第43話 もやもやとした感情
基本的にルノルノはラーマを慕っており、そもそもべったりな傾向ではあったが、刺繍の一件以来それが加速した。ラーマも乗馬を教えてもらっていることのお返しと称してルノルノに刺繍を教えるようになっていた。
ルノルノが馬番となってから一か月半。七月も半ば、夏真っ盛りである。しかしミチャはここ一か月つまらない日々を過ごしていた。そのほとんどの原因はルノルノである。
それまで夜はルノルノと二人きりの時間を過ごしてきていた。馬のことや剣のことで少しずつ話題も増え、打ち解けてきたということもあり、特に二人で決めた訳ではないが夜はルノルノとお喋りをする時間となりつつあった。
だがその時間をラーマに奪われるようになった。夜、ルノルノはラーマの部屋に行って刺繍を習っているのだ。刺繍はルノルノとラーマを繋ぐコミュニケーションの手段となっていた。そして眠くなった頃に帰ってきて、そんなに喋ることもなく寝てしまう。
(ルノルノと意思疎通出来るのはあたしだけのはずなのに……)
ミチャの気持ちは複雑だった。仲良くしたくなかったはずなのに、彼女が自分に向いていないと気になって仕方がない。
(やっぱりルノルノなんかと仲良くなんてしたくない!)
そう決意を新たにしようとした時、突然部屋の扉が開いた。
『ただいま』
ルノルノが帰って来たのだ。
『あ、おかえりー』
ミチャはベッドの上で上体を起こし、足を投げ出して座っている。その格好のまま、まるで気にしてないように振る舞った。
ルノルノは淡々と寝る準備を進める。
やっぱり今日もお喋りはなしか……と思っていると、不意にルノルノがミチャに声をかけて来た。
『ミチャ』
『うん?』
ルノルノが床に敷いた毛布の上に寝転びながら、ミチャの顔を見上げている。
いつもすぐ寝ていたのに、今日は呼びかけてくれるんだ。ミチャは少し胸が高鳴るのを感じた。しかしそれも束の間だった。
『ミチャも来ればいいのに。ラーマさんとこ』
散々夜の時間を一人にしておいて、久しぶりにお喋りするのかと思ったら、結局ラーマさんか。
ミチャはむっとした。
『あたしはいらない』
『そう?』
『どうせ手先とか器用じゃないし、苦手なのよね、そういうの』
『そっか……残念』
ルノルノは寂しげに俯くと、ころんと寝返りを打ってミチャに背を向けた。
その様子にミチャはちょっと胸が痛む。
声にも少し棘があったかもしれない。せっかくルノルノが誘ってくれたのに。
しかしもう一つの感情が囁きかけて来る。こいつは邪魔者だから気に病む必要はない、と。
もやもやした感情を抱えたまま、ミチャは毛布を被った。
翌日、ミチャが目を覚ました時にはルノルノは既にいなかった。
朝一で馬場に行ったのだろう。いつもならルノルノのいる馬場へ彼女を迎えに行ってから朝食を食べに行くのだが、何となく一緒に行こうという気にはならず、一人で食堂に行った。
食堂では何人かの奴隷達が食事を摂っている。その中にウルクスを見つけ、その向かいに座った。
「おはよー、ウルクス」
ミチャはちらりとミチャを見ただけだった。
「一人か」
「うん。今日はね」
多分明日もだけど、と心の中でつけ加える。
思えば彼女が来てから二か月ちょっと経つが、二人一緒じゃない時はなかったな、と思い返す。
「例の件はどうなっている?」
「例の件?」
「あの小娘のことだ」
あぁ、そうだ。あの子を排除したいがためにウルクスに協力してもらう予定だった。そう、あんな邪魔者はさっさと消えてもらうに限る。
「最近あの子も忙しくしてるからなぁ。なかなか刷り込みする暇がないのよね」
「そうか」
「強引に事を進めて、もし訴えられて旦那の怒りを買っちゃったら意味がないしねー。やっぱある程度の耐性付けとかなきゃ、乱暴なことした時に騒ぎ出すかもしれないじゃん」
「ふん」
ウルクスは鼻で笑って食事を終えるとさっさと席を立った。
「別に何でも良い。俺には小細工は要らんが、お前が持って来た話だしな。お前の作戦通りに動いてやる。さっさと決めてあいつを俺の前に跪かせろ」
「分かってるって」
小細工が要らないってどういうことだろう。色々面倒なことが起こるだろうから小細工は必要なんじゃないのか……。
少しウルクスの言葉に不安なものを感じたが、気のせいだろうと気にしないことにした。
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