第83話 もう一度剣を
「剣の鍛錬、ですか?」
ミチャは頷いた。彼女はジェクサーの非番の日を狙い、彼の部屋に剣術指南の交渉に来ていた。
「そうです。ここ三か月、彼女は何もさせて貰えなかったので」
それはジェクサーも知っている。
「でもやる気を失くした人間に、無理にでもやらせる意義がありますか? あると言うのなら、それを示して私を説得してみてください」
「あります!」
ジェクサーはミチャの言うことを面白そうに聞いていた。彼はきっと自分のことを試そうとしている。
「まずは、このままじゃ、あの子の才能が埋もれてしまいます」
ルノルノはかつてジェクサーと張り合えるぐらいの素晴らしい剣の才能の持ち主だ。しかもまだ十五歳。彼女にはまだまだ伸び代がある。
「つまり、先生を越える剣士に育つ可能性だってあるのに、それを今から潰してしまうのは組織にとっても利益がありません」
「なるほど。今ミチャは、まずは、と言いました。他にもあるのですか?」
「はい。もう一つは彼女がラガシュマ最後の剣士だからです」
ミチャはルノルノの身の上を掻い摘んで話した。ラガシュマ族が兵士に攻められ、奮戦虚しく滅ぼされた。彼女はその生き残りなのだ。
「つまり遊牧民族における最強の剣術と謳われたラガシュマ族の剣術が彼女の代で滅んでしまうということになります」
「滅びゆく剣術ということは、淘汰されたということにはなりませんか?」
ミチャは一瞬言葉に詰まった。だがむきになって答えた。
「あたし達カルファ族の子供達はラガシュマの剣を伝説の剣術としてみーんな憧れて伝承して来てるんです! ちょっとやそっとの憧れとは違うんです!」
ジェクサーはくすくすと静かに笑った。
「感情的な、酷い説得ですね」
ミチャはむすっとしていたが、彼はそんな愛弟子を優しく微笑んで見つめる。
「でも、伝承して来たという言葉はなかなか良かったですよ。あなたは伝説を見届ける生き証人になりたいのですね」
ミチャははっとした。そんなこと考えたこともなかった。だがラガシュマの剣術が残るということは、自然とそういうことになるのだ。
「いいでしょう。可能な限りお手伝いしますよ」
「あ、ありがとうございます!」
「ただし、彼女がどうやっても脈がないと見たら、その時は私も手を引きますので、そのつもりで」
「はい!」
「で、具体的にはまず何をすればいいんです? 計画はあるんでしょう?」
「まずは……彼女と試合をしてください!」
「試合? それは構いませんが、三か月も練習をしていない相手に負ける私じゃありませんよ?」
「分かっています。だからです。彼女を本気にさせるには最強である先生において他にありませんから」
ジェクサーは少し考えてから頷いた。
「最強かどうかは置いておいて、いつやります?」
「今すぐ!」
「分かりました。やりましょう」
「準備します!」
その後のミチャは迅速だった。シュガルに木剣を借りに行き、その足でルノルノを部屋から引っ張り出して来た。そして半時間後には中庭でジェクサーとルノルノを対峙させていた。
『ミチャ、無理だよ……私、ウルクス様は要らないっておっしゃってたし、剣術なんて全然やってない……』
『分かってるってば』
何もしないより何かをさせる。
何がきっかけで立ち直るかはその人次第であり、何がはまるかは分からない。
『確かにウルクスがやったことはあんたにとって正しいことだったのかもしれないけど、それじゃああんたに剣を叩き込んでくれたお父さんはどうなのよ?』
『そんなのずるいよ。なんで私の家族が関係あるの……』
『関係あるよ。あんたの剣はお父さんの剣なんでしょ。誇り高きラガシュマの剣! 違う? それをここで終わらせるのは、お父さんがどう思うか考えて』
ミチャはルノルノに木剣を握らせ、ジェクサーと対峙させた。
「そろそろいいですか?」
ミチャはルノルノから離れた。彼女はまだ迷っている。だがこの先を決めるのはルノルノ自身だ。
(戦って、ルノルノ! 自分自身と!)
