スタンフォード大学が息子の名前を残すために作られたものだということすら知りませんでした。
今じゃ世界屈指の超一流って感じなのに経営が危なかった時期もあるんですね。
面白いです。
誤字報告です。
みんな自分達の子供なんだよ。これからはそう思って思って生きることにしよう。
思ってが2つ並んでいたので一応報告しときます、文脈としてはこのままでもいいかもしれません。
その2年後に夫のタンフォードが亡くなった後、
↓
スタンフォード
とジェーンは笑った。久しいぶりに笑った。
↓
久しぶりに
追記
僕は子供の頃にガンで入退院を繰り返す母親に連れられて「エホバの証人」と言うキリスト教の集会に行っていたのですが、母親が自殺で死んでから「エホバの証人」はやめました。
「エホバの証人」の強調する教えの一つに「偶像崇拝の禁止」と言うのと「母親の死」があわさって、「エホバの証人」の教えが「個人主義に目覚めるための踏み台」のように感じたので「エホバの証人」をやめました。
母親が死んでから、悲劇の死とかで涙腺にきます。
作者からの返信
今朝も、ありがとうございます。誤字だけではなく、コメントもありがとうございます。
南都那氏さんは大人になる前から、いろいろな戦いがあったのですね。明るいアルヴィンのような物語をお書きなので、もてもての悩みなしの子供時代を過ごされた方なのかと思っていました。こちらこそ、涙腺ゆるみました。
カトリックを辞めた友人がいるのですが、小さい時に兄弟を失くしたそうです。その時の神父の言葉が、ここに書いてあるものに似ていて、やっぱり肉親はそんなきれいごとでは納得できないのだと思いました。両親からしてみれば遅くにできた大事な息子を取られただけです。だから、その悲しみを大学の設立という形で昇華する意志の強さに押されました。すごい。こんなに意義のある存在の証があるでしょうか。ちょっと涙腺に来ました。
作者からの返信
柊圭介さん、
コメント、ありがとうございます。
その友人のお気持ち、よくわかります。私は洗礼を受けてはいませんが、よく祈っていました。どんなに祈っても、ある大切な人が死んでしまった時、祈ることをやめました。そんな悪態をついて神から罰を与えられるかもしれないと内心恐れましたが、それでもいいと思いました。もう随分前のことで、それ以後も厳しいことがあり、時々祈りそうになりますが、祈ってはいません。意地を張っています。スタンフォード大学のキャンパスに美術館があり、入口のところに家族の部屋があります。中央にジュニアの大きなかわいい肖像画が飾ってあり、それを見た時、「あなたのおかげでこの大学ができたのよ」と涙がこみあげました。
人生は意義深く、母親の愛は強いですね。
素晴らしいエピソードでした。