ユニオンスクエアの女神、アルマは強いのだ

   

 男性の話が続いたので、今日は女性の話です。


 サンフランシスコのダウンタウンの中心に、高級デパートに囲まれて、「ユニオンスクエア」という公園があります。

 ユニオンというと「組合」と思うかもしれませんが、ここでのユニオンは南北戦争の時の「連合軍」つまり「北部」のことです。


 ここで北部を支援する大集会が行われたことから、そう呼ばれるようになったのです。

 ちなみに南部は(Confederate States)と言い、当時のカリフォルニアは南部を応援する人達が多かったのです。その流れを変えたのがスター・キングという青年牧師でしたが、彼の話は後に。


 今のアメリカ政党は、民主党と共和党。リンカーンはケネディやオバマと同じ民主党だと思われるでしょうが、彼は共和党でした。当時は保守的なのが共和党で、今とは逆だったのです。


 さて、そのユニオンスクエアの真ん中に、アラベスクのような塔があります。それは「勝利の像」で、女性が上に乗っていて、鍬のような槍と花輪を掲げ、片足を上げています。

 そのモデルになったのが、アルマ・スプレックルズ、今回の主人公です。

        


 パシフィックハイツという高級住宅街にある一番豪華な邸宅といったら、アルマ・スプレックルズの屋敷です。今はダニエル・ステールというベストセラーを量産するロマンスノベルの作家が住んでいます。

 またリージョン・オブ・オーナーという美しい美術館がありますが、それが建てられたのはアルマ・スプレックルズの発想と寄付でした。


 アルマは身体も態度も、やることも大きいので、「ビッグ・アルマ」と呼ばれています。では、アルマがどんな金持ちだったのかと思われるかもしれませんが、その出発点は貧しい洗濯屋の娘でした。

 

 

                *


 アルマ・スプレックルズ(1881-1968)はデンマークからの移民の子だった。

 家が貧乏で学費がままならず、学校も14歳で止めなければならなかった。


 アルマは家業の洗濯屋を手伝いながら、自分で勉強を続け、特に美術が好きなので、近所にあった絵のクラスに登録した。


 アルマは180センチを越えた長身で、飛び抜けて目立つ容姿だったので、クラスでモデルを頼まれるようになった。

 モデルをすると、お金がはいる。それで、アルマは勉強はさておき、まずは学費稼ぎをしようとヌードモデルに専念することにした。


 生まれて初めてまとまったお金が手にはいり始めた。十代のアルマは町のバーやクラブをはしごして、遊び回るようになった。アルマは鉱山の荒くれ男達から人気があったのだが、その中にチャーリー・アンダーソンというアラスカの鉱山で少々金持ちになった男と親しくなった。チャーリーが結婚の約束をしたので付き付うことにしたが、彼が結婚してくれないことがわかった。


 しかしアルマはこんなことには目をつぶらない。戦うほうを選んだ。婚約不履行と暴行で訴えた。その額5万ドル。今にしたら2億円くらいになるだろうか。

 セクハラという言葉さえ存在しなかった時代に、20歳の女子が男を裁判に訴えたのだから、すごい女子なのだと思う。受け取った額は1250ドルだったが、とにかく勝利したのである。

 お陰でアルマは時の人、スキャンダルの女王になってしまった。しかし、そんなことで臆病になって隠れているような彼女ではない。またモデルに戻った。


 さて、当時ユニオンスクエアでは、公園の真ん中に記念石柱を立てるという計画が進んでいた。サンフランシスコにパリにあるような公園がほしかったのである。

 

 初めはスペインとの戦争の英雄、デウェイ提督の像の予定だったけれど、サンフランシスコ訪問中に撃たれたのが原因で亡くなったマッキンレー大統領の像にしようということになった。

 けれどこのマッキンレー大統領は鼻も曲がっているし、どうも背格好がよろしくない。像としては、ぱっとしないではないかという意見が出た。

 それで一般から広くアイデアを公募しようということになったのだ。

 そこで選ばれたのが、ロバート・エイトキンという彫刻家の女神案で、そのモデルになったのが、アルマだった。


 その時、審査員長だったのが、砂糖王のアドルフ・スプレックルズ(1857-1924)だった。彼の父親はハワイにサトウキビを植えて大成功した人で、息子のアドルフが後を継いでいた。

 

 アドルフがアルマというモデルに興味をもったからその案を採用したのか、女神になるモデルに会いたいと思ったか、そこのところはわからないが、この女神像が採用になり、それがきっかけで、ふたりは付き合い始めたのだった。


 世の中には、従順で影のようについてくる女性が好きという男性もいるし、またライオンのように吼えて噛み付いてくる歯ごたえのある女性が好きだという男性がいるものだ。

 アドルフも大人しい女性には物足りなさを感じるタイプだったようである。

 実は彼自身も、何度もスキャンダルの中心にいて、あれこれと新聞に書かれた人なのだ。


 1884年、アドルフは、自分の会社のことについてあることないことを書かれたのでかっとなり、ある人物を射ち殺したという過去をもっていた。

 

