第91話 人の考えと自分の考え

『ミチャ……私、暗闇が嫌い。暗闇が怖い。ずっと当てもなくさまよっていた時、何も見えない中をひたすら進んで来た。私の行く先はずっと真っ暗だった。でもその時はキルスが導いてくれた。彼にいっぱい頑張ってもらってようやく死なずにここまで辿り着いた。今も私、暗闇の中にいる気分……。だって導いてくれていたウルクス様はもういないから……。私が死なせてしまったから……』



 ミチャはじっと聞いていた。ルノルノの気持ちを全部受け止めてあげようと思った。



『そうしたら、さっき、クロブ様が新しいご主人様になってくれるって仰ったの。新しい光を見つけたかもしれない……そう思ったの』



『……うん……』



 クロブにルノルノを取られてしまうことを想像し、ミチャは不快な気持ちに囚われた。しかしルノルノの言葉を止めるようなことはしなかった。


 反論してはならない。話を傾聴する。今出来ることはそれだけだ。


 しかしそれも相当な忍耐が必要だった。



『でも途中で、分からなくなっちゃったの。ウルクス様の理想とする奴隷、クロブ様が求める奴隷は多分同じもの。感情を失くし、理性を失くし、ただついて行くだけの中身が空っぽの奴隷。それが奴隷の正しい姿だと思ってる。何も考えず、ただご主人様について行き、命じられるままに身を捧げる。それが正しいの。私も間違ってるとは思わない。私はそうならないといけない』



 ルノルノの言葉は一つ一つミチャの心を抉る。ミチャは今抱き締めている人間が、何かのように思えて来た。手を解きたくなる衝動に駆られる。だがここで解いたら、ルノルノは自分の元に戻ってくることはない。


 ミチャは何が何でもしがみつかねばならない。このを繋ぎ止めなければならない。この苦痛に耐えねばならないのだ。


 しばし沈黙の時間が訪れる。黙り込んだルノルノはまるで溢れて来る自分の考えをまとめようとしているかのようだった。そしてまたぽつりぽつりと言葉を紡ぎ出した。



『どうすれば、空っぽの奴隷になれるのか分からない。なろうとすればするほど、お姉ちゃんのことを……そしてミチャのことを思い出すの。温もりで満たされた時のことを思い出しちゃう……』



『ルノルノ……』



 ミチャはルノルノの体を自分の体を密着させ、脚を絡め合った。



『そして今はミチャの温もりに満たされてる……。空っぽになろうとしてもこの温もりが邪魔をして空っぽにさせてくれないの……』



 答えがぶれ始めている。何かが壊れ始めている。ミチャはこの腕の中のがゆっくりと形を成していくように思えた。



『ねぇ、ミチャ……私、どうしたらいいの? どうしたら空っぽになれるの? 空っぽにならなきゃだめなの? 教えて……』



 それは悲しみに満ちた少女の形になっていく。


 ミチャの手にルノルノの首飾りが軽く触れた。


 ミチャは思った。


 この子は自分が思っているよりも、ずっとずっと……飢えているんだ。


 温もりに。


 愛情に。


 だから姉の面影を常に探している。


 だから自分にも無垢について来る。


 だからウルクスやクロブにも純粋に気に入られようとする。


 だから騙される。自分みたいな卑怯者に。ウルクスやクロブみたいな鬼畜に。


 この子をこんな目に合わせたのは自分の責任。だからこの子を元に戻すのも自分の責任だ。


 ミチャはルノルノを自分の方に向かせた。


 そして抱き締め直し、その頭を抱えるようにゆっくりと撫でた。


 今ルノルノの中には色んな疑問がいっぱいなのだ。ミチャへの疑問、ウルクスへの疑問、クロブへの疑問、奴隷への疑問。


 疑問の芽が、大きくなって、花が開き掛けているのだ。


 ユーラムの言葉を思い出す。


 誘導はしてもいい。だが、答えは自分で見つけ出させる。


 ミチャは深呼吸を一つした。



『ルノルノ。どうしたらいい、じゃないよ。ルノルノがどうしたいか、だよ』



 ルノルノは抱き締められたまま、じっとミチャの言葉を待っていた。



『私にもね、最初は奴隷だからこうあるべきっていうのがあったんだ。それはルノルノにも言ったし、あたしもそうだって信じてた。でも今となっては正直分からない。空っぽであるべきという考え方、もっと満たされているべきっていう考え方、もっと自由であるべきっていう考え方、人それぞれだとは思う。でも、正直そういうのってどうでもいいことなのかもしれない』



『どうでもいいの?』



『そう、どうでもいいの。だってそれは人の考えだもの。自分の考えは自分で作る。まぁ、あたし達は奴隷だし? 何かと制約はあるけどさ。でも、考えることは自由だよね』



 ミチャは自分の考えをゆっくりとまとめる。言葉を選んで、押しつけがましくならないように伝えなくてはならない。



『確かに、人の考えに乗っかるのは楽だよ。その人が奴隷は空っぽであるべきって言えばそれを信じてついていけばいいだけだから。何も考えなくて良い。でも自分で何も考えないから、いざその信じていた人がいなくなった時、暗闇に放り出される』



 ルノルノはミチャの顔を上目遣いで見上げた。ミチャはそんなルノルノの可愛らしい顔に微笑みかけて言葉を続けた。



『自分で考えることは難しいこと。誰も導いてくれないし、自分で作り出さなくちゃいけない。でも自分で考えた分、迷っても自分で何とか出来るから暗闇も怖くない』



『うん……』



『だから、もし暗闇に放り出されるのが怖いのなら、大事なのは、誰かに答えを託すんじゃなくて、自分で答えを探すことなんじゃないかな』



『それが、どうしたらいい、じゃなくて、どうしたいか、ってこと?』



 ルノルノの頭を撫でながらミチャ微笑んだ。



『じゃないかなって思う。だからあたしに答えを託すのは少し待った方がいいんじゃないかな。そりゃあたしも適当な答えは考えられるけど……それであたしがいなくなっちゃったら、またルノルノは暗闇の中に逆戻りしちゃうことになっちゃうよね』



『ミチャもどっか行っちゃうの?』



 その目は不安に満ちていた。



『行かないわよ。ものの例えってやつよ。だからルノルノがどうしたいかを考えなよ。それでもなお空っぽの奴隷になりたいって言うならそういうのになれるように努力すりゃいいんだし、何か違うなって思ったら自分なりの奴隷みたいなのを目指したらいいんじゃないかな。あくまで空っぽの奴隷はウルクスの考えであってあたしや他の奴隷達の考えじゃない』



 ルノルノはじっとミチャの顔を見上げたまま、考えているようだった。

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