第82話 焦りは禁物
ユーラムからアドバイスを受けてから三日経った。
初日でこそ何か変化があったような気がしてこれを続ければ大丈夫みたいな気持ちが湧いたが、この三日間は何の変化も無い。
夕方の餌の時間に、ユーラムにそのことを相談すると彼は苦笑いしてこう言った。
「そんな二日、三日では難しいんじゃないっすかね。数か月、下手したら年単位で取り組むつもりでいないと。要は本人が今の自分は変だなって気づくきっかけを掴まえれば良いんです」
つまりそのきっかけを本人が掴むまで粘り強くアプローチし続け、待つしかない。
「だから言ったじゃないっすか。焦りは禁物だって。何かルノルノさんの好きなことでもやらしてみたらいいんじゃないっすか?」
ルノルノの好きなこと。剣術と馬術。夢中になりそうなことと言えばこの二つぐらいだろう。
翌朝、ミチャはルノルノをまた馬場に誘ってみた。これまで何度も誘っているが首を縦に振らない。それなら振るようなアプローチをしてみるまでだ。
『ねえ、キルスに会いに行こうよ』
ルノルノはぼんやりとした表情で呟くように言った。
『……でも、行ったらウルクス様に殴られた。行っちゃだめだったんだと思う』
『それは、キルスの世話をしたらダメなんじゃないの?』
ルノルノは困った顔をした。
やっぱりだ。ウルクスはルノルノにキルスに対して明確な基準を与えていない。言葉が通じないからそこまで細かい指示は与えられなかったのだ。だからルノルノは何故行っちゃ駄目だったのかはっきりとは分かっていない。
そうなると何かと理由をつけてやれば誘い出せるかもしれない。
ルノルノはしばらく悩んでいたが、首を横に振った。
『分かんない……』
『だって、ルノルノがキルスの世話をしてたら怒り出したんでしょ? だったら見に行くだけなら良いじゃん。何もしてないんだからウルクスも怒りゃしないって』
『そうなのかな……』
そうだよ、と言いそうになるのをぐっと堪える。誘導は構わない。でも意思決定は彼女にさせないと駄目だ。
ルノルノは明らかに揺らいでいる。今までに無い良い傾向だ。もう一押ししたい。とにかくルノルノの興味を惹けば良い。
『ルノルノが最近見に行かないから、キルスはすっごく寂しがってると思うんだよねー。彼の一番の友達ってルノルノだもんね。色んな困難を一緒に乗り越えて来た仲だし』
ルノルノははっとした顔をした。そしてもうしばらく考えた後、はっきりと言った。
『分かった。行く』
(よしっ!)
ミチャは小さく拳を握りしめた。
『じゃあ、いこ!』
そうと決まれば善は急げ。ルノルノの手を引いて連れて行く。久しぶりに二人で馬場へとやって来た。
ユーラムは既に来ていた。ルノルノがやって来たことに驚いた様子だった。
「よく来ることを了承させましたねぇ。どうやったんすか?」
「ん? ユーラムさんに教えられた通りだよ? 世話をして良い、悪いだけじゃなく、見に行くだけという選択肢を用意してみたの」
「悪くないアプローチっすね。ミチャさんも詐欺師に一歩近づきましたねぇ」
「やめてよ」
ルノルノはキルスの前に立ち、その鼻をゆっくり撫でている。彼も分かったのだろうか、その鼻をルノルノの胸元へ押しつけて甘え出した。
「やっぱ馬は誰が会いに来てくれたか分かるんでしょうねぇ」
「そりゃあね。特にラガシュマは本当の意味で人馬一体とまで言われている部族だし。人と馬の絆はそんじょそこらの人間関係よりずっと強いよ」
キルスを馬場に放ち、一緒に歩き出したルノルノはどこか楽しげだ。顔は無表情だが、雰囲気で分かる。
「今さ」
「はい?」
「ルノルノにトゥルグ語教えてるんだ」
「あぁ、いいんじゃないっすか? 新しいこと始めるのも自己肯定感を上げるには有効っす。挫折したら逆効果になるかもっすけど」
「生活に必要なことだから、挫折はさせたくないんだけどねー」
言葉が喋れないのは少なくともアルファーン帝国で暮らしていくことを考えればマイナスしかない。
「それと、そろそろ剣術やらせようと思ってる」
「あぁ、強いらしいっすね」
「知ってんの?」
「随分前に聞いてるっす。ジェクサーさんと互角にやり合ったって」
厩の掃除をしながらユーラムは言った。
「もし剣術させるなら、もう一回ジェクサーさんと対戦させてみてはどうっすか?」
「え……でもあの子、剣術はそれこそ三ヶ月はやってないよ?」
ウルクスに調教されていた間は剣なんて握ってすらいなかっただろう。それが毎日鍛錬を欠かさないジェクサー相手に勝てる訳がない。
「そうっすねー。でも大事なことっす」
「負けることが?」
するとユーラムは笑って違う違うと手を横に振った。
「勝ち負けは関係ないっす。全力を出させ、かつての自分を思い出させることが大事なんっすよ」
そういえば選択肢が多かった頃の自分を思い出させるのは大事なことの一つだった。ミチャはなるほど、と頷いた。
「それともう一つ。ジェクサーさんをこちら側の人間に引き込むことも大事っすね。周りから一目置かれている彼を味方につければ、彼女に対する評価も上がるかもしれないっすから」
ジェクサーは物静かで決して威張りもせず、また西の生まれということもあって風貌もどこか神秘的だ。そのくせ誰よりも強い。他の奴隷達にとって近寄り難い存在であった。そんな彼に認められれば、ルノルノに対する風当たりも弱まるかもしれない、とユーラムは読んでいるのだ。
一度ジェクサー先生にも相談しよう、きっと彼なら文句を言いながらも協力してくれる。
キルスと離れようとしないルノルノを眺めながら、ミチャはそう思った。
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