第86話 生き残る信念
「ジェクサー。あの娘はどのくらいでものになりそうだ?」
ジェクサーが二人の鍛錬につき合っていることはシュガルの耳にも入っている。シュガルの目的はあくまでルノルノを暗殺者に育てることだ。ジェクサーもそれが分かっているから見通しの甘いことは言わない。
「きちんとしたものにしたいなら二から三年はかかります」
「長いな」
意外にかかることにシュガルは難色を示した。
「まだ十五歳です。腕・体幹の筋力は未熟、精神面は極めて脆弱です。機を見る判断力と記憶力だけは素晴らしいものがありますが」
「ミチャの方が素材としては優秀ということか」
ミチャは十四の時ぐらいから暗殺業を始めた。それに比べればかなり遅い。
「判断力や記憶力や技術に限って言えばルノルノの方が上でしょう。ただ筋力と体力と精神力に関してはミチャの方が上です。特に精神面……もとい度胸が人一倍あります。殺し屋としての独り立ちはミチャのようなタイプの方が早いです」
「そうか」
シュガルは少し考え込んだ。
「……だが、できれば今年中には実戦を経験させたい」
「微力を尽くします」
そんなやり取りがあったことはミチャもルノルノも知らない。だがシュガルの期待に沿うためにジェクサーの指導には熱が入った。彼は厳しくは言わない。丁寧に理論的にラガシュマの剣術を観察し、分析し、考察し、最も理にかなった結果をもって指導する。だからその剣術は無駄がなく、人を斬ることに特化する。
ジェクサーも以前は殺し屋として働いていた。ミチャの暗殺のテクニックは全て彼に教わったものだ。
ミチャが暗殺を始めたのは三年前。たった三年でジェクサーの暗殺における細かな知識や技術を覚えたあたり、ミチャも非凡と言わざるを得ない。
今の暗殺業はもっぱらミチャの仕事になっていて、ジェクサー自身はボディガードに徹しているが、ターゲットが大物の時は彼も協力する。
「ルノルノ、そこはもう少し勇気を持って踏み込んだ方が良いです。上体も下げて」
ルノルノは左手に持った木剣と右手に持った木剣を連動させる。徐々にではあるが以前のキレを取り戻していっている。
「ミチャはもう少し右手首を意識して下さい。そこでぶれては敵の心臓を貫けませんよ」
ミチャにも指導が入る。そのお陰か慣れでやっていた部分もかなり修正されてきたように思える。
そんな鍛錬に励んでいる途中でも、ミチャは時々ルノルノの行動を観察していた。
ルノルノは二刀と一刀、両方の型を練習している。筋力的にも二刀をマスターするには難しいと言われているが、それでも彼女は二刀の練習を止めることはない。
「まぁ、今から練習しておいた方が将来的にはいいでしょう」
ジェクサーはそう言って自由にさせている。二刀は強靭な体を持つ男がやるものであって、小柄なルノルノが習得するには限界があると言っていたにも関わらず、である。
「先生はどうして一刀に集中させないんですか?」
そう聞いてみたことがある。暗殺業をさせるだけなら一刀で十分だ。するとジェクサーは笑って答えた。
「あなたが言ったのですよ。伝説の生き証人になりたいと。ならば二刀はさせるべきです。それに、実戦的なことを言えば、両方の腕を鍛えるのは悪いことではありません。片手を失っても戦えますから」
「そこまでして生き残りたいものですかねぇ」
「ミチャ、これは私の持論ですが……殺し屋の中には己を極限まで律し、死をも厭わないというところまで極める者達が確かにいます。そういう連中は何もかも捨ててかかってきます」
「そんなの、勝てる訳ないじゃないですか」
「そうですね。勝つ方法は一つ。何が何でも生き残ってやると覚悟することです。だから決して自分の命は決して粗末に扱ってはいけません。特に暗殺業から足を洗いたいと思っているあなたには大事なことです」
「……はい、心しておきます」
暗殺業から足を洗いたい……先生は何でもお見通しだ。
しかしミチャには分からない。自分にはどういう未来が相応しいのだろう。
シュガルの子供を産んで自由人になり、愛人となって安楽な生活をする。その時にルノルノを譲り受けられるなら譲り受けて、一緒に子育てをし、生活する。シュガルが死んだらその遺産を分けてもらい、ルノルノとの生活に割り当てる。そんな生活がもし出来れば最高かもしれない。
その時ふともう一つのイメージが膨れ上がる。ルノルノの元の生活……草原での遊牧生活をしてみるというもので、乗馬の時に頭に浮かんだあのイメージだ。シュガルの財産を元手に家畜でも買って、草原で生きるのも良いかもしれない。自分の子供も遊牧民として育て、少しずつ家族を増やしていくのもありかもしれない。もっとも遊牧生活はそんなに甘いものではないだろうが。
どんな生活をするにしても、ルノルノがずっと傍にいてくれたら、と思う。そのためにはウルクスの呪いを何が何でも解かねばならない。
だから今は剣を握る。ルノルノにいつでも戻って来られる環境を整えておいてあげる。いつか自分の元に帰って来ると信じて。
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