第94話 母の面影

 馬場での仕事を終え、朝食を摂って食器を返しに行く時、ミチャはラーマに呼び止められた。ルノルノが回復したとは言え、まだ男奴隷達に会わせるのはまずいと思い、未だに部屋での食事は続けている。



「何ですか? ラーマさん」



「後でルノルノちゃんと一緒に部屋に来てもらえるかしら?」



 ラーマは楽しそうにそう言った。



「はぁい。何か用事ですか?」



「ふふ、いいもの見せてあげる」



 ラーマは悪戯っぽく笑って、ミチャの頭を撫でて去って行った。


 ルノルノを連れてシュガルの書斎に赴く。ラーマが部屋と言ったら基本的にはシュガルの書斎を指す。


 扉をノックした。



「ミチャとルノルノですー」



「いいわよ。入って来て」



 扉を開けると、ミチャはいつものくせで書斎机の前に座っているシュガルの姿を探したが、そこにはいなかった。その手前のテーブルに目を移動させる。いつもは燭台が置いてあるのだが、今日はそれが撤去され、代わりに見慣れないものが沢山置いてあった。ミチャは思わず目を見張った。



「うわ、すご。ラガシュマとカルファの服だ」



『凄い、いっぱいある……』



 ルノルノも驚いた。


 中にはラガシュマ族ではあんまり使わない色の服もあったが、形や紋様は紛れもなくラガシュマの衣装であった。


 どちらも五着ずつ。かなりの力作である。



「作り出したの、去年の十一月だものね。作ってる間に背丈も変わっちゃってると思うけど……大きめには作ったつもりだから、まず合うかどうかちょっと試着してくれない?」



 あの後シュガルの母が倒れたりルノルノがウルクスにぼろぼろにされたりなど色んなことがあって延び延びになっていた。特にウルクスに支配されていた時は、ラーマ自身ルノルノに関わることは禁じられていた。だから毎日シュガルの目を盗んでちょっとずつ縫い上げていったのだ。



「これで合わなかったら、全部縫い直しだわ」



 そう言って、ラーマは笑った。


 ルノルノはその内の一着を手に取った。母親に服を作ってもらった記憶が蘇る。


 ここに来る時に着ていた服は母親が作ってくれたものだった。あの頃はただ新しい服が嬉しくて、母親の苦労とか愛情とかそういうのをちゃんと考えたことは無かった。それが当たり前の生活だったから。でも失って初めて分かる。母親は自分のことを思い、慈しんでこういう服を作ってくれていたのだ。


 ルノルノは首飾りの母の髪をきゅっと握った。そしてラガシュマ語で祈りの言葉を捧げる。今はこういう方法でしか感謝を伝えることが出来ないのが悲しい。



「ルノルノちゃん、大丈夫?」



 いつの間にか涙が溢れていた。



「大丈夫、なの、です」



 トゥルグ語でそう答え、手の甲で目を拭うと、改めてラーマの作ってくれた民族衣装を見た。


 着物のシェクラとズボンのルサック、靴のパロや帯のヒロン、鉢巻のカンシェまで作られていた。



「何だこりゃ?」



 シュガルがどこからか帰って来た。香油の香りがする。恐らく風呂に行っていたのだろう。



「何って、ラガシュマの服とカルファの服よ。よく出来ているでしょう?」



「いつもこそこそしているなと思ったら……そんなもの作っていたのか」



 呆れた様子でシュガルはそう言うと、書斎机に行き、召使いに命じてコーヒーを注文した。



「ルノルノちゃん、着てみて」



「はい、です」



 ルノルノはトゥルグ語でそう答えると、奴隷服を脱いで下着姿になった。


 それを見ていたミチャは思わずその姿に見惚れる。胸の膨らみは丸みを帯び、少し大きくなったような気はする。意外に長い手足は細いのに力強さを感じる美しい牝鹿を連想させた。引き締まっているのに、どこかふわっとして柔らかそうな肌は高級な絹のようだった。人間的な目をするようになってからは色気すら感じる。それも大人びた性的な色気ではない。どこか現実離れした、妖精のような爽やかな色気だ。


 風呂場でいつも見ているはずなのに、ミチャは少し恥ずかしくなって思わず目を逸らした。


 ルノルノはルサックを履き、シェクラに袖を通す。ヒロンをお腹あたりに巻いて、パロを履き、カンシェを着けた。


 ルノルノの方はそこそこゆとりがあった。袖の中に手が隠れてしまう。



「あら、大きめに作ったけど、大き過ぎたかしら」



「大丈夫、なの、です」



 大きいことは大きいがずれて来るような感じはないし、動きやすかった。恐らく剣術ぐらいの激しい動きをしても大丈夫だろう。



「ミチャ、どうです、か?」



 ミチャは手が隠れるぐらいの袖が可愛い過ぎて思わずにやけてしまう。



「滅茶苦茶可愛い! 出来ればこのまま大きくならないで欲しいぐらい……」



「ありがとう、です。でも、大きくならないのは、困る、です」



 一方、ミチャの方は少しだけゆったりしているだけで、ほぼぴったりだった。全体としてはとても動きやすい。



「あはは、なんか照れ臭いなー」



 ミチャは三歳の時はいざ知らず、少なくとも民族衣装を着た記憶は無い。だから不思議な感じがした。


 シュガルがぼやくように言った。



「奴隷を甘やかしやがって」



「いいじゃない。ルノルノちゃんは競馬の時だって着てたでしょ」



「今のところ、競馬に出る予定は無いぞ。そもそもミチャなんざ馬にも乗れないじゃないか」



 本当はかなり練習してそこそこ乗れるようにはなっているのだが、そのことは内緒だから言わない。



「それに蓄財の罪に問われても知らんぞ」



「あら、この服は私が作ったのだから、全部私のものですよ? この子達には試着してもらってるだけだから」



「詭弁使いやがって」



 ラーマはふふっと笑って二人に向き直った。



「同じ大きさで作ってるけど、一応全部袖を通してみてね。ちょっと多くて大変だけど……」



 確かに五着とも試着するのは大変だった。


 それでもミチャは楽しかった。ラーマさんはより優しく、ルノルノはより可愛くなった。こんな日がずっと続けばいいのに。まともな家族に恵まれたことはなかったが、家族ってこういう感じのものなのかな、と思う。


 ルノルノは最後の一着に袖を通した。濃い黒の布に紫の刺繍が入ったものだった。ラガシュマではこの色使いは無い。だが引き締まった感じがして、これはこれでいいなと思った。



「ラーマさん、ありがとう、です」



「どういたしまして」



 頭を撫でてくれるラーマに、ルノルノはやはり母親の面影を重ねた。



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