ミセス・ホプキンズの再婚 (4) メリーの遺産のゆくえ
ハネムーンから故郷に戻ってすぐ、メリーは病気になった。肋膜炎だということだが、詳しいことはわからない。
エドワードは神経質な性格で、外の騒音が聞こえてうるさすぎると、妻の屋敷の周囲に高い塀を建てた。それでも音が気になって仕方がない。
彼の故郷に建てた屋敷のほうが妻の養生には適していると言って、メリーをそちらに移した。彼女は故郷にいたかったのか、エドワードが望むなら彼の故郷のほうがよかったのか、そこのところはわからない。
しかし病気は回復せず、結婚4年目、メリーは73歳で亡くなった。
危篤だということは親戚には一切知らされておらず、実際、どのようにしてメリーが亡くなったのかは、エドワードしか知らない。
メリーの遺書が公開された時、世間は驚いた。
「すべてを夫エドワードに」
と書いてあったからである。
遺産の大半は養子テムシーに行くはずだったのに、彼の名前がいつの間にか遺書から消えていた。兄弟や、姪や甥の名前もなく、サンフランシスコのノブヒル屋敷、ニューヨークの家など数軒、それに何百億ドルという財産のすべてを、エドワードに譲るというのである。
それを聞いたテムシーは「そんなことが、あるはずがない」と思った。
遺言もおかしいし、さらに死因にも不審を抱いた。
テムシ―自身のコメントはないが、新聞記者の質問に対して、テムシーの兄がこう答えている。
「テムシーが3歳の時からホプキンズ家で暮らすようになったのは、メリーからどうしてもと頼まれたからで、母は最後まで迷っていました。その時、メアリーはテムシーが家に来てくれたら、彼に大学までの教育をつけること、遺産を残すことを母の前ではっきりと約束したのです。だから、遺書にテムシ―の名前がないなんてことは、ありえません」
実際、テムシーは甘やかされた養子ではなかった。マークの後を継いで鉄道会社に勤務、後には会計主任にもなり、他の銀行などの役員も勤めた。
またノブヒルの家にはメリーの妹の娘が同居するようになり、1882年に、テムシーはその娘と結婚したのだった。
その頃はまだサンフランシスコにいたメリーからは結婚を祝福され、メロンパークなどの広い土地を贈られた。テムシ―はその土地でバイオレットや菊を育て、そちらのビジネスでも成功していた。
テムシーにはメリーの遺書から自分が抹殺されてしまった理由がわからなかった。養母がそんな遺書を書くわけがないのだ。
それでテムシーは裁判に訴えることにした。法廷の場で、真実を明らかにしてもらおうというのだ。
娯楽が少なかった時代、スキャンダルは人々の大いなる楽しみだった。いや、娯楽が多い今でもそうなのだから、当時の世間の大騒ぎが想像できるというものである。
日夜、新聞記者がエドワードの屋敷に群がり、彼の一挙一動に、好奇の目が注がれていた。
年上の金持ち女性と結婚、派手なハネムーン、自分の故郷に部屋数が74もある豪邸
を建築。しかし、妻はすぐに死に、遺産は全部彼へ。
まるでソープオペラの原点のような話だ。
そういう騒ぎに対して、エドワードはどう思っていたのだろう。
「何をしたって、言いたい者は言うさ。言いたい者には言わせておけ」
エドワードが住んだ屋敷の壁には、今でも、この座右の銘が残されているという。どうも、かなりしたたかな男のように見えるのだが。
さて、いよいよ裁判が始まり、注目のエドワードが証言台に立った。
「あなたは愛のために結婚したのですか。それとも、金のためですか」
とテムシーの弁護士が質問した。
「両方です」
とエドワードが答えた。
固唾をのんでいた人々はみんな驚いた。
エドワードならしれっとした顔で、「愛です」と答えると予想していたのだったから。
「両方です」と答えたことで、エドワードはかえって好感をもたれた。
エドワードによると、メリーは東部に来てから、テムシーとは一線を画していた。彼を養子にしたことすら、後悔していた。その理由は、マークの財産処理の時に、テムシーがメリーを騙していた事実を発見したからだ。その証拠としては、メリーの日記があるという。
テムシーは養母を騙したことなどないと反論したが、それが証明できたとしても、メリーがどう思っていたかは別問題なのだ。それが誰かの入れ知恵があったのかもしれなかった。
その時、テムシー側の弁護団は、この裁判の鍵を握っているあるひとりの男を懸命に捜していた。彼がメアリーの死について、何かを知っているはずなのだ。しかし、今でも戸籍謄本や住民票がない国なのだから、当時の人探しがどんなに困難か、想像がつくだろう。そして、その男は見つからなかった。
テムシーは考えた。養母が結婚して東部に移ってから、疎遠になっていたのは事実だった。彼はメリーの家を訪ねていったことがなかった。メリーが結婚して幸せにやっているものだと思っていたし、彼はスタンフォード未亡人を助けて忙しかった。スタンフォード大学の経済的危機を乗り越えるために、テムシ―は尽力していたのだった。
スタンフォードの息子とテムシーとはほぼ同じ年齢で、子供の頃は一緒に遊んだ仲だった。だから、テムシーはどうしても、ジュニアの名前がつけられたスタンフォード大学を存続させたかった。 (テムシーはその後、51年にわたり、スタンフォード大学の理事を務めた。ホプキンズ・ステーションという海洋研究所が残っているし、自分の財産の多くをこの大学に残した)
自分のビジネス、そてスタンフォード夫人を助けるために忙しく、東部にいるメアリーを訪ねていく時間がなかった。
年老いて床に伏していたメリーは、どんなに寂しかったのだろう。心が動揺していたことだろう。
そんな時、息子が優しく背中を撫でて、「ママ、大丈夫だよ」と言ってあげたら、どんなに慰められたことだろう。メリーはどんなにか自分に会いたかったことだろう。
メリーは、テムシーがスタンフォード夫人の息子のような存在になって、親身に面倒をみているという話を聞いて、嫉妬したのかもしれない。憎むようになっていたのかもしれない。メリーはあることないこと邪推して、自分や親戚の名前を遺書から消したのかもしれなかった。愛が大きければ、憎しみも大きいのだから。
エドワードが遺書を工作したという証拠が見つからない今、もう戦うのはやめようとテムシーは思った。
裁判は法廷外で調停にされることになった。
エドワードもこれ以上、プライベートをこれ以上公開されたくなかったから、交渉に応じた。
その結果、テムシーには300万ドル、メリーの親戚にもいくらか支払い、メリーの遺産劇の幕が閉じられた。
エドワードが支払ったのは全遺産の20分の1ほどで、ほとんどが、エドワードのものになったのだった。
彼はその時50歳で、死んだのが79歳だから、30年という時間があった。
使いきれないお金と30年という月日を手にしていたエドワードがどんな人生を送ったのか。
それはたぶん、みなさまが想像するようなものではないのではないかと思う。
*
テムシ―がエドワードを訴えた裁判で、エドワードが証言席にいる様子を描いた新聞記事があるので、それを近況ノートに載せてみます。ご興味のある方はどうぞ。
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