1906年大地震(1) グレート・カルーソーは語る
ジュリア・モーガンのところでもそうでしたが、これまで何度かサンフランシスコの大地震について触れました。
今日からはその地震についての話です。
でも、2024年の1月1日の午後、能登半島にM7.6の地震が起きたばかりですし、阪神淡路から28年。こんな時に地震のことについて書くと、また傷つく方がおられるかもしれないという懸念はあります。
気をつけて書きましたが、読まれる方の神経に障るような部分がありましたら、すみません。
今から118年前の1906年、4月18日朝の5時12分、サンフランシスコに震度7.8の大地震があり、町の8割が崩壊しました。
なぜそんなに被害が大きかったのかというと、火災で原因でした。火事は3日間続き、町中を焼いたのです。
その時の写真は残っていますが、もちろん動画はありません。
でも、その時、ある有名なオペラ歌手が公演のためこの町に来ており、地震の体験を後日インタビューで語っています。
今回は彼の語ったことをご紹介します。
*
イタリア人のテノール歌手といえば、まずレチアーノ・パブァルッティの名前があがるだろうが、ひと昔はカルーソだった。
カルーソーの場合には、名前の前にグレイトがついて、「グレイト・カルーソ」と呼ばれている。そのことからも、どのくらい偉大だったのか、想像がつくというものである。
そのグレイト・カルーソ(1873-1921)はあの1906年のあの大地震の時に、サンフランシスコに居合わせた。
サンフランシスコのほとんどの建物が崩壊してしまったというあの大地震の日に。彼の言葉から大地震の様子がそれはよくよくわかるので、ここに書いてみたい。
その 地震の時、グレート・カルーソーがびびって取り乱していたとか、泣いていたとか、新聞があれこれおもしろく書きたて、人々の話の種になった。それに大して、カルーソーはしばらく沈黙を守っていたが、2ヶ月後に、ロンドンで真相を語ったのだった。
地震の様子だけではなく、ベスビアス火山のような歌声と言われた33歳のカルーソーの人となりがわかってとても興味深い。
彼が泊っていたのはマーケット・ストリートにあり、当時世界一豪華だと言われていたあのラルストンが建てたパレスホテルだった。
話には、忠実な召使が出てくるのだが、その名前がわからないので、ここではマリオと呼ぶことにする。
カルーソーはこう語っている。
「地震の時に、自分がどんな様子だったとか、アメリカの新聞があることないこと書きたてているようだが、ほとんどは、事実でないことばかりだよ。
恐怖でがたがた震えていたとか、公園で、旅行カバンの上に座って号泣していたとか、そういうのは全部作り話だ。
もちろん、突然の大地震なんだから、他の誰もと同じように怯えてはいたけれど、頭のほうはしっかりとしていたよ。
あの時、自分はパレスホテルに泊っていた。部屋は5階にあり、地震前夜の火曜日の夜、オークランドの劇場ではカルメンをやったのだが、それが大成功だった。だから、その夜はとても満足な気分で、ベッドにはいったんだ。
自分は、朝はいつも早く起きる。時には、散歩に出かけたりする。
その水曜の朝は、5時頃、目が覚めた。
それが、船に乗っているみたいに揺れている感じなんだ。一瞬、自分は、あの美しい祖国イタリアに向かっている夢を見ているのかな、と思ったよ。
そしたら、静まった。
そして、また揺れた。
今度は揺れ続いて、止まない。
それで窓のところへ行き、カーテンを開いて外を見たんだ。
そこに見たものは、ああ、なんて恐ろしい光景だったろう。
建物が倒れ折り重なっていて、その上に、大きな石みたいなものがのっかっていた。上から落ちてきたんだろう。下の通りからは、人の叫び声や泣き声が聞こえてきた。自分は、もしかして、悪い夢を見ているんだろうかと思った。
40秒くらい、そこに立っていた。
その40秒の間中、部屋は海の上の船みたいに揺れていた。自分は、4万くらいの、もういろんなことを考えた。