ジェクサーは構えた。
「行きますよ」
神速の剣がルノルノを襲う。
鋭い剣尖が真正面から突きに行く。
ジェクサーにしては大胆な攻撃だ。恐らくわざと対処しやすい剣で彼女の覚悟を促しているのだ。
しかしルノルノは身動き出来なかった。
ぴたっとルノルノの胸の直前でジェクサーの剣が止まる。
「駄目ですね」
ジェクサーは木剣を肩に掛けながら肩を竦めた。
「もう少しだけ説得して下さい。それでも駄目ならもうこの話はなしです」
ミチャはルノルノのところに駆け寄った。
『どうして戦わないの?』
『ちがう……』
ルノルノの目から涙が一粒落ちた。
『戦えないの……』
ルノルノは啜り泣きながら、呟くように言った。
『私は剣を取り上げられた。きっと私の剣は使っちゃいけないの』
ルノルノはウルクスに支配され、剣を取り上げられたことで自分の剣が使ってはいけないものだと思わされている。その考えを変えさせないことには戦いにならない。
『あのさ、ルノルノ』
ミチャはルノルノの両肩に手を置いて語り掛けた。
『確かにウルクスはあんたの剣術を使うに値しないからという理由で取り上げたのかもしれない。でもそれがどうしたの? あなたが使うに値する人間になれば済むことじゃない?』
『……なれないよ……殴られたもの……』
『でも、ルノルノに剣を教えたことは間違いだった? お父さんはあなたにとって間違いだったってこと?』
『何でそんなこと言うの……お父さんのこと何にも知らないくせに!』
『うん、知らないよ。でも、あたしは彼の剣はあんたを守って戦った英雄の剣だってこと、そしてその英雄の剣をあんたは受け継いだ唯一の人間だってことを知ってる』
ミチャはルノルノの首飾りに触れた。
『あんたは何のためにこの首飾りをつけているの? お父さんが正しくないって言うなら何でこの首飾りをかけている必要があるのさ』
そこまで言って、ミチャは言い過ぎていることに気づく。答えを焦るあまり、彼女の選択肢を狭めるようなことを言ってしまっている。
馬鹿だな、と思う。なんか自分らしくない。
そう思うと肩から力が抜けた。
『ま、色々言ったけど、正直どうでもいいんじゃないかな。ウルクスがどうとか、お父さんがこうとか、そんなことマジでどうでもよくて……自分がどうしたいかじゃないかな。ほら、前言ってたじゃん? 剣を振る理由なんて、単純でいいじゃん。二刀の練習したいとか、お父さんをびっくりさせたいとか、とりあえずはそういうのでいいんじゃないかな』
うん、そう。これがあたしらしい答え。小難しいことは分かんない。考えない。考えないようにする。だからこれでいい。
ルノルノがミチャの顔を見た。
『……ミチャらしいね』
ルノルノが木剣を握り直した。涙を拭いて、座って待機しているジェクサーの方に目をやった。
『ちょっとだけ、やってみる……』
ルノルノは構えた。
「ようやく、やる気になりましたか」
ゆっくりとジェクサーは立ち上がった。
「迷わない……というほどではなさそうですね」
ルノルノの剣にはまだまだ迷いが出ている。
だが本当に大変なのは零の状態から一の状態に持ってくることだ。
それを百や千にすることはそれよりはずっと容易い。
ジェクサーが一気に前に出た。鋭い剣を繰り出し、ルノルノを防戦一方に追い詰める。
(腕は明らかに鈍っている……)
それは側から見ているミチャでも分かった。型は出来ているが、防御も甘くなっているし、足運びもどこかもたついている。
ルノルノは剣を撥ね上げられて手放してしまった。
「握力が落ちていますね。減点」
ルノルノは剣を拾い、もう一度突っかかっていく。
今度は三合交えただけでルノルノの首にジェクサーの剣が突き付けられた。
「脚力が落ちていますね。減点」
ルノルノは何度も、何度も突っかかり、最後の試合は一合で負かされた。
「持久力が落ちています。減点」
ルノルノはへとへとになってその場に座り込んだ。ジェクサーも汗を拭いて日陰に座った。
「でも、思ったより鋭さは落ちていませんでしたね。そこは及第点です」
ミチャはルノルノに駆け寄った。彼女は肩で息をし、汗だくになっていた。
『ルノルノ、お疲れ様』
ミチャがルノルノに手を伸ばす。ルノルノはその手を握って立ち上がった。
ルノルノはジェクサーに頭を深々と下げた。
「ありがとう、です」
片言のトゥルグ語でジェクサーにお礼を言う。彼は微笑んで頷いた。
「全体的に落ちた筋力を戻すように鍛錬した方がいいですね。剣の素振り、演武、走り込みなどが効くでしょう。また暇を見つけて型を見直しましょうか」
「先生、ありがとうございます」
深々と頭を下げるミチャに、ジェクサーは立ち上がりながら言った。
「いえ、私も少しなってみたくなりましたよ。伝説の生き証人っていうのにね」
こうしてルノルノの日課に剣術が加わった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます