走れ、リリー ! 最高にオリジナルな女子

  

     

 今度は19世紀後半に、サンフランシスコを文字どおり走ったおてんばな少女の、ちょっと愉快な物語である。その彼女が86歳で亡くなった時、新聞が「サンフランシスコが産んだもっともオリジナルな女性」と書いた。

 

 そういう時代だったからそれができなかった、ということをよく聞くが、彼女の場合はそれがなかった。

 彼女の名はリリー・ヒッチコック・コイト(1843-1929) 。あのスリラー映画のヒッチコック監督とは関係がない。念のため。


     

 サンフランシスコを訪れた人なら、必ず目にしているコイトタワー。

 テレグラフ丘の上に立っている白い煙突のようなモニュメントで、あれはミセス・リリー・ヒチコック・コイトが寄贈したお金で建てられたモニュメントである。


 私は長い間、あれは消防のホースのノズルだと思っていた。ミセス・コイトが、亡くなった消防士の夫を偲んで作らせたのだと、友達が教えてくれていたので。

 しかし、調べてみると、事実はそういうことではない。それに、このモニュメント自体も、彼女のアイデアというわけではないのである。


 リリーの 生まれは東部で父は軍医だったが、7歳の頃、サンフランシスコにやってきて医院を開いた。 この医者のお嬢様リリーちゃんは、今風に言えば、消防士おたく。消防車が大好きなのだった。


 8歳の頃、友達とあばら家にはいって遊んでいたら火事になり、そこをある消防士に助けられたのがきっかけだと言われているが、とにかく、消防車が大好き少女なのだった。


 日本の江戸時代でも、現場に一番乗りして勇ましく纏を振る火消しの組は、たいそう人気があったとそうだが、このサンフランシスコでも、一番先に火事現場に到着して、ホースで水をかけることが消防団の名誉とされていた。


 当時はたくさんの消防団があったのだが、その中で、リリーちゃんのご贔屓は、その助けてくれた消防士が所属する「ニッカーボッカー・エンジン・カンパニー・ナンバー・ファイブ」、という長い名前の消防団。団員はたいていがボランティアで、日本の青年消防団みたいなものである。


 リリーちゃんが15歳になったある午後のこと、学校が終わり、家に向かって歩いていると、テレグラフヒルで火事が発生したのに出くわした。

 大好きなナンバー・ファイブがどこより早く出動したのを見て喜んだのだが、そのあたりはかなりの坂で、ファイブの消防車のエンジンが止まってしまった。そして後から来た別の消防団に、追い抜かれてしまったのだった。

 

 それを見ていたリリーちゃんは抱いていた教科書を地面に投げ捨て、ナンバー・ファイブの車を押す列の中にはいった。

 そして、大声で檄を飛ばしたのだという。

「あんたたち、男でしょ。がんばりなさい。さあ、そこにいるみなさんも力を貸して。絶対に、ナンバー・ファイブが一番乗りするのよ」

 もうサンフランシスコのジャンヌ・ダルクである。


 その勇ましい女の子の声に、人々はこれは何事なのかと続々集まってきて、車を押したのだった。

 おかげでナンバー・ファイブは、なんと一番先に火事現場に到着、一番先に放水したのだった。

 やったねー。

 

 その後、リリーはますますこのナンバー・ファイブにはまり、火事の知らせを聞くと、長いスカートをたくしあげ、長い髪を揺らして走った。

 そして、汗だくで現場に駆けつけると、大声でナンバー・ファイブを応援するのだった。

 少女が消防団を追って懸命に走る姿は町の人々にエネルギーを与え、彼女は消防ガールとしてすっかり有名人になった。


 しかし、いつの世も、人には口があるのだ。

 そんな下品なことは上流階級の娘がすることではない。

 女の子がはしたない。

 そんな陰口をたたく人がいて、今なら炎上するところ。

 それで、リリーの両親は悩んだのだが、リリーは全く平気、噂なんか気にする小さな器ではない。リリーは火事現場を目指して走り続けたのだ。


 リリーも消防団に加わりたかったが、女子だということで拒否されていた。

 しかし、消防団のほうもリリーの熱い走りには感謝していて、彼女が20歳になった時、名誉消防士に任命した。リリーは大好きな消防士の赤い帽子と制服をもらい、男の世界だった消防団の一員になれたのだった。(その写真を近況ノートにアップします)

 それで、いざ火事の時には消防車に同乗して、現場に駆けつけることができるようになった。

 

リリーは普通のお嬢様ではない。

 団員と葉巻をふかしたり、酒を飲んだり、男性しかはいれないノースピーチの危険なギャンブル場にも出入りした。彼女はポーカーが大好きなのだ。


 時にはギャンブル場にはいるために、男性用のかつらをつけた。そのために、頭の毛を剃っていたという説がある。それが真相かどうかは別として、リリーは意識していたわけではないが、ウーマンズ・リブの先がけのような存在だったのである。


