第87話「アンテカール」と「イーラムル」

 ウルクスの死から三か月程が過ぎた。


 ルノルノがシュガルに仕えるようになってから丸一年と二か月過ぎたことになる。夏真っ盛りだ。


 この日の夜、いつものようにミチャはルノルノと同じベッドに入った。ちなみにルノルノの毛布はウルクスの血に染まったので仕方なく廃棄され、今は新しく支給されたものを使っている。


 ミチャはずっと根気良くルノルノの中に芽生えてきているであろう疑問の芽を育てている。時に傾聴し、時に疑問を投げかけ、時に楽しかった二人の思い出を語る。それでも時々気持ちが折れそうになる。その都度ユーラムに愚痴って気晴らししてもらうのだ。


 ミチャはルノルノをいつも背中から抱き締めて寝ている。ルノルノの温もりに平安を感じるからだ。


 ルノルノはこの手のスキンシップを怖がる。彼女の中で肌の触れ合いというものは怖いものと刷り込まれてしまっているのだろう。だからそういう暴力的なスキンシップではなく、優しく、慈しむようにするように心がけている。


 ルノルノの静かな寝息がミチャの心を穏やかにさせる。


 しかし今日はなかなか寝つけない。外が少しざわついているのもあるだろう。


 今日は夜遅くまでシュガルの元に来客があった。「アンテカール」の下部組織の首領達だ。彼らがシュガルの部屋に集まり、会議をしている。それがちょうど終わったのか、廊下が俄にざわついていた。


 ミチャはルノルノを起こさないようにそっとベッドを抜け出し、廊下に出た。途中、首領達が玄関に向かっていくのが見えた。


 全員が去って行ったのを見計らって、シュガルの部屋に行ってみる。今日の夜の番をしているボディーガードはコルベとキーレンだ。ジェクサーじゃなければ後で五月蝿く言われない。


 扉をノックする。



「誰だ」



「あたしです。ミチャです」



「入れ」



 深夜まで会議していたこともあって、さすがのシュガルも少し疲れた顔をしていた。



「随分と遅くまで喋ってましたねぇ」



「まぁな」



 シュガルは立ち上がって軽く伸びをした。



「まだ寝ていなかったのか?」



「ええ、何か騒がしかったので」



「そうか」



 ラーマはとっくに眠っている。ミチャはシュガルに寄り添った。



「疲れた。風呂に入る。お前もつき合うか?」



「はい、喜んで」



 浴室のお湯は厨房の調理で使われる火を利用している。厨房のコンロの横を水が供給されるパイプが通っていて、これによってお湯を作り、浴槽に引き込んでいる。家畜の糞を元にした燃料を燃焼させているのだが、熱は六時間から八時間ぐらいもつ。


 火は一度消えてしまうともう一度点けるのが面倒なので絶やすことはない。火の番がいて、夜中に数回見回りに来て火を絶やさないように燃料を焼べていく。


 だから夜でも温かいお湯が供給されていた。


 二人は腕を組んで浴室へ向かった。


 シュガルを大理石の台に座らせ、体を密着させながら全身を流してやる。



「で、何の話し合いだったのか聞いちゃっても大丈夫ですか?」



 シュガルの前に跪き、洗い終わると同時に屹立した男の象徴を指で弄りながら、聞いてみる。



「あぁ、別に構わん。今度のお前の仕事にも関係しているしな」



 彼はミチャの顔の前に象徴を突き出す。ミチャはゆっくりとそれを口に収め、彼への忠誠を示した。



「近いうちに抗争が始まる」



 シュガルのものをゆっくりと愛撫しつつ、耳だけはシュガルの言葉に傾けた。



「でかい抗争だ。その話をしていた」



 ミチャは上目遣いでシュガルの顔を見た。



「相手はアブジュドだ」



 ミチャはその名前を思い出すのにしばしの時間を要した。


 やがてシュガルの精がミチャの口内に放たれる。彼女はそれを飲み干すと、逸物を口から引き抜いて尋ねた。



「……『ヴィス』の?」



 裏組織「ヴィス」の首領。それが確かアブジュドという名前だった。



「そうだ。だが『ヴィス』は『イーラムル』の下部組織だ。もし手を出せばラスタラルが黙っていまい」



 ミチャはこの辺りの組織図が今一つ整理出来ていない。


 ラスタラルとは裏組織「イーラムル」の首領である。そして現在「ヴィス」は「イーラムル」の下部組織にあたるので、「ヴィス」と事を構えるということは「イーラムル」と事を構えるのと同義だ、ということは分かる。だがその各組織の細かい成り立ちや抗争の原因、相関図などは頭に入っていない。殺し屋にはそんな細かい情報は不要だからだ。


「『イーラムル』とは何度もやり合った仲だが、今回ばかりは激しいものになるだろう。だからこそお前の腕が必要だ」



 ミチャは欲望を吐き出してもなお硬く屹立しているシュガルの象徴を丁寧に撫でながらこくりと頷いた。



「ミチャ。この抗争が終わったら、お前が活躍する場も減るだろう。その時は」



 シュガルはそこで一旦言葉を切ってにやりと笑った。



「子作りするぞ。子種はお前が欲しいだけくれてやる」



 ミチャは胸が高鳴った。



「ありがとうございます! 必ず、旦那様に勝利を差し上げます」



「ああ、期待している」



 やっとだ。やっと、彼と結ばれる。子供を作り、自由人になれる。ミチャは自分の未来がようやく見えてきたような気がした。

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