第53話 奴隷の仕事

 ルノルノは毛布にくるまっている。


 季節は巡り、冬になった。気が付けば十二月も後半に差しかかっていた。


 メルファハンはダンジス高原に比べれば標高は低いので温暖だ。それでも、この時期になると日中も夜もかなり寒くなる。ただ、タンジス高原の厳しい冬を経験しているルノルノにとってはまだ暖かい方に感じられた。


 屋敷の中は基本暖かい。原理はよく分からないが、厨房で発生させた熱気を通す空洞が床の下や壁の中にあるらしい。それによって部屋全体が暖まるように出来ている。


 ふとルノルノは温かいマフでの生活を思い出していた。


 去年の今頃は何をしていただろう。厳しい冬の遊牧を思い出す。家畜達の食べるものが少ないから、夏の間にいっぱい蓄えた干し草を分け与えていた。それを運ぶのが重たくて、父親が率先して運んでいた。


 そう言えば二つ前の冬ぐらいから時々オロムも手伝ったりしてくれていた。今から思うとオルハンに負けず劣らず頼りがいのある男性だったような気がする。


 そう言えばオルハンはどうしているのだろう……。



(もうすぐ年が明ける)



 ここに来て半年以上。アルファーンの暦のことはミチャに教えてもらって少し理解した。一年は三百六十五日、今日はアルシャハン暦千一年の十二月十九日になるらしい。


 思えば色んなことが一度に起こった年だった。


 ラガシュマ族が滅ぼされ、自分はキルスと共に放浪し、メルファハンに辿り着いて、今奴隷をしている。


 しかし奴隷になってからは剣術と馬術を磨くことに専念させてもらっている。


 言い換えれば、それしかしていないから未だに奴隷の仕事というものをよく理解していない。


 ミチャは以前、嫌なことでもやらなければならないと言っていた。しかし今のところ嫌な仕事を任されたことはない。


 現在やっている馬の世話は今までも生活の一部だったからそれが奴隷の仕事と言われてもぴんと来ない。


 あえて言うなら競馬だろうか。だが競馬は夏に行った貴族競馬と先月行った大衆競馬ぐらい。まだ二回しか走っていない。だから仕事という感じがしない。


 他の奴隷達はちゃんと働いている。ジェクサーやウルクスらは用心棒として、シュガルの護衛に当たっている。クロブはシュガルの補佐を勤めているし、それ以外の人達も給仕やら掃除やらでシュガルのために働いている。それに比べれば自分は相当自由にしている気がする。


 それを言えばミチャもそうだ。時々シュガルにくっついていて甘えているところを見かけるぐらいで何をしているか分からない。通訳の仕事以外しているところを見たことがない。


 結局、奴隷って何なのだろう。


 考えても埒が明かないので。ルノルノは起き上がった。もう朝だ。キルスの世話に行かなくては。


 外に出ると東の空がほんの少し明るくなっているだけで、まだまだ真っ暗だ。ランプを灯し、足元に注意しながら作業を始める。



『みんな、ご飯だよ』



 ルノルノは馬達にそう声をかけて餌桶に餌を入れていった。


 途中、ミチャも起きてきて合流したので二人で手分けして作業を行う。


 フィアロムがやって来たのはさらにその後、日が昇ってからである。



「おはよう。早いね、二人とも」



 するとルノルノがフィアロムに挨拶する。



「おはよぅ、です」



 片言の挨拶程度ならルノルノもトゥルグ語を話すようになってはきていた。しかしまだ挨拶程度だ。


 七か月も経つのに、ルノルノはあまりトゥルグ語が喋れない。その代わりカルファ語はかなり覚えた。それはミチャも同じで、ラガシュマ語をかなり習得していた。お陰で二人の間ではほぼニュアンスの違い無く会話が出来るようになっている。


 それもルノルノがトゥルグ語を覚えない一因になっている。


 ミチャが通訳し過ぎて、ルノルノ自身覚える必要性に迫られていないのである。


 ミチャはミチャでルノルノにトゥルグ語を叩き込もうとはしない。


 面倒臭いというのもあるが、ルノルノと話が出来るのは自分だけという特別感を意識していた。なぜその特別感を求めているのかはミチャ自身にも分からない。


 そうこうしている内にルノルノがキルスの調教を始めた。キルスと向き合っている時のルノルノはやはり遊牧民族であり、トゥルグ人とは一線を引いた存在に見える。そんな彼女の姿を見ながら、フィアロムがぽつりと言った。



「もう少し言葉が話せたらいいんだけどな」



 ミチャは怪訝な顔をした。



「ん? 何で?」



「そうすればもっと彼女と親しくなれるから」



「今でも親しいじゃん」



 実際言葉は分からなくても二人は絶妙なコンビネーションで仕事をこなしていく。ミチャから見てもフィアロムとルノルノが親しくないとは思わない。



「二人きりでって意味だよ」



 ぶっとミチャが吹き出す。



「何? フィアロムさん、あの子とそういう仲になりたいの?」



「僕に限らず、彼女を狙っている男は多いと思うよ。みんな言葉を話せないのとシュガル様が怖いのとで、行動に移せないんだよ」



 それは初耳だった。


 フィアロムによると男奴隷達の間ではルノルノは人気が高いらしい。



「実際彼女とそういう仲になりたいかはともかく、彼女と話したい人は多いよ。だからみんな彼女が奴隷会に来てくれることを望んでいるみたいだよ」



「あー……」



 ミチャは複雑な心境になった。


 最近打ち解け過ぎて時々忘れかけるが、彼女は排除しなければならない存在なのだ。シュガルが言った一年の期限もあと半年もない。だからさっさとウルクスとくっつけてしまわなければならない。


 しかし、何だろう、このもやもやした感じは。



「まぁ、でも最近奴隷会やんないじゃん」



「やってるよ」



「え、あたし呼ばれてないけど」



「大規模なやつはやってないのさ。少人数だけ、ちょこっと集まってって感じかな。ほら、最近シュガル様は出張されないから」



「そうなんだ」



 ルノルノがキルスの調教を終えて馬場に解き放つ。キルスはしばし自由を楽しむようにルノルノから離れていった



「まぁ、もし次参加する時は、是非彼女も連れて来てよ」



「んー……でも、この子はシュガル様のお気に入りだから、軽い気持ちで抱くと酷い目に遭うわよ?」



「みたいだね。クロブ様がそう言ってた」



 ルノルノがシュガルのお気に入りであることは既に周知の事実らしい。



「あの子が泣きつけば、奴隷会の存在が旦那にばれちゃうこともあり得るわよ」



「それは嫌だけど……。でも、クレミの時みたいに彼女をその気にさせて結婚までもっていけば、シュガル様も許さざるを得ないと思うんだよね」



「……んー……まぁ、そう……だけど……。何、フィアロムはあの子と結婚したいの?」



「はは。どうだろうね」



 ミチャの目的から考えれば、ルノルノの結婚相手はウルクスでもフィアロムでも構わない。要はシュガルの愛人候補から外れてくれればそれで良いのだから。


 しかしなぜか気に食わない。


 ルノルノのことをフィアロムに横取りされているような気がして、何か気に食わなかった。


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