第54話 愛と欲望と

 午後、ミチャはシュガルの元に行くことにした。ラーマが留守の日だから行かない手はない。


 しかしさっき聞いたフィアロムの言葉がすごく気になる。



(ルノルノ、男の間で人気あるんだー……)



 そもそもシュガルにしても、最初は彼女の剣術以外には興味なさそうだったのに、身なりが清潔になった途端、手の平を返して愛人にすると言い出した。


 ルノルノの持つ魅力に気づいた者は男なら誰もが欲しくなるのだろう。それぐらいの美少女なのだ。


 同時にその魅力は同性のミチャの心にすらじわりと食い込んできているような気がした。



(ルノルノが好意を向けてくれているのはあたしだけなんだから……)



 奇妙な独占欲が頭を擡げる。


 彼女が一生懸命作ってくれた肩かけのポーチ。


 あれだって彼女の好意の表れだ。


 つまりルノルノは自分にだけ感謝と好意を示しているのだ。


 そこまで考えてから、ミチャは首を横に振った。


 ……いやいや、何をほだされているんだ。


 あの子は自分の地位を脅かす。


 その魅力でシュガルをも虜にし、その寵愛を独り占めにする可能性の高い危険人物だ。


 ミチャの打算的な心が警鐘を鳴らす。打ち解けている場合じゃない。ポーチを貰って喜んでいる場合じゃない。早くウルクスと結びつけなければ。


 そんなことを考えている内にシュガルの書斎に到着した。



「旦那様。来ましたよ」



「あぁ。服を脱いでベッドへ行ってろ」



「はぁい」



 ベッドルームに入り、ポーチを肩から外すと、それをナイトテーブルの上に置いた。


 どんなに心の中で警鐘を鳴らしても、このポーチを見ると不思議と温かい気持ちにさせられる。


 打ち解けちゃいけないのに……。


 ルノルノの無垢な瞳がそこにあるような気がしてならなかった。


 しばらくしてシュガルがやって来た。


 今はとりあえずルノルノのことを考えるのはやめることにした。








 しばしシュガルとミチャの性欲が交差する。


 彼との子供が欲しい。


 表面上の性感だけで散々我慢させられること三年、大人の女になる準備はすっかり整っている。


 時々自問自答してしまう。



(あたしは、旦那のことをどう思っているんだろう……)



 ミチャは「好き」という感情、すなわち「愛」を信じない。


 特に奴隷の「愛」は信じない。


 そんなものはまやかしだ。


 信じられるのは「性欲」。


 それによって得られる子という「証」。


 だからミチャにとって「愛」の言葉は耳障りな嘘の言葉にしか聞こえない。


 だからミチャの睦言に「愛」はなく、「性欲」を刺激する言葉のみで埋め尽くされる。


 卑猥な言葉を囁き、シュガルを


 シュガルの愛撫に熱が帯びてきた。


 ミチャの身体に快感が刻まれていく。


 その最中、呼び鈴が鳴った。



「ん? 誰か来たな」



 シュガルはすぐに切り替えてミチャの上から下りた。もしかしてラーマが帰って来たのかと思い、ミチャも慌てて服を着て整えた。一瞬ポーチを忘れそうになるがすぐに思い出し、斜めがけにする。


