ミセスの恨みでしょうか、それとも敬愛?
これは余談なのですが、不思議に思っていることなので、ここにぶちこんでみます。
アドルフ・スートロは1856年にリア・ハリスと結婚しました。彼が26歳で、リアが24歳の時です。リアは店を守り、6人の子供を育てました。長女はカリフォルニアで初の女医になりました。
夫のほうも辛抱強く支えてくれた妻に感謝をしていましたし、このふたりが別れることがあるなんて、誰も想像しませんでした。
けれど、1879年、47歳のリアのほうが突如として離婚を申請し、1980年には正式に別れました。ふたりともユダヤ人なので、そちらの法にのっとって離婚が認められたということだと思います。
離婚のきっかけはというと、新聞にスートロのゴシップ記事が載ったことでした。
彼が首都ワシントンに行った時、彼がミセス・ジョージ・アレンという女性の部屋を訪ねたというのでした。
スートロはホテルの部屋に行ったことは認めましたが、不倫の事実は否定しました。こういうの、今と変わりませんね。
しかし、リアの怒りは収まらず、すぐに離婚申請となったのでした。
ここまで尽くしてきたのに、こんな仕打ちはない、とリアは我慢ができなかったのでしょう。
いつもはフレンドリーで我慢強いけれど、カーッとなるとこわい、というのが私のアイルランド人気質ですが、ステレオタイプで人を見るはいけないのですよね。これ、日本人にだって、当てはまりますから。
日本人を大人しいと思って甘くみては困ります。怒るとこわいですから。
おっと、話が飛びました。
スートロの相手のミセス・アレンの実名はハッティー・トランドルといい、普通の主婦ではなくて、社交的な方、社交界を飛び回る蝶のような方(Social Butterfly)だったようですが、詳しいことはわかりません。
リアは離婚した後、健康を崩し、1893年に61歳で亡くなりました。
その墓は空港近くのコルマという町にあります。
コルマは町全体が墓場で、中国人墓地、イタリア人墓地、ロシア人墓地、日本人墓地もあり、それを管理する何十もの会社が事務所を構えています。
あるハイキンググループではハロウィーンの頃にこの墓場歩きを計画します。私はその墓場巡り歩きに参加したことがありましたが、その時、墓場の中に、ある空間が目にはいりました。そこに行ってみると、それがミセス・スートロの墓でした。
その敷地は広くて、6畳くらいあるのではないかしら。床が白い大理石に黒のひし形の模様でキッチンのような感じ。シンプルでモダンなデザインです。
その真ん中に祭壇のような台があり、長方体の石が載っています。
その正面に大きな字で、「LEAH SUTRO」とだけ刻まれています。他には生年月日も何も書かれてません。
墓の敷地は広いのですが、入口はひとりがはいれるくらいの幅で、2段の石段があり、上の段に大きく「A SUTRO」と刻まれています。アドルフ・スートロのことです。ちなみに、彼の墓はここではなくて、別のところにあります。
これって、リアの墓を参る時には、アドルフ・スートロの名前を踏んでいくということになりますよね。
これを見た時に私はぎよっとして寒気を覚えたのですが、一緒に行ったアメリカ人達はなにも感じてはいないようでした。
でも、これって、何でもないことでしょうか。
墓のデザインはリア自身が考えたのではない可能性が大だし、また入口の階段にスートロの名前を刻んだのは恨んでいたからではなくて、尊敬しているからだとも考えられるかもしれません。
その写真は近況ノートに載せておきます。
これって、リア・スートロの夫への恨みでしょうか。それとも、尊敬でしょうか。
別に気にするまでもないことでしょうか。でも、私は気になります。
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