第85話 変容する行動

 夕方。馬の世話の時刻。


 ミチャはユーラムの前で盛大な溜息をついて見せた。



「どうしたんっすか?」



「んー。なんか色々自信なくなって来ちゃったなーって思って」



 ミチャは昼のやり取りを話した。口づけの下りは省略した。ただ「今までのあたしとあの子の関係は間違いだったって言われちゃった」とだけ伝えた。


 するとユーラムはへらへらと笑った。



「笑い事じゃないわよ」



「いや、失敬。やられてるなーって思って」



「そりゃそうよ。あんなにいっぱい一緒にいたのに、その関係が間違いだったなんて言われたら、あたし、もう立ち直れないわよ……」



「こういうのは本当に時間かかるっす。でも着実に彼女の中では変化が出てるはずなんすよ」



「どこに変化があるのよ。二週間経つのに、言ってること変わってない。それどころか悪化してる気すらする……」



 ミチャは耐え切れなくなって啜り泣いた。



「行動が変わってるっす。例えば馬の世話。誰の強制でもなく自分の考えで始めているっす。剣術もある程度は誘導しているけど、続けているのは自分の意思っす。これは僅かではあるけど、ウルクスさんの思惑が綻び始めている証拠っす。とにかく、前の生活より今の生活の方が楽しいと思える環境を整えてやることっすね」



「うん……」



 泣いてユーラムに愚痴って少しすっきりする。彼のアドバイスを聞いていると、気持ちの整理も段々ついて来たような気がした。



「ミチャさんのやったことはそんなに間違ってないっすよ。まぁ、質問の内容はともかく、質問を適宜投げかけるのは良いことっす」



「そうなの?」



「行動が変われば、その内必ず疑問が湧いて来るっす。そのわずかに出て来た疑問の芽をゆっくり育てる必要がある。その手段の一つが疑問を投げかけるってことっすから。とにかく今大事なのは前に言ったことを実践しつつ、耐えることっす」



 ユーラムはそう言うと、倉庫へ向かった。そしてルノルノの馬具を持ち出して来て、ルノルノのところへ悠々と歩いて行った。涙の跡を拭いて、ミチャもそれに付いて行く。



「ルノルノさん、馬に乗りません?」



 ユーラムはゆっくりとルノルノにも聞き取れるぐらいの発音で聞いた。


 しかしルノルノは困った顔をした。ミチャの顔を見る。



『どうしたの? 意味分かんなかった?』



 ルノルノは首をふるふるっと振った。



『乗っていいか、分からない……』



『ウルクスに何か言われてるの?』



『何も……でも、怒ると思う……世話してたら殴られたし……』



 しばらくミチャは考えた。そして自分の考えを押しつけないように答えた。



『どっちでもいいんじゃない? 乗るべきか乗らないべきかじゃなく、乗りたかったら乗ればいいし、乗りたくなかったら乗らなきゃいいし……』



 余計に迷っているようなので、ミチャはルノルノの頭をぽふっと撫でて言った。



『あんたの友達は、ずっとあんたを乗せてなかったから寂しがってるとは思うけどね? まぁ、それでもあんたの気持ち次第』



 その言葉でルノルノは小さく頷いて、ユーラムにトゥルグ語で返事した。



「乗る、です」



 乗ると決まるとルノルノの馬に対する熱量は凄い。ウルクスのことなんか忘れてるんじゃないだろうかと思うぐらい機敏に馬具を着せていく。


 そしてキルスの背にひらりと乗ると、三か月の空白なんか感じさせない調子でキルスに指示を出し始めた。


 ユーラムはミチャに「ほらね」という顔をした。



「何を話してたかは分からなかったっすけど、ミチャさんの言葉で行動がまた一つ変わった」



「あたしはただ、好きにすればって言っただけよ」



「それでいいんっすよ。自分で考えさせて、自分で行動させる。ウルクスさんの強制力がまた一つ解除された瞬間っす。こういうことの積み重ねっすよ」



 いつも死んだ魚のような目をしているルノルノが、こういう時は生き生きしているように見える。



「遊牧民の血が騒ぐんでしょうねぇ」



 駆歩で馬場の一周を始めたルノルノを見て、ユーラムは笑いながら言った。



「あたしは遊牧なんてしたことないからそういう血は分かんないけどね」



「あぁ、メルファハン生まれでしたっけ」



「そー」



 するとユーラムは何かを思いついたように、もう一頭、青毛の馬を引っ張って来て馬具を着せ始めた。



「何してんの?」



「馬、乗ってみません?」



「ええ……あたし? 無理だって」



「ものは経験っすよ」



 ユーラムは笑いながらミチャを誘う。



「それに勝手に乗ったら旦那に怒られるよ」



「大丈夫っすよ。この子は今のところ誰も乗ってない余っている馬っすから。それに、ルノルノさんについて練習してるってことにすれば。併走も立派な馬の訓練っすよ」



 ユーラムに教えられて鐙に足をかける。



「そこで思い切って地面を蹴って乗るんすよ」



「あんた何でも知ってるのね」



「まぁ、性分っすね」



 あの茶色い頭の中にはきっと色んな雑学が詰まっているのだろう。


 ミチャは何度か繰り返して乗るこつを掴む。



「大人しい子っすから、乗せてくれるっすよ」



「名前なんて言うの?」



「アルディラっす」



「アルディラ、よろしくね」



 他人を乗せても歩こうとしない気難しいキルスに比べればよっぽど素直な馬なのだろう。ミチャを乗せたままゆっくりと歩き出した。


 すると隣にルノルノが並んで一緒に歩き出した。



『ミチャは馬初めて?』



『そうね。全くの素人よ』



『馬と仲良くなれると早いよ』



 ミチャは初めて乗る馬の背に緊張した。しかしルノルノが横で一緒に並んで歩いていることでふとイメージが広がる。


 そこは草原。ルノルノと自分が一つのテントで暮らしている。羊、山羊などの家畜を飼い、二人だけの生活をしている。草原の下でお互いを慈しみ合う。旦那の財産なんてそこでは無価値。二人でいれば十分。子供はどうしよう。どこからか養子を貰おうか。自由に、どこまでも自由に生きる。


 それはとても幸せで、楽しいイメージだった。



「僕は知識はあっても実技はさっぱりっすから、後はルノルノさんに教わって下さい」



 ユーラムの声で想像から現実に戻る。


 ユーラムは併走する二人をのんびりと眺めながら、大きな欠伸を一つした。

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