 大人になってからは現場に駆けつけることはなくなったが、ナンバー・ファイブからもらったバッジは誇りで、いつも胸につけていた。

 リリーは消防士の母のような存在になり、怪我をした隊員をお見舞いに行ったり、花を贈ったりしたそうだ。


 リリーはお酒、ギャンブル、それに銃が好きで、南北戦争では南部の味方。それでも、なぜかリリーは人々から愛された。


 リリーはベンジャミン・ハワード・コイトという株の予想屋の男性に一目ぼれしたが、両親はその結婚には大反対。両親はこの男が金目的だと思ったからなのだが、リリーが聞きいれるはずはなく、ふたりは結婚した。式の途中で、火事のサイレンの音を聞き、ウェデングドレスを着たまま消防車を追ったという話もある。


 結婚してサンフランシスコを離れて住むことになったのは寂しかったが、ヨーロッパなどを旅行し、たくさんの国を回り、フランスでは時の皇帝、ナポレオン三世にも会ったのだという。

 後に、リリーは離婚して、大好きなサンフランシスコに戻ってきた。

 


 彼女は遺書に、

「私が愛したサンフランシスコの美しさに合うような使い方をしてください」

と、財産の3分の1の12万5千ドルを市に残したのだった。

 今に換算したら、4億円くらいだろうか。やはりすごい金持ちの娘だったのね。


 遺産を受け取ったサンフランシスコ市では、コイト夫人の希望に沿うようにしたいとあれこれと考えた。市のテレグラフの丘の土地を提供し、アーサー・ブラウン・ジュニアという建築家に、そこにモニュメントを建てるように依頼したのだった。


 リリーがたくさんのお金を寄付してくれたのだから、市だって、著名な建築家を選んだのだ。ブラウンはサンフランシスコのシティホールや戦争記念オペラハウスを設計した人である。


 できあがったコイトタワーを見た人々は、これはいったい何なのだろうかと戸惑った。そして、たぶん、消防ホースのノズルだろうという結論に落ち着いた。なにせ、消防車大好きなリリーの遺産で作られたのだから。


 しかし、ブラウンは「この塔はノズルではない」と何度も強く否定している。ノズルという推測は、ブラウンの芸術家の誇りをいたく傷つけたようだ。しかし、この声はサンフランシスコの風の中に消えて、ノズル説が強く残っている。私の友達も、ノズルだと信じていた。

 

 では、ブラウンの意図は何だったのだろう。

 この丘の近くにはリトルイタリーがあり、イタリア系の人々が多く住んでいる。コイトタワーのすぐ下には、イタリア系住民の寄贈によるコロンブスの像が海を見つめて立っている。アメリカ海域に一番初めに到達してコロンブスは、イタリア人の誇りである。このイタリア地区にあるこのコイトタワーは、たぶんローマの遺跡をイメージしているのだろう。


 そう、丘の上に立つ1本の石柱、そういうイメージだと私は思う。夕陽の中に立つタワーには、特にそういう趣きがある。

 

 コイトタワーが「サンフランシスコの美しさに合うか合わないか」についてだが、この風景は今ではすっかり町に溶け込んでしまって、誰もそんなことを言う人はいない。

 リリーが想像していたものとは違っていたのではないかとは思うけれど、たぶん彼女は満足していると思う。ここは消防車を追いかけた思い手の場所だし、それに、ここには、毎日、たくさんの人がやってくるから、彼女が好きそうである。

 

 消防車を追いかけたリリーは、当時、サンフランシスコの町の「アイドル」だった。

 今でもそうだが、「アイドル」と呼ばれる人がいて、特に十代の子達は夢中になる。でも、それは特別な誰かがそこにいたから人々が憧れるというよりは、憧れをもって生きたいという気持ちは誰にでもあるから、そのスポットにはいった人物がアイドルになるのではないだろうか。だから、いつの時代にも、アイドルはいるのだろう。


 付け足しになるが、コイトタワーに行く時には、バスやタクシーを使わないで、チャイナタウンのほうから坂を上がり、下る時は階段がお薦めである。

 コイトタワーのそばに、フィルバートとグリニッジのふたつの通りがあるが、その通りというのが階段で、ふたつの階段は途中でひとつになる。隠れた長くて細い階段である。

 階段の両側には閑静な家々が並んでいて、ああ、こんな所に人が住んでいるのだと思う。

 

 フィルバートの階段を下る時、大きなソファを運んで上がって来る人に出会ったことがある。とても大変そう。大きな家具とか、ピアノなどを運ぶ時には、どうするのだろうなんて思った。


 でも、趣きのある庭を見ていると、ここに住んでいる人々は、この場所を深く愛して暮らしているのだと感じることができる。

 観光客で賑わっている上のコイトタワーとは、別世界。

 春の花影もいいし、灼熱の夏も、ここはひんやりとしている。秋は落葉への愛惜をひとりでしみじみし味わえる。冬の雨の日に、手すりにつかまりながら下りていったことがある。木の階段が濡れて光り、ああ、懐かしいにおい。サンフランシスコでは、普通、花や緑に、なぜか匂いがないのである。


 初めて歩いた時、少しじめじめしていて、故郷を思い出させてくれる風情を、こんな町の真ん中で見つけたと思った。

 あのコイトタワーの下のフィルバート階段は、いつ行っても、小さな幸せを感じることのできる場所である。

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