第40話 親友との再会

 ジェクサーの指導を受けてから九日過ぎた。ルノルノもミチャも剣の切れに鋭さがもう一つ磨きがかかったような気がしていた。もちろん九日程度なのでそんなに変わりはしないだろうが、気持ち的にはそれだけ充実していた。


 この日の昼過ぎ、練習中のルノルノとミチャの元にマウルがやって来た。シュガルが馬を見てほしいので城外まで来るようにとのことで二人を呼んでいると言うのである。


 メルファハンには東西南北の四つの門があり、シュガルの屋敷は西門に近い。マウルは二人を西門の方に連れて行った。



『馬、飼ってたんだね』



 ルノルノは生き別れたキルスのことを思っていた。ここへ来て三週間ちょっと。ルノルノがキルスのことを忘れた日はなかった。ただ、会いたくてもどこへ行ったか分からないのである。きっとどこかに売られてしまった、もう彼には会えない、そう思っていた。


 西門から城外に出るとすぐ目の前に馬場が広がっていた。


 そこにシュガルとラーマ、用心棒達、そして馬に跨った小柄な男がいた。


 ルノルノはすぐに気付いた。その黒鹿毛の毛並み。間違いない。その小柄な男が跨っている馬はキルスであった。



『キルス!』



 ルノルノが叫んでキルスに駆け寄った。突然駆け出した彼女に用心棒達が一瞬色めき立つが、シュガルが構わんと手で制止した。



『良かった……。こんなところにいたんだね……。もう会えないと思ってた……』



 ルノルノはキルスの鼻を優しく撫でた。すると彼もルノルノの胸元に鼻を押し当てて甘えた。


 しかしシュガルはそんな感動の対面などどうでも良い。憮然として言った。



「おい、こいつを何とかしてくれ」



「どうしたんですか? 旦那」



 ミチャの問いに、シュガルはキルスの首をぽんぽんと叩いて答えた。



「こいつが全く言うことを聞かん」



 キルスの背に乗った小柄な男は困った顔をしていた。暴れることはないが腹を蹴ろうが撫でようが、全く動こうとしない。



「可愛げのない馬だ」



「なるほど、それでルノルノを呼んだんですねー」



「元々こいつの馬だからな。こいつが背に乗ったら動くのか?」



「そりゃ動くんじゃないですか?」



「乗ってみろと伝えろ」



 小柄な男と交代してルノルノがキルスの背に跨る。そして彼女がその腹を優しく足で圧すと、キルスはゆっくりと歩き始めた。



『あんまり私達の馬に慣れない人は乗らない方がいいよ。この子は大人しいけど、急に走り出したり暴れたりする子もいるから危ない』



 シュガルはミチャの顔を見た。



「何言ってるんだ?」



「あんまり素人が遊牧民の馬に乗るなって言ってます。突然暴れることもあるらしいです」



 シュガルは少し考えているようだったが、何か思いついたようにミチャに言った。



「ルノルノに一周、全速力で走るように言ってみろ」



 それを聞くと、ルノルノは困ったような顔をした。



『自分の馬具じゃないから、乗りにくい』



『馬具があれば大丈夫?』



『うん』



 シュガルはもう一度マウルを走らせて馬具を持って来させた。


 ルノルノの馬具も一緒に買ったのは良いものの、鞍が少し小さくて乗りにくかったので倉庫に放り込んでいたのである。


 小さいのは子供用という訳ではない。ラガシュマ族の鞍は元々小さめなのである。


 やっぱり自分の馬具はしっくり来る。


 ルノルノは左手で長い手綱をまとめて握り、もう右手で余った手綱を握った。



「鞭は使わんのか?」



『要らない』



 ルノルノはスタート位置までキルスを進めた。



『はぁっ!』



 掛け声と共にお腹を蹴った。ミチャがルノルノもあんな声出せるのかと少し驚くぐらい、鋭い掛け声だった。


 襲歩で駆け出したキルスはぐんぐん加速して行き、風のように疾走していった。馬に跨るルノルノのその姿はまさに草原の民という言葉に相応しい。片手手綱でしっかり馬を制御していた。



「さすが現役の遊牧民だな」



 ぐるっと一周回って来て最後の直線コースに入ると、右手で持った余った手綱を鞭代わりに叩きつける。キルスの速度が目に見えて上がった。



「おー、すご。正に人馬一体」



 ミチャが素直に感嘆の声をあげる。


 みんなが見守る中、風のように駆け抜けた。


 一周走り終えると、ルノルノとキルスは速度を落とし、シュガル達の前に戻ってきた。久しぶりに親友を乗せたキルスは首を伸ばして誇らしげだった。



「おい、ルノルノ」



 キルスの首をぽんぽんと叩いて労るルノルノにシュガルが言った。



「お前、競馬に出んか?」



 ルノルノがミチャの顔を見る。何と言ったのか分からなかった。



『競馬。馬の競走競技だよ。それに出ないかって』



 ルノルノは小首を傾げた。馬の競走なら遊びで何回もしたことはあるが、トゥルグ人達の行う馬の競争がどんなものか想像もつかなかったのだ。



「いや、実はこの八月に政治屋の連中に貴族競馬の方に誘われていてな。俺にも馬を出して来いと言うのだ」



 アルファーン帝国には競馬が二種類ある。大衆競馬と貴族競馬である。いずれも賭博であるが、大衆競馬は文字通り自由人なら誰でも参加が出来る。馬を提供する馬主は主に大商人である。貴族競馬は貴族かその関係者で許された人しか参加出来ない。馬主は主に貴族達である。


 いずれも城外にある競馬場で開かれる。



「じゃあ旦那も貴族の仲間入り?」



「まさか。政治屋どもは俺に恥をかかせたいのさ。自分達の馬を自慢するついでに俺の馬が劣っているところを見せ付けて優越感に浸りたいのだろう」



 くだらない連中だ、とシュガルは吐き捨てるように言った。



「勝ったら何か良いことあるんですか?」



「賞金が貰える」



「いくらぐらい?」



「今回の競馬は身内だけの小さな会だ。一着でせいぜい一千ミアリだ」



 ミチャは目を丸くした。



「一千ミアリ⁉︎」



 下級役人の給料十年分はある。それで小さな会というのだから、大きな会になるといくら出るのか想像もつかない。



「勝ったら少しだが小遣いぐらいはやる」



 もちろん奴隷だから小遣いでも蓄財は出来ない。ただシュガルは一日で消費出来る程度の小遣いを奴隷に渡して街に遊びに行かせてやるようなことを時々やっていた。



『ルノルノ、やってみようよ』



 ミチャは俄然やる気である。



『勝てばお小遣い貰えるし、ちょっとは気も紛れるんじゃない?』



 ルノルノはミチャの言葉にこくんと頷いた。



『ミチャがそう言うなら、出る』



 その答えにシュガルは満足そうに頷いた。



「よし、今後この馬の世話はルノルノがやると良い」



 こうしてルノルノは八月の競馬に出ることになり、同時にキルスの世話係に任命された。


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