今までの人生でやってきたことが、目の前を通り過ぎた。
大事なことや、ささいなこと。初めてグランドオペラの舞台に立った時のこと。どんなふうに受け入れてられるのか、とてもナーバスだったこと。それから、昨夜のカルメンの舞台のこと。
いやいや、そんな場合じゃないと思い直して、召し使いのマリオを呼んだ。
マリオはすぐにやって来た。
彼ときたら意外に落ち着いていて、
「ご主人、こんなの、たいしたことじゃないです。まず着替えて、広い場所に行きましょう」
と言うんだから、たいしたもんだ。
その時は天井からいろんなものがシャワーみたいに落ちてきて、もう足の踏み場もなかった。これは急がなくてはと、どんなものでもいいからととにかく着替えて、その上に、コートを羽織った。
また大揺れがやってきたので、もう、飛び上がったね。
今にも天井が落ちて、下敷きになるんじゃないかと思ったからね。
建物が崩れ落ちる音、人々の叫び声はずうっと続いていた。自分とマリオは階段を下りて、通りに出た。
マリオは勇敢だったよ。ひとりで部屋に戻り、持ち物をトランクに詰めて、運び出した。それを6回も繰り返したんだから、すごいもんだ。
自分はそのトランクを見張っていたんだけれど、知らない男が来て、それを持っていこうとするのだ。
何をするかととがめると、これはおれのものだ、きさまこそ、何だと言いやがると言うではないか。
そこに兵隊がやってきたから、
「私はカルーソーという者で、昨日、カルメンを歌った歌手だ」というと、兵隊は自分のことを知っていて、その変な奴に、「立ち去れ」と命令した。
それから、3ブロックほど離れたユニオンスクエアに行った。
ユニオン・スクエアにはたくさんの人がいて、何人かの知っている顔もあった。
音楽家のひとりは、声以外のすべてを失くしたと言っていた。でも、生きていられてよかった、ラッキーだとも言っていた。
壊れていない家があるから来てくださいと誘ってくれた人もいたけれど、オープンスペースでないと安心はできないから、断ったよ。
あまりに疲れたから、そのスクエアで、少し横になって休んだ。
マリオは荷物を見るために、ホテルに帰っていった。すると、赤い炎が見えて、町中が火に包まれていったんだ。
一日中、安全な場所を捜して、町をあちこちとさまよった。
どうしても、この町から逃げ出さねばならないと思った。
けれど、兵隊が道を閉鎖して、通してくれないのだ。
だから、その夜は地べたで寝るしかなかった。こんな経験は初めてだった。身体中のあちこちが痛んだよ。
翌日、マリオがどうやって見つけたのか、馬車を持っている男を捜してきた。我々をオークランドまで運んでくれるというんだ。高額は要求されたけど、そんなことを言っている場合ではない。荷物を積んで、その上に座ったよ。
その時見た光景は、とても現実のこととはとても思えないものだった。建物は崩壊し、煙と埃が舞っていた。(近況ノートに、カルーソが描いたスケッチをアップしました)
オークランドに着いた時、汽車が出発する寸前だったので、それに飛び乗ったんだ。
ニューヨークまでの旅は長かった。
その間中、ほとんど眠ることができなかった。
ようやくニューヨークにたどり着いた時、私は妻や子供のいるあの美しいイタリアに帰ることばかり考えていた
今でも、あの恐ろしい揺れを思い出し、1時間ごとに目が覚めるんだ。あれは本当に恐ろしい経験だった。自分は二度とサンフランシスコに、行くつもりはないよ」
カルーソーは実際、二度とサンフランシスコを訪れることはなかった。
オリジナルのパレスホテルは小さいサイズで再建された。
ホテルはかつてグレイト・カルーソーが泊ったことを誇りにしており、今でも、ロビーに写真が飾られている、はずなのだったが、最近行ってみたら、なかった。
そう、あんな「グレイト」な人だって、時がたてば、忘れられてしまうということなのだ。
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