サンフランシスコを作った男(2) ウィリアム・ラルストン
1858年、ラルストンが32歳の時、彼はウイリアム・シャロン(1821-1885)という男と出会うことになる。
シャロンはラルストンよりも5歳年上の弁護士だった。
ふたりが知り合う前、シャロンはサンフランシスコで不動産などの仕事をしていたが、うまくいかなかった。ポーカーだけは強かったそうが、ビジネスには成功したことがなく、結局サンフランシスコを去ることになり、ネバタ州に住んでいた。
負け犬のシャロンだったが、ネバタ州のバージニア・シティに流れて来た時に、あることに気がついたのだった。
そこにはコムストック・ロードと呼ばれる銀の大鉱床があり、探鉱者達が、その鉱業権の登録を競いあっていた。ところが、権利をもつ鉱夫は、たいていの場合、鉱脈を堀り続ける資金がないのだった。
シャロンはそこに目をつけた。彼らにお金を貸したらどんなものか。
シャロンは資金がないから、カリフォルニア銀行主であるラルストンに電報を打ったところ、ラルストンはすぐに会いにくるように返信した。
そして、ふたりは出会い、シャロンはネバタ州のカリフォルニア銀行バージニア・シティの支店長になったのだった。
シャロンは鉱夫達に、他の銀行が5パーセントの金利のところを2パーセントで貸した。それが債務不履行になった場合にはそれを買い上げるという契約である。そういう不履行がたくさん出たので、シャロンはそこに資金を投入し、鉱山を開発したので、みるみる莫大な利益を上げていったのだった。
シャロンとの出会いにより、銀行の利益は跳ね上がり、ラルストンはたちまち大富豪になった。その頃は何かに成功すると、すぐに大金持ちになれる時代だったのだろうか。
ラルストンは、鉄道、電信、蒸気船、繊維、砂糖精製、砂糖にたばこの事業にまで手を広げ、カリフォルニア劇場を建て、カリフォルニア大学の理事にもなった。郊外のベルモントには豪邸を建て多くのゲストをもてなした。
また町にニューヨークのセントラルパークのような公園がほしいと思い、専門家を招いて調査させた。当時はあんな砂丘の上に公園はできないと言われ断念した。しかし、その夢をあきらめない人がいて、後に公園ができた。それがゴールデンゲート・パークである。
ラルストンの世界一のホテルを建てたいという夢は、実現に近づいていった。
ラルストンの人柄を物語るエピソードとして、こんな話が残っている。
ある晩餐会で、サクラメントの南にある町に、「ラルストン」とつけましょう、と提案されたことがあった。しかし、彼は丁重に断った。
それで、その町は「モデスト(謙虚)」」という地名になったのだという。
彼は「すべてが可能な男」になっても驕ることがなく、人々から愛されたそんな男だったという。
でも、もしシャロンと出会うことがなかったら、ラルストンはあれほどの財を築くことができなかっただろう。しかし、同時に、このシャロンという男は蛇のようにひそやかに、破滅の種を撒いていたのだった。
ラルストンは背が抜きんでて高かったのに対し、シャロンはとても小柄だった。しかし、シャロンは一筋縄ではいかない男で、なにか人を怯えさせる空気を醸し出していたという。
数年後に、シャロンはラルストンのビジネスパートナーになり、また上院議員にも選ばれた。ただ一度もワシントンに出かけたことのない上院議員だというから、どんなことが目的で、議員になったのだろうか。このことから、彼がどれだけ強引でマイウェイ、人の噂など恐れない人物だということが伺える。
ラルストンは、シャロンのその眼の奥の怜悧狡猾な動きに、気がつかなかったのだろうか。ラルストンは世間をよく知らず、夢を一途に追い求めていった理想主義者だったのかもしれない。
1875年の8月27日。その日は朝から、とても暑かった。
その日、ラルストンが銀鉱に行くと、突然、役員会から、頭取を辞任するように言われたのだった。
あれほど繁盛していたはずだったのに、前日、銀行の金が底をついていた。 経済危機に陥った理由としては、パレスホテルの建築にお金がかかりすぎたなどのさまざまな理由かあるのだが、大きな理由はシャロンが突然、鉱山の持ち株をすべて売却したからなのだった。それで、銀行の株価が下がり、銀行の危機を聞いた人々がお金を下ろすために窓口に殺到したのだった。
ラルストンは、何百万ドルの空手形を切るはめになり、それでもことは悪くなる一方で、前日から、銀行はその扉を一時的に閉めていた。でも、それはシャロンがお金を貸してくれればどうにかなるのだったが、彼は協力を拒否した。
役員会は、ベルモントやサンフランシスコにある邸宅、パレスホテルなど、すべての権利をシャロンに委任するように言ったのだった。シャロンがすべてを奪いとろうとしていた。
ラルストンは抗いもせず、その場で、サインをしたという。
ラルストンはいったんサンフランシスコの家に立ち寄った後、湾での泳ぎに出かけ、そこで溺死したのだった。
偶然、その様子を見ていた人が助けを呼んだから、彼は漁船により助け上げられたのだが、その時はすでに息は止まっていた。
自殺か、事故死か、と人々は噂した。
泳ぎが得意で日課にしていた彼が、事故死するということがあるだろうか。
薬を飲んで自殺をしたのだという噂がたって解剖されたが、検視官が胃からは薬が発見されなかったと発表した。
ラルストンが死んだというニュースはサンフランシスコ中に衝撃を与え、彼の遺体がローレルヒルの墓場に運ばれる時、5万の市民が見送った。
*
しかし、こういうエピソードだけでは、彼はとてもよい人らしいが、まだラルストンの姿が見えてはきません。
私が知りたいのは、彼がどうして「サンフランシスコを世界で一番すばらしい町」にしたいと思ったか、というところです。
そういう夢をもつのには、何か特別な理由があるはずでしょう。
たとえば、彼には愛する人がいて、それが彼女との約束だったとか。
そんなことを想像してみたのですが、調べてみると、実際、彼には愛する女性がいたのです。
やっぱり愛かぁ。
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