ミリオネア第一号はサム・ブラナン、その成功と転落(1)

     

 メキシコが1821年に独立するまで、カリフォルニアはスペインの領土でした。

 メキシコがスペインから独立した後は、カリフォルニアからテキサスに及ぶ広大な土地はメキシコの領地になり、今のサンフランシスコの町は「イエルバ・ブエナ(よい薬草)」と名付けられました。

 当時、霧と風のイェルバ・ブエナの町には800人くらいの人々が、漁師とか、海賊、商人などがひっそりと住んでいたそうです。

 

 1846年5月、合衆国はメキシコに対して宣戦布告を宣言しました。

 そして、すぐに海軍の軍艦ポーツマスをカリフォルニアに送り、艦長モンゴメリーはイェルバ・ブエナに上陸しました。そして、小高い丘にアメリカ国旗を立てたのでした。まだアメリカ領ではないのにね。

 

 今のサンフランシスコのダウンタウンにはビラミット型のビルがありますが、当時はあのあたりまでが海で、モンゴメリー艦長はあそこで船を下りて、丘まで歩いたのです。彼が下りた通りを「モンゴメリー・ストリート」、旗を立てた丘は船の名前を取って「ポーツマス・スクエア」と呼ばれ、今では中華街の真ん中にあります。

 

 1847年にイェルバ・ブエナという町の名前を、合衆国は「サンフランシスコ」に変えました。これも、勝手にね。カリフォルニアをわが物にする気まんまんです。

 

 当時、内戦に忙しかったメキシコは1848年2月に協定を結び、カリフォルニアを合衆国に譲りました。

 そして同年12月、ポーク大統領が議会で、カリフォルニアに金が出たことを発表したので、世界中から金を求めて人々がやってきたのでした。新しい土地に人がほしいですからね、それはすばらしい戦術なのでした。


 今日はそのポークの大統領の発表の前に、一足早くサンフランシスコに到着していた男、サミュエル(サム)・ブレナンの話です。でも、彼は金を求めてサンフランシスコに来たわけではなかったのです。彼はメキシコに行きたいと思って来たのでした。



                *



 サム・ブラナン(1819-1889)はニューヨークからやってきたモルモン教徒集団のリーダーだった。

 当時、東部でモルモン教徒は弾圧されており、その代表者が暗殺されたこともあって、27歳のブラナンは信者238人を引き連れ、船に印刷機も詰め込み、新天地を探しにやってきたのだった。

モルモン教といえばリーダーはブリガム・ヤングで、本拠地はユタ州のソルトレイクシティだが、当時はまだ場所を模索している最中だった。


 ブラナンはモルモン教徒が迫害される合衆国から逃れて、外国に行って住みたかったのだ。彼がニューヨークから船出した時、このサンフランシスコの地はまだメキシコ領で外国だった。

 

 しかし、ニューヨークを出てから船旅6ヵ月、ようやくサンフランシスコに着いた時、彼らが丘の上に見たものは、ゆらゆらと揺れる星条旗だった。


「おお、また、あの旗か」

とブラナンは口惜しがったという。


 彼らがサンフランシスコに到着したのは1846年の7月で、正式にはまだアメリカのものではなかったが、合衆国が勝手に星条旗を立てたのだった。

 その星条旗がモンゴメリー艦長によって立てられたのは、ブラナンが到着するわずか8日前のことだった。



 アメリカの国旗はひらめいてはいたが、人口が多くなさそうだから、ブラナンはここに落ち着くことにした。今のチャイナタウンに新聞社を立ち上げ、新聞「ザ・カリフォルニア・スター」を発行した。また信者たちをいろいろな場所に配置して、商売をさせることにした。


 ある時、サクラメントの近くで雑貨店をやらせていた仲間から、砂金で買い物に来る客がいるという話を聞いて、彼は出かけてみた。

 すると、確かにそのあたりには、砂金で支払いをする客がいた。

 

 実は1848年1月24日に、サターのミル(サターという男の製材所)のそばのアメリカ川で、砂金が見つかっていたのだ。


 しかし、ブラナンは金を探しに行こうとはしなかった。

 彼は急いでスコップやらつるはし、ハンマーなどを買い集めた。古いのでも、新しいのでも、何でも集めた。


 そして、1848年の5月の晴れたあの日、ブラナンは歴史に残る一大パフォーマンスをしたのだった。


「金がでたよ、金がでたよ、アメリカンリバーから金がでたよ」

 

 ブラナンは砂金がはいった瓶を手にもってそう叫びながら、今のワシントン広場のあたりを叫んで歩いて回ったのだった。


 ブラナンは金の採掘のための道具を売るのが目的なのだった。このパフォーマンスにより、大勢の市民が、市長までもが金を取りにでかけたので、町が空っぽになったそうだ。それで、ブラナンは大儲けをしたのだった。


 しかし、これはまだローカルレベルの盛況で、全世界的になるのにはもう少し時間がかかった。

 ブラナンは「カリフォルニア・スター」という新聞社を持っていたから、金発見のことは当然記事に書いた。

 そのニュースは流れた油に火がついたように広がったのだが、世の人々は、その話を信じてよいものかどうかと慎重で、すぐには行動できずにいた。カリフォルニアははるか遠いので、行きたい気持ちがあっても、すぐには動けはしない。しかし、人々の関心は高まっていった。


 そして1848年の12月、それまで黙秘していたポーク大統領が、ついに金が出たことを議会で正式に認めたのだった。


 米国政府はそれ以前に金が出た事実を知っていたが、当時カリフォルニアはメキシコ領だったから、正式に合衆国のものになるまで、金が出たことを黙っていたのだと言われている。

 ポーク大統領の発表により、合衆国からだけではなく、南米、ヨーロッパの人々が流れこんできたのだった。それが1849年なので、その人達のことを49ersと呼ぶ。


 ブレナンはゴールドラッシュで大いに儲けて、サンフランシスコの5分の1の土地を買い占め、カリフォルニアのミリオネア一号になったのだった。


              

              *


ミリオネアになってからのブラナンについては次回になりますが、この回のタイトルが「成功と転落」なので、彼のその後が順調でなかったことは予想できると思います。

 でも、その転落のきっかけが何だったのかは、意外なことでした。

 

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