第41話 馬の世話

 ルノルノは日の出と共に起き、まだみんなが寝静まっている時間から屋敷の裏にある馬場へ一人赴く。


 シュガルの屋敷の馬場も城外にあるものほどではないが、比較的広い。敷地内に馬を飼うだけの土地があるとはルノルノも知らなかった。


 干し草や飼料を運び出し、五頭の馬達に均等に与える。数百頭単位で管理する遊牧生活に比べれば非常にささやかな数である。


 そして馬場に馬達を解き放ち、その間に厩の掃除をする。馬糞を燃料にする必要はない。全部業者に引き取ってもらう。


 一通りの作業を終えると朝食を摂る。


 その後はキルスを城外の馬場へ連れ出して調教を行う。


 昼からは剣の練習。昼下がりに再び馬の調教だ。


 そして夕方の餌やりが終わったら後はゆっくり過ごす。


 どこか以前の遊牧生活に似ていて、ルノルノがこの生活リズムに慣れるのにはそんなに時間がかからなかった。


 屋敷裏の馬場には週に二、三回程度の頻度でシュガルとラーマも姿を現した。


 自分たち専用の馬がおり、暇な時間に乗馬を楽しむのである。


 その二人の乗馬指導もルノルノは行った。特にラーマに教えるのが嬉しいのか、彼女にはべったりと懐いていた。



「ルノルノちゃんは教えるのが上手ね」



 ラーマはそう言ってルノルノの頭を撫でてやる。ルノルノには相変わらず笑顔は無いが、少し照れているのは分かった。


 ミチャにはそれがちょっと面白くなかった。



(あんな顔、あたしにはしないのに……)



 ルノルノが馬番を始めて二週間が経過した。



『ほら、お食べ』



 西の国で使われているというフォークという農具を使って干し草を掬い取り、運ぶ。使ったことない器具だがここへ来て使い方を覚えた。なかなか便利だ。



『ふぅ……』



 飼料の入った麻袋を持ち上げる。十四歳の少女の筋力には少しきついが、それでも剣術の練習と思って何とか運んでいく。


 遊牧生活での家畜の世話は男の仕事である。ルノルノは男手の少ない家だったということと、元々活発な性格だったということが重なり、男の仕事を手伝っていた。だから家畜の餌やりも何度かロハルを手伝って一緒にやったことがある。


 しかし一人でやるとなるとこんなに重たいものを毎日運んでいたのかと思う。それも数百頭相手に、だ。こういうところで改めて父の偉大さを思い知る。



「おはよう」



 ルノルノは後ろから声をかけられた。


 馬の世話係はルノルノだけではない。もう一人、前から馬の世話を担当している奴隷がいる。


 彼の名前はフィアロムと言った。


 何代か前は遊牧民だったらしいが、すっかりアルファーン帝国に馴染んでいて、その面影はない。年齢は三十二歳。髪は茶色で肌は黄土のような肌色をしている。目は黒く、少し垂れていて柔和な印象を与える。


 ルノルノがここへ来て初めて使用するフォークの使い方を教えてくれたのも彼である。



『おはようございます』



 お互いトゥルグ語とラガシュマ語で挨拶する。ルノルノも挨拶ぐらいなら聞き取れるようにはなっている。



「遅くなってごめんね。それは僕がやるよ」



 ルノルノが運ぼうとしていた重たい麻袋を受け取り、軽々と運ぶ。フィアロムは一見細そうだが、意外に肩幅はがっちりしていて筋肉質な体の持ち主なのだ。



「君が早起きだから、僕も負けないように早起きしないと仕事が無くなっちゃうよ」



 そう言って彼は笑う。


 彼は遊牧民の言葉は全く知らない。だから会話しているようでも、実際はお互い何を言っているのか分からない。しかし分からないなりにルノルノとの会話を楽しみ、笑いかけてやる。言葉が通じないからといって黙って気まずい空気を作るようなことはしないのだ。


 今のところルノルノは彼と一緒に仕事をするのは苦ではない。それどころか、困った時にはすぐに助けてくれて、紳士的で、優しい。その頼り甲斐あって落ち着きのある姿に父親をつい重ねてしまう。



「馬を運動させてきてもいいよ」



 フィアロムはルノルノの馬具を指差し、行ってきて良いよと身振り手振りで伝える。


 ルノルノは掃除もそこそこに、他の馬達の頭を撫でていきながらキルスの元へと行った。



『おはよー、ルノルノ』



 ミチャが馬場に姿を現した。



『馬に乗るの?』



『うん。競馬に備えないと』



 馬具を着せ終えると左足を鐙にかけ、たんっと右足で地面を蹴ってキルスに跨った。



『軽くだけ走らせるよ』



 キルスは小気味良く常歩で歩き始めた。しばらく慣らすと、速歩にして馬場を一周する。


 そこで掛け声をかけて駆歩になる。キルスはルノルノの指示に忠実だ。



「素晴らしい人馬一体だね」



 ルノルノの姿を見て、フィアロムがそう言った。



「まぁ、現役遊牧民だし、元々あの子の馬だしね」



 生き生きとしたルノルノはミチャにとって眩しい。


 笑顔こそ見られないが、キルスと一緒の時が一番眩しく見える。


 もしあのあどけない顔が笑顔で満ちたら、きっと春の息吹が感じられるぐらい明るく華やぐだろう。


 そんな顔も一度見てみたいな、とぼんやり思った。


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