われる。嘘つきで、危険な男だという人がいる。エリザベスが穏やかな男ではなくて、危ない男を選んだのがわかる気がする。怒りをぶつけることができるのは、たぶんそういう男なのだろう。
エリザベスとジョンのふたりは、ニューヨークからパリに来る途中の船の中で知り合ったという。しかし、その時、シャンドーにはニューヨークに結婚したばかりの妻がいた。
そのせいなのか、エリザベスとシャンドーが正式に結婚したという記録はない。
しかし、この男ときたらその後、別の女性と再婚して、ダグラスという息子ができた。後に、ダグラスが大統領の肖像画を頼まれるほどの画家になったので、そのことがわかったのである。
エリザベスの娘のルイーズについて少し書いてみたい。
このルイーズはある意味では、超がつくくらい有名な女性なのである。
彼女はフランスとイギリスで勉強し、おそろしく博学な女性に育ったけれど、性格が烈しく、極端な人だった。
ルイーズはL.Fryという母親の姓を名乗り、作家になった。彼女は反ユダヤ主義で、「水は東に流れる」という一部にはとても著名な本を書いた。
L.Fryの名前がよくでるのは、フォードとのこと。あの車のヘンリー・フォードである。
みなさんは、「シオン賢者の議定書」という本をご存知だろうか。
それはユダヤ人が世界征服をたくらんでいるという内容で、今では「史上最悪の偽書」と言われる問題の本である。それはヒットラーの愛読書で、ナチスに影響を与えたと言われるが、その本をフォードに勧めたのがルイーズで、フォードはこの本を熱狂的に支持したという黒歴史がある。
ルイーズがあれほどの豊富な知識を、プラスの方向に向けていけば、どんなにすばらしい学者になり、尊敬を集める人物になったかと思われるのだが、残念にことに、彼女の思考はいつもネガティブなほうに走ったのだった。KKKなどと繋がってみたり、トラブルを起こして逮捕されたり、とにかく問題の多い女性だった。なにか、芯がふつふつと煮えたぎっているようなのである。
母親エリザベスが人生で燃やし続けてきた怒りが、娘の中に蓄積されて、爆発したような感じがする。
エリザベスは晩年にはサンフランシスコに帰り、そこで92年の生涯を終えた。遺書には火葬するようにと書いてあった。
アメリカでは火葬は稀で、特に当時はほぼなかったはずなのだが、エリザベスはなぜ火葬を希望したのだろうか。
エリザベスは遺言通りに火葬され、コルマという町で眠っている。
ところが、ドラマはもうひとつある。
エリザベスはそこで夫のラルストンと、コルマで一緒になるのである。
かつて人々から愛されたラルストンの棺は、5万人のサンフランシスコの人々に見送られ、パシフィックハイツ近くの墓地に埋められたはずではなかったのか。
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