 中途半端に終わってしまった。


 もう少しでいけたのに。


 ミチャは不満を残しつつ、書斎に戻る。取り繕うため、真ん中のテーブルの席について素知らぬ顔を作った。



「いいぞ。入れ」



 入って来たのはジェクサーだった。彼はミチャがいくら何事もなかったように装っていても、何をしていたのかは分かっている。


 ジェクサーにじろっと睨まれ、ミチャは思わず目を背けた。



「どうした。ジェクサー」



 シュガルはその点堂々としたものである。さっきまで欲望に身を任せていた人間とは思えないぐらい平静だ。


 するとジェクサーは一通の手紙を差し出した。



「セイゲル様からお手紙です」



「兄貴から?」



「先ほど使いのものが来ました」



 シュガルは手紙を開封し、その中身を読んだ。しばらく読んでいたが、徐々に手が震えてきた。



「出発の準備だ」



「へ?」



 ミチャが聞き返す。



「出発の準備だ! すぐに兄貴の家に行く! ラーマにも連絡を」



「分かりました。ラーマ様のところへは誰かをいかせましょうか?」



 シュガルは頷いた。



「ジェクサー。お前はウルクスとコルベ、ドルハム、あとムルハトを呼んで来い。俺と一緒に連れて行く。それとマウル、イブハーン、ミウレト、ギル、キーレンはラーマを迎えに行き、そのまま兄貴の家まで行くように伝えてくれ。パルシェンとリーバは居残りだが、もし三日経っても俺がここに帰れないようだったら兄貴の家まで来るように言ってくれ」



 シュガルが呼びつけたのはいずれも用心棒達である。突然のことでミチャは呆気に取られている。



「それとクロブを呼べ」



「分かりました」



 ジェクサーが一礼して退室して行くのを見届けてから、ミチャは聞いた



「どうしたんです? 旦那」



 するとシュガルはミチャの頬を撫でた。



「母の調子が悪いらしい。しばらく兄貴の家に帰ることにする。ミチャは居残りだ」



「どのくらい帰っちゃうんですか?」



 寂しそうな顔を作ってみせる。



「分からん。というか読めん」



「……そうですか」



 面白くない。欲求不満を燻らせているので余計に面白くない。


 さらに面白くないのは、こういう時に連れて行ってもらえるラーマと連れて行ってもらえないミチャでは明らかに扱いの差があるということだ。



「下手をしたら年もあっちで越すかもしれん。今日は部屋に戻れ。今から準備をする」



「えー、年明けも……」



「あぁ、そうだ。また帰って来たら続きをしてやる。それまで大人しく待っていろ」



「はぁい」



 面白くないが仕方ない。


 部屋に帰る途中、ウルクスが珍しく慌ただしくやって来た。いつもどっしりしているだけに少々滑稽に映る。



「や、ウルクス。なんか大変みたいねー」



「あぁ。突然のことで良く分からんが、急にセイゲル様宅まで付いて来るように言われた」



 セイゲルの家は以前シュガルが住んでいた実家であり、メルファハン南の端、ベルセス地区にある。現在の屋敷からは徒歩で一時間半ぐらいかかる。馬車で行くから一時間以内には着くだろう。


 ベルセス地区はメルファハンの中では最大の繁華街で、娼館や連れ込み宿、賭博場、酒場などが建ち並ぶ不夜城である。それだけに裏組織の収入源シノギとなる業種も多い。シュガルの組織である「アンテカール」はベルセス地区の大半を網羅していた。しかし光あれば影ありで、不夜城の裏はスラム街で、貧民や移民、難民がひしめき合うように住んでいる。


 シュガルはこのベルセス地区で生まれた。母子家庭で、ギャング団から身を起こし、周辺のギャング団を次々と吸収して組織を育て、ついにはメルファハンで一、二を争う巨大組織の首領にまで登り詰めた。


 当時の生家は取り壊されていて今はない。代わりに繁華街の近くに大きな屋敷を構えており、そこで兄のセイゲル一家と母親のイマーラは生活をしている。ちなみにミチャが育ったカルファ族の難民居住区もベルセス地区にある。


 セイゲルは「アンテカール」の会計を担当し、財産の管理を行なっている。それと同時に年老いた母親の面倒も見ており、一家が財を成した今でも住みなれたベルセス地区で暮らしているのだ。


 そのイマーラの容態が芳しくないというのである。母子家庭で育ったシュガルにとっては唯一の親であり、彼が慌てて帰るのも無理のないことであった。



「まぁ、ボスに付いて行くのは用心棒の宿命だしね」



 ミチャの中でじわりと黒い欲望が顔を出す。欲求不満や面白くないことが重なったからかもしれない。とにかく芽生えた黒い欲望のうねりは彼女の心を蝕んだ。



「あー、そうそう、ウルクス」



 ルノルノを歪んだ欲望の中に沈めたい。そんな気持ちが湧いて来る。



「せっかくだし、この期間中に例の件、進められるように頑張っておくよ」



「分かった」



 ウルクスは頷くと、忙しそうに立ち去って行った。


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