サンフランシスコを作った男(3) 彼が愛した少女

これまではサンフランシスコを中心にもアンビシャスな人々の話を書いてきましたが、いよいよ全国区、実業界のマグネイト、日本式には「ドン」が登場します。

 そのドンの名前はコーネリアス・ヴァンダービルト(1794-1877) 、ヴァンダービルトという名前は、どこかで聞いたことがあるでしょう。

 彼は船舶や鉄道(東側)で財を築いたアメリカ史上に輝く大富豪で、人々からは「提督」と呼ばれた人でした。

 ラルストンが恋に落ちたのは、彼の孫でした。



              *


 彼女の名前はルイーズ・ハリエット・ソーン(1834-1854) 。

 孫といっても、実際にはコーネリアス・ヴァンダビルトの4女エミリーの、夫ウィリアム・ソーンの連れ子である。血はつながってはいなくても、広い意味では、孫ということになる。


 コネリウス・ヴァンダビルトはラルストンよりも32歳年上で、彼は農家の出身、11歳までしか学校へは行けなかった。

 その事業の出発点は16歳の時、ニューヨーク湾での乗客や積荷を船で運ぶや仕事だった。そこから、船舶や鉄道で巨万の財をなしたのだ。


 ラルストンがパナマで働いていた頃、ヴァンダビルトもニカラグアの航路を開こうとして、パナマに来ていたから、知り合いになる機会があった。

 ヴァンダービルトはラルストンの中に、自分の若い頃の姿を見て気に入り、ラルストンは彼のように大きな実業家になりたいと思ったようだ。


 さて、ルイーズのことだが、その実母のハリエット・ソーンはこの娘を産んで、間もなく27歳で亡くなった。

 夫の弁護士のウィリアム・ソーン(1807-1887)はハリエットを亡くした4年後に、ヴァンダーベルトの4女エミリー・アルミラ(1823-1896)と結婚した。

 夫は32歳、新妻は16歳で、ルイーズはまだ 5歳だった。


11歳しか違わない義母のエミリーとルイーズのふたりは、とても仲がよかったという。

1852年頃、ラルストンは船の仕事で、パナマからニューヨークにたびたび来ていた。その時、そのニューヨークで、彼はエミリーやルイーズと出会ったのだった。

 

 若いふたりはすぐに魅かれ合い、結婚を約束したのだった。ラルストンが26歳、ルイーズは18歳。

ルイーズは育ちのよい娘だが、ラルストンは貧乏な家の出身で、学歴もない。しかし、反対されなかったのは、彼の性格や仕事ぶりもあっただろうが、彼はヴァンダービルトが見込んだ男だったからだろう。そして、義母のエミリーが味方になってくれたからだろう。


 1853年、ヴァンダービルトはノーススター号という1900トンの豪華蒸気ヨットを作らせ、家族25人を引き連れて、4ヵ月間のヨーロッパの旅に出発したのだった。

 その中には、エミリーもルイーズも含まれていた。

 6月に出発して、帰ってきたのが9月。

ラルストンはどんな思いで、婚約者が帰るのを待っていたことだろう。ルイーズがヨーロッパから帰ってきたら結婚して、サンフランシスコに行くことになっていたのだ。


 しかし、ニューヨークに帰ってきた時、ルイーズは病に侵されていた。

 ラルストンが駆け付けると、ルイーズは病床で、ヨーロッパで見た美しい町の様子、泊まった豪華なホテルのことを語った。


「ぼくは、サンフランシスコをそれ以上に、美しい町にするよ」

「あなたなら、できるわ」

「きみが泊まったヨーロッパのホテルよりもすばらしいホテル、世界一のホテルを建ててみせる。だから、早くよくなってほしい」

「ええ。きっと、世界一のホテルを作ってくださいね」

「約束するよ」



 しかし、それから間もなく、ルイーズは亡くなってしまったのだった。

 葬儀が終わり、ラルストンがパナマに帰る時、継母のエミリーは、ルイーズをモデルにした18センチほどのアイボリーの像を渡した。

 旅行先のヨーロッパで流行っていたもので、ルイーズがラルストンのために作らせたのだった。

 以後、ラルストンはそのアイボリーをいつも書斎に飾っていたという。


 ラルストンはその後、サンフランシスコに移ったが、32歳まで独身だった。しかし、いつまでもひとりでいるわけにはいかないのだった。

 結婚した相手はエリザベス・フライといい、20歳で、イリノイ州から叔父と一緒にサンフランシスコにやって来たところだった。彼女も生まれてすぐ母親を失くしており、年齢や境遇がルイーズに似ていた。

 

 結婚式も披露宴もしなかったが、たくさんの友達と新聞記者を連れてヨセミテ旅行に出かけ、そのことは大きな記事になって残っている。どうして新聞記者を連れていったのだろうか。結婚したことを誰かに伝えたかったのではないだろうか。

 たぶん、ルイーズの義母のエミリーに。

 ラルストンとエミリーはその後も連絡をしあっていたようだ。エミリーはあたたかい人柄で、ニューヨークでさまざまな慈善事業にかかわっていたという。ラルストンが慈善事業にかかわるようになったのも、エミリーの影響かもしれない。


 ラルストンは生まれてきた長女にはエドナ・ルイーズ、次女にはエミリータ・ソーンとつけた。

 しかし、長女のルイーズは2歳を待たずして亡くなってしまった。ルイーズを失った時の彼の悲嘆ぶりは、想像に難くない。

   


               *     



私が不思議に思うのは、事業を引き渡す最後の時、なぜ、ラルストンがあっさりと頭取の地位を下り、すべての権利をシャロンに譲ってしまったのだろうということです。


 その後、カリフォルニア銀行はすぐに営業を再開できましたし、建設中だったパレスホテルも、6週間後には予定通りにオープンしました。以後、パレスホテルには大統領などを初めとする客で繁盛し、銀行も、潰れることはなく続いたのです。

 

 だから、財産を処理すれば負債を返却できるはずなのに、あの時、ラルストンはどうして粘ることなく、声を荒立てることもなく、あっさりと、身を引いてしまったのかと思うのです。


 ラルストンはこれまでの人生、希望を持って、ずうっとスイッチオンにして歩いてきた人ですが、この肝心なところで、急にオフにしてしまったのはなぜなのでしょうか。

 人は灯をめざして生きている時と、ただ死んではいけないから生き続けている時があるのではないかと思うのですが。

 ラルストンはルイーズが死んでから後者のような思いで生きてきたけれど、あの時、

「もういい。ルイーズのところに行こう」

 と思ったのではないでしょうか。


 彼が辞任をして銀行を出た後、書斎の寄ったのは、あのルイーズの像を取りにいったのではないかと思います。アイボリーのルイーズを握りしめて、泳ぎ始めたのではないでしょうか。

 

 ラルストンの最期が悲劇に見えたとしても、彼にとっては愛する人のところへ行くわけですから、悲劇ではなかったのではないでしょうか。ロマンチックでドラマチックな人生を生きた彼は、その時、まだ49歳でした。



 ところで、ラルストンの妻のエリザベスの立場になってみると、こちらのほうが悲劇です。自分と出会う前に、一途に愛した女性がいて、子供にその名前をつけたり、思い出の品を大切にしていると知ったら。いつも自分は脇役のような存在だったと知ったら、どうでしょうかね。

 世界は彼らだけのものではなく、エリザベスだって主人公になっていいはずですよね。

次回はエリザベスの話です。




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