 アドルフに殺されたのはマイケル・デ・ヤングという有名な新聞社「クロニカル」のオーナー、デ・ヤング兄弟のひとりだった。

 裁判ではアドルフは「一時的錯乱」ということで、無罪になったのだった。よほどの手腕弁護士を雇ったのだろう。


 そういう経歴の彼だから、アルマの過去くらい問題ではないのだ。それどころか、より魅力的に見えたのかもしれない。

 ふたりの年の差は24歳、付き合い始めて5年後の1908年、アルマが27歳の時に結婚した。


 さて、大地震から10年がたった1915年、サンフランシスコで、パナマ海峡開通記念に万国博覧会が開かれた。

 その時のフランスのパビリオンは、パリのレジオンドヌールの建物がモデルになっていた。

 アルマはその建物の美しさに感動した。

 このサンフランシスコの町に、ぜひ同じものを建てたいと思ったのだった。

 普通の人はその建物が美しいと思っても、同じものを建てようとか、建てられるとは思わないだろう。それができるのが、アルマの普通の人と違うところである。


 アルマはフランス政府と交渉して許可を取ったのだった。どのように交渉したのかは知らないが、なぜか、フランスから許可が下りたのである。


 彼女は夫の会社から資金を出させ、寄付も集め、大奮闘の末に建物を完成させた。それがサンフランシスコの「リージョン・オブ・オーナー美術館」である。

 彼女はその美術館をサンフランシスコ市に寄贈したのだった。

 すごい行動力。


  ところで、アドルフが射殺したデ・ヤング兄弟が建てたのが「デ・ヤング美術館」で、スプレックルズが建てたほうが「リージョン・オブ・オーナー」美術館である。

 1972年に市が、西洋の美術品は「リージョン・オブ・オーナー」に、南北アメリカ、アフリカの美術品品は「デ・ヤング」に分けて、ふたつ合わせて「サンフランシスコ美術館」とした。別々の場所にあるが、1枚の切符で両方に行ける。

 加害者と被害者の建てた美術館がひとつになったいうわけで、このことはおもしろいと言えばおもしろい。


 しかし、デ・ヤングには西洋の絵画がまだいくつか残っている。たとえば、モディリアーニ、ダリなど。

 どうしてここにあるのかと尋ねてみたことがあるが、それは寄贈した人から「この美術館から移動させてはならない」と一筆書かれているからなのだそうである。


 さて、リージョン・オブ・オーナー美術館にはたくさんのロダンの彫刻がある。それはアルマがパリに行って、直接ロダンと交渉して買ったものだという。


 私はパリにあるロダンの立派な屋敷に行ったことがあるが、アンブリッドの近くにあり、庭からはエッフェル塔が見える。セーヌ川やシャンデリゼまで15分くらいのものである。

 当時、芸術家といえば貧乏で、新進芸術家はモンマルトルの安部屋に住んでいたのである。それと比べると、ロダンの生活ときたら、贅沢である。

 郊外にも屋敷があり、他の芸術家とは比較できないほどのリッチさだ。

 

 彼はどうしてこんなに金持ちだったのかと驚いてしまう。絵はオリジナルが1枚だが、ブロンズの像は、型さえあれば10個くらいは鋳造できるということもあると思うけれど。

 リージョン・オブ・オーナー美術館にある数々のロダンの彫刻を見ていると、ロダンの家計には、アルマがかなり貢献したのではないかと思うのである。


 モーパッサンの女の一生の中で、次々と悪運に見舞われる主人公ジャンヌが、「ただ亭主運が悪かっただけよ」と言われる場面がある。

 では、アルマは「ただ亭主運がよかっただけ」なのだろうか。そんなことはないだろう。彼女は自分の意思と行動で、幸運をひっぱって来た女性だと思う。


 

             *


私は時々、ダウンタウンの真ん中にあるユニオンスクエアに寄ります。

広場の真ん中には、あのアルマがモデルになったという像が立っていて、彼女はサックスやティファニーのビルを背にして、メーシーズデパートのほうを向いています。


この勝利の像は、ここに立ってから3年後に起きた1906年の大地震にも耐え、ずうっと人々の様子を見てきたのです。

 この広場では、さまざまな催しがあり、冬にはクリスマスツリーも立てられ、スケートリンクもできます。


「まさに、あなたにぴったりの場所だわ。にぎやかな所で、人々を眺めていられて、よかったわね」

 と私はアルマに話しかけてみます。


「なんて能天気な感想な人だこと。では、1日くらい代ってみる?」

 と彼女の声が聞こえる気がします。強気なアルマにはかなわない。


 私には、デンマーク人の女性は強くて、意見をはっきり言うという印象があります。

 知り合いに、デンマーク人のリサというやはり大柄の女性がいますが、夫は大きな会社の社長でした。しかし、夫は妻の前では借りてきた猫のようにおとなしく、リサが何かを言うと。

「Yes, Dear. You are right」

 つまり、 「そうだね、きみの言うとおりだよ」

 と言うのでした。

 そんなことを何度も、何度も部下の前で言って、恥ずかしくはないのでしょうか。それより、妻が怖すぎるから、妻から叱られないことしか頭にないのかしら。


 それで私達は陰で、いつもその口癖、「Yes, Dear. You are right」を

真似して笑っていたものです。



      

        

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