第67話 消えない痣
ルノルノの服を脱がせた時、ラーマは絶句した。
腹や背中には痛々しい痣が残っている。
「乱暴なこと、されたの……?」
ラーマは死んだ二人がルノルノに乱暴を振るったものと思ったらしい。ミチャは一瞬迷ったが意を決して本当のことを話すことにした。
「ラーマさん、それは……実は……死んだ彼らじゃないんです……」
「ミチャちゃん、何か知ってるの?」
ラーマの目は厳しい。ミチャは項垂れた。
「それをやったのは、ウルクスなんです……」
ミチャは本当のことを掻い摘んで話し始めた。
ウルクスがルノルノのことを気に入っていたこと。それを嗾けてルノルノを落とさせようとしたこと。全ての手引きを自分がしたこと。
動機となった財産分与の話だけは、相手がラーマだけにどうしても出来なかった。だがラーマは深く掘り下げることはせず、その話を受け入れてくれた。
「シュガルに報告するわ」
ラーマは怒りに震えながらそう言った。
「そんなことしたら、ルノルノが余計に壊されちゃうかもしれないです……」
ウルクスは悔しいが組織においては有用な男だ。シュガルがそんな彼を処分するとは思えない。咎めることがあるとしてもルノルノとウルクスが顔を合わさなくて済むように配慮することなんてまずしないだろう。良くていつも通り。もっと悪いパターンも考えられる。
「そんなこと……あたしがさせたくない……」
ミチャはルノルノを連れて大浴場に入り、大理石のベンチに座らせた。タオルを手渡すが、洗い出す様子はなく、俯いて涙を零しながらぶつぶつと呟いていた。
そんな彼女の様子を見かねて、ミチャはルノルノからタオルを取り上げた。
『貸して』
石鹸をつけ、嘔吐物や血で汚れた体を綺麗に流してやる。
顔や頭、背中も綺麗に洗ってやる。
だがどんなに綺麗に洗っても体につけられた痣は落ちることはない。ミチャは悔しさを滲ませた。
ルノルノは相変わらずぶつぶつと何か呟き続けている。
ミチャはその呟きが気になって耳を傾けてみた。
『アゴルさんを死なせちゃった……殺しちゃった……こんな勝手なことしたら、またウルクス様に怒られる……お風呂に勝手に入ったのも怒られる……謝らなきゃ……』
ミチャは愕然とした。ルノルノは起こった全てのことをウルクスに繋げて考えていた。ウルクスと無関係なことまで含めてだ。いかに彼女の心を奴が占めているかを思い知った気がした。
(これが蹂躙するということ……)
ルノルノは必死に耐えていた。フィアロムに襲われた恐怖、人を殺めたことへの罪悪感、ウルクスから受ける調教への絶望に。
「ミチャちゃんはウルクスのこと、どうすればいいと思ってるの?」
ラーマがルノルノの体を優しく洗い続けるミチャに聞いた。
「何とかして、止めさせるしかないと思っているんですけど……」
どうやって止めればいいのか分からない。でもこれは全て自分の愚行が招いたことだ。この問題はミチャ自身が解決しなければなるまい。それがルノルノをこんな目に遭わせた自分の責務に思えた。しかし最善の策は全く見えてこない。もう何をどうすればいいかも分からなくなっていた。
「やっぱりシュガルに相談しましょう。ダメなら別の方法考えればいいんだし」
「はい……」
残念ながら自分で解決しなきゃと焦るミチャの頭には、ラーマ以上の良案が浮かんで来なかった。
体を清めたルノルノを連れて、ミチャとラーマはシュガルの部屋に戻った。
「少しは落ち着いたか」
彼は相変わらずコーヒーを嗜んでいる。そしてさっきルノルノが立っていたところを指差した。
「そこ、掃除しておけよ」
干し草の屑が散らばっている。ミチャは壁に立てかけてある箒を手に取って床を掃き始めた。
「あなた、少し話が」
「どうした、ラーマ」
ラーマはルノルノを連れて、シュガルの前までやってきた。そして服の裾を捲り上げて、ルノルノの痣だらけの体を見せた。
「随分派手にやられたな」
シュガルは眉一つ動かさないでそう言った。
「これは死んだ奴隷によるものじゃないわ」
「誰によるもんだって言うんだ?」
「ウルクスだそうよ」
「何? ウルクスだぁ? 何でウルクスがこいつの体を殴っているんだ?」
「ルノルノちゃんのことを手に入れようとしているみたいなの。ねぇ、あなた。ウルクスをこの子に近づけないようにしてちょうだい」
ラーマはかいつまんでウルクスとルノルノのことを話すと、シュガルは喉の奥でくくっと笑い始めた。その笑いは少しずつ大きくなり、最後は大笑いに変わった。
「何だ、あいつ、俺の目を盗んでこいつを玩具にしていたってことか!」
「笑い事じゃないわよ!」
ラーマはシュガルに詰め寄った。
「いや、あいつのことはよく知っている。幼い少女をいたぶるのが好きな変態野郎ってこともな。そうか、あいつはこいつに懸想してものにしていたって訳だ」
シュガルはにやにやしながら言った。
「いいんじゃないか? ウルクスがそうやってこいつを可愛がっているんなら可愛がらせてやれば。あいつも男だ。女の一人や二人ぐらい欲しくなるだろうよ。人間一人殺ったぐらいで怯える役立たずよりはあいつの欲望処理係にでもなった方がよっぽど役に立つ。ミチャが世話するよりずっと有意義だ。俺が許す。奴隷を殺したことも不問だ。ただし明日からこいつのことはウルクスに飼育させろ」
最悪の事態が起きた――。
ルノルノが、この儚い少女が、あの鬼畜の奴隷にされてしまう。
ミチャは思わず抗議しようとしたが、シュガルの文句を言わせない鋭い視線に言葉がついて出て来なかった。
(惨い……)
ミチャは信じられなかった。
どうしてこうも簡単にルノルノを切り捨てることが言えるんだろう。
紛いなりにも彼女のことを愛人にしようと思うと言っていた口が、こうも簡単に手の平を返したように言えるのだろう。
ミチャにはシュガルの心が分からない。何を考えているのか。あれはルノルノを大事にするという宣言ではなかったのか?
(奴隷の運命なんて、所詮主人の気分次第ということか……)
ミチャは集めた干し草の屑と奴隷が重なる。食い物にされるだけされて、役に立たなくなったら捨てられる。
自分達はこの干し草の屑と同じだ……。
ミチャは心の中に広がる不快感に耐えながら、屑をごみ箱に捨てた。
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