第46話 競馬場へ
八月十五日。その日は朝から緊張感に包まれていた。
朝、屋敷の門が開く。シュガルとラーマを乗せた馬車が中から現れた。その後ろにキルスが入った檻を乗せた馬車が続く。
『馬を乗せる馬車って凄いね』
『あたしも初めて見た』
ルノルノがミチャにそう言う。二人はキルスと一緒に檻の中に入っていた。
この馬車は競馬が大好きなバルファ公の特注馬車らしい。レースに参加する馬が疲れないよう公平に期すために作らせたというから驚きである。
『しっかし、そこまでやるかねー……金持ちのやることは分かんないわ』
馬を驚かせないように比較的ゆっくりと進む。
道往く人々がその巨大な馬車を一目見ようと沿道に並んでいた。
『何かあたしらまで見物されてるようにしか見えない……』
檻の中から外を見ていると、奴隷で売られていた頃を思い出す。ミチャはちょっと嫌な気分を思い出した。
『しかし、ルノルノのその姿、久しぶりに見たわ』
『私も久しぶり』
ラガシュマ族の民族衣装シェクラとルサックである。足にはパロを履き、頭にはカンシェを巻いている。
綺麗に洗濯され、ラーマが保管していたものを晴れ舞台だからということで着て来たのである。
沿道の人々の声が耳に入る。
「見ろ、遊牧民の奴隷が馬と一緒に檻に入れられている」
「小汚い格好して、馬と一緒に売られるんじゃないのか」
ミチャは小さく溜息をついた。ルノルノがトゥルグ語を理解出来なくて良かった。この子は精神的に脆いから分かっていたら絶対に調子を崩す。とりあえず最高の状態でレースに挑むのが一番だ。
だがミチャにはもう一つ不安があった。
あの時はお小遣いに目が眩んでルノルノを焚き付けたものの、よくよく考えてみると相手は貴族で、お抱えの調教師や騎手がいるのである。彼らはその道のプロだ。ルノルノもプロではあるが、またちょっと違う。彼らは恐らく馬達を理論的に無駄なく鍛えてこのレースに挑んできている。要は競馬で走るための精鋭だ。
それに引き換え、キルスは草原を走っていた野生馬に近い。勝てるのか分からなかった。
負ければシュガルは笑い者になる。それどころか遊牧民を貴族の家に入れた無礼者と陰口を叩かれかねない。
別に自分のことをとやかく言われるのは気にしないが、シュガルのことまで悪く言われるのはなんとなく嫌だ。
「最下位だけはやめて……」
それがミチャの願いであった。
馬車はやがて大きな門の前に来た。門番が立っている。
「シュガル・アーサーン殿、ご到着でございます!」
御者が門番にそう言うと、馬車を通された。
競馬場に着いたらしい。
「え? これが個人で作った競馬場?」
ミチャは目を見張った。西門の競馬場とは違い、観覧席まで用意されている。そしてその席に大勢の貴族達が座っているのである。
「ど、どこが身内だけの小さな会なのよ……」
貴族の家族、従者なども合わせると恐らく千人規模での観戦である。
キルスを割り当てられた厩のブースに誘導する。するとシュガルとラーマもルノルノ達のところへやって来た。
「これって、本当に身内の会なんですか?」
思わずミチャが聞くと、シュガルは頷いた。
「現に皇帝陛下は来ておられない。皇帝陛下が来られたら身分の怪しい俺なんか参加出来んよ。今日のレースには、商会長あたりも招待しているみたいだ」
「マジですか」
「ああ。さっきラザール商会のエスタ氏を見た」
ラザール商会とは主に南海交易で儲けている商人であり、エスタはその会長である。破格の金持ちだが、家の格は無い。どこかの貴族が特別に招待したのだろう。
「まぁ、俺も招待されているぐらいだから俺以外にいても別に不思議ではないな」
「なるほど」
しかしこんな競馬場を個人で作り上げるなんて恐ろしい金持ちだと思う。
「まぁ、馬を出しているのは俺だけだがな。後の馬は全部貴族持ちの馬だ」
ミチャはルノルノの方を見た。
ルノルノは緊張しているのか、それを解すようにキルスの首、鼻をよく撫でていた。この人数の観戦だ。無理も無い。
「調子はどうなんだ?」
シュガルがミチャを介してルノルノに尋ねた。
『多分大丈夫』
シュガルは苦笑いした。
「多分、な」
そろそろ移動するように声がかかる。
出場騎手達が一斉に鞍を馬の背に乗せ始めた。
「これって次どこ行くんですか?」
「あの誘導員について行けばいい。後はそのままスタート位置まで誘導してくれるさ。我々は馬主席から観覧する。ミチャは厩の端からしか見れんから、そこにいろ」
「はぁい」
ミチャはルノルノに言った。
『ルノルノ。騎手の中で遊牧民はルノルノだけ。肩身が狭い思いするかもしれないけど、その服のことを思い出して。その服はあんたのラガシュマ族の誇り。最高の馬術と謳われたラガシュマの象徴なんだよ。それを背負って走るんだよ』
ルノルノは拳を握りしめてこくりと頷いた。
ルノルノが誘導されて
そこには貴族の奴隷達が身を寄せ合うように馬場を見つめていた。
貴族の奴隷だけあって、ミチャより身綺麗である。
(ちぇ、奴隷まで気取りやがって)
自分が走る訳ではないのだが、ミチャはそっと対抗心を燃やした。
「はい、ちょっとごめんなさいよ。あたしにも見せておくんなし」
そう言いながら他の奴隷達を掻き分け、コースを見渡せる場所を確保する。
いよいよ本番が近付いて来た。
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