ミリオネアへの道は失恋から リックの愛と天文台

 19世紀の男性って、ロマンチックだったのかしら。そんなことを思わせる男性の話がふたつ続きます。


 みなさんは愛する人から、帰ってきたら結婚するから待っていてくれと言われたら、どのくらい待ちますか。(LINEとかはなしですよ)

 15年は大丈夫ですか。

 

 今日はジェームス・リック(James Lick)という人の話です。


 日本では知られていませんが、このリックさん、生きていた時にはカリフォルニア一の富豪だったのです。前に取り上げたブラナンはミリオネア第一号でしたが、後半ではお金を失ってしまいました。


 ジェームス・リックの場合はブラナンと違い、財産をたっぷり残して死にました。彼は慈善家で、たくさんのものをカリフォルニアに残した人で、それは今でも残っていますが、それは後で触れるとして、どうして彼がそんな大金持ちになったのでしょうか。

 彼の生涯は悲劇には終わりませんでしたが、その出発は悲劇だったのです。



               *


 ジェームス・リック(1796-1876)はペンシルベニアの小さな村に、大工師(箪笥などを作る大工)の子として生まれた。7人兄弟の長男で、13歳の時から働いた。とても器用で、なかなか腕がよかったようだ。

 そして、同じ町に住むバーバラという少女と恋に落ちた。

 ジェームスが21歳の時、バーバラが妊娠したので、彼女の父親のところに娘さんをくださいと頼みに行った。


 すると父親が「ポケットにいくらあるか」と訊いた。

 ジェームスは大工の腕はあったのだが、ポケットには小銭しかなかった。


「貧乏な男に娘はやれない。自分のようにミル(粉砕機)が持てるくらい金持ちになったら、結婚を許してやる」と父親が言った。

 ジェームスが貧乏だということもあるだろうが、当時のことだから、父親は結婚する前に関係を持つような不誠実な男に、娘を嫁がすわけにはいかないと思ったのだろう。

 

「ミルが買えるほどの金がたまったら、戻ってくるからね」

 ジェームスはお金が貯まったら、バーバラと結婚できるものだと信じた。


 ジェームスは早くお金を貯めたい一心でバーバラを置いて故郷を去り、ニューヨークに行き、ピアノを作る技術を習った。当時、ピアノはよく売れた。しかし、彼は職工のひとりで、給料は安いから、なかなかお金が貯まらない。


 その頃、ピアノは主に南アメリカに輸出されていたので、南アメリカでピアノを制作して売ったら儲かるのではないかと考えて、25歳の時に、アルゼンチンに行った。そこではピアノ作りをしている時に病気なって死ぬ思いもしたが、回復すると他の国へも行き、いろいろな仕事をして、とにかくお金を貯めた。バーバラと結婚するためである。


 ミルが買えるくらいお金が貯まったのは36歳の時。

 これでようやく結婚できると喜んで故郷に帰ったが、その時、バーバラはすでに別の男に嫁いていたのだった。

 父親の命令なのかもしれないが、バーバラは待っていてはくれなかった。


 ジェームスは落胆してアルゼンチンに戻り、そこからペルーへ移った。そして、一念発起して、サンフランシスコでやり直すことにした。それが1848年で、カリフォルニアに金が見つかる数日前のことだった。


 サンフランシスコに着いたジェームスは、近郊で金が出たことを知り、金採掘にも出かけたたのだが、それは1週間でやめた。


 彼はサンフランシスコに来る時、大工道具や、作業机、それに隣人から大量のチョコレートを仕入れて持ってきた。そのチョコレートが。予想外に、あっという間に売れたのだ。

 それで、ペルーの隣人だったギラデリを呼び、チョコレート工場を作った。サンフランシスコ名物のあのギラデリチョコレートはこうして生まれたのだった。


 ジェームスはチョコレートだけで金持ちになったのではない。それはほんの1部で、不動産、ホテル、など様々な事業に手を伸ばして、どれも成功した。



 そんなわけでジェームスは金持ちになり、ミルも数個も所有したが、彼は生涯、誰とも結婚することがなかった。

 

 大きくなった息子を招いて、ともに暮らしたこともあったが、うまくいかなかった。ジェームスは動物愛護の人で、息子がオウムを虐めたところを見て、我慢ができなかったという話が伝わっている。


 ジェームスはさいごまで、ひとりだったが、邸宅には大きな温室があり、それは今、ゴールデンゲートパークの中にある。

 彼が死んだ時、その財産すべてを300万ドルを公共に寄付した。あまりに大きな額で、今の価値に直したら、何百億円なのか、兆円なのか、計算ができない。

 サンフランシスコのいろいろな場所に、ジェームスが贈ったモニュメントがおかれている。浮浪者のためのお風呂の家も建設したし、ゴールデンゲート公園にある科学博物館の設立にも力を注いだ。

 

 ジェームスの遺言には、そのうちの70万ドルで、天文台を作るように書いてあった。10年かかって、サンノゼ近くのハミルトン山の山頂に、3メートルの望遠鏡をもつ天文台と研究室が建設された。シリコンバレーが望められる大天文台は、今はカリフォルニア大学サンタクララ校が管理している。

 

 ジェームスは結婚を許してもらえなかったことがきっかけで、大富豪になった。しかし、彼が若い時に夢見たバーバラとの家庭を築くことはできなかった。


 物語のような話だけれど、事実である。



               *


 バーバラはどうして彼を待つことができなかったのでしょうか。

 ようやく見つけた資料によると、彼女の本名はバーバラ・スネ―ブリーと言い、ジェームスよりひとつ年上で、25歳の時に結婚しています。

 どうも4、5年は待っていたようですが、ジェームスが南米に去った頃に、もう帰ってこないと諦めたのでしょうか。ジョン・デッシュという5歳年下の男と結婚しています。


 ジェームスが36歳で戻ってきた時、彼女がどう思ったのかが書いてある資料はないのですが、すでに5人の子供がいたから、どうすることもできなかったのでしょう。そのバーバラは52歳で亡くなっています。(ちなみに夫のデッシュは2年後に再婚、80歳まで生きました)


「リック天文台」が10年かかって完成した時、ジェームスのお墓は天文台の下に移され、今でもそこにあります。

 どうしてリックは天文台を建てたいと思ったのでしょうか。

 彼が南米で、バーバラのことを思いながら、よく夜空を眺めていたからではないでしょうかね。


 男性って、愛する人のためなら、何でもできてしまうのですね。もちろん、人によりますが。そんな話が、もうひとつ続きます。


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