第32話 ミチャの打算
『これ、なに?』
契約書をミチャに見せながら聞いた。
『シュガルの旦那の奴隷ですよっていう証』
『奴隷って……?』
ルノルノには奴隷に対するイメージは何もない。
ラガシュマ族内に奴隷という身分が存在しないということもある。
もちろんハガシュのようにアルファーン帝国の街に出向いたことがある大人達は知っていただろうが、取り立てて子供達にその存在を教えるようなことはしなかった。
ただし、ラガシュマ語にもカルファ語にも奴隷を意味する単語は存在する。
かつて民族同士で戦っていた時、征服したりあるいはされたりしていた名残だ。
いずれにせよ平和な時代に生まれ育ったルノルノは、奴隷とはどういうもので、どういうことをするものなのか分かっていない。
『主人であるシュガルの旦那の所有物ってこと』
『どんなことするの?』
『何でも。シュガルの旦那の命令を全部聞かなきゃいけないってことよ。例えそれが嫌なことでも』
ミチャはそう言ったが、ルノルノに通じたのは「嫌なことをする」という部分だけだった。ルノルノの暗い顔がさらに曇る。
『嫌なことって? 怖いことするの? 例えば、どんなことするの?』
ミチャは小さく溜息を吐いた。震える声で尋ねるルノルノの哀れみを乞う感じが苛立たしい。その感情が思わず口について出てしまう。
『しつこいなぁ……。要は、あたしやウルクスらと同じってこと! あたし達と同じことをすればいいの! 分かった?』
ミチャの語気が少し強くなったので、ルノルノは少し怖気づいて黙り込んだ。
悲しそうに涙を大きな目いっぱいに溜めて、読めない契約書を見つめていた。
ミチャも用心棒の面々も、そしてクロブも身分は奴隷である。
アルファーン帝国では奴隷といえども能力があれば様々な職種に取り立ててもらえるのが普通だ。奴隷を粗末に扱うことは教義的にも避けた方がいいとされている行為なのである。つまり普通のアルシャハン教徒なら自分の奴隷を無闇に虐げるような真似はしない。皇帝の奴隷ともなると政治や軍事に携わる者すらいるぐらいである。
ただ、あくまで避けた方がいいというだけであって、虐待が無い訳ではない。
結局は主人の胸三寸なのである。
ミチャは少しきつく言い過ぎたかなと思ったが、ルノルノのいちいち自分を哀れがる態度が好きになれないのも事実だ。
もっとも、苛立つ理由はそれだけではない。
黙り込んだルノルノを放っておいてミチャはシュガルの腕にまとわりついた。
「ねぇ、シュガルの旦那。ルノルノとも子作りするんですか?」
ミチャが一番苛立った理由。
それは解放条件の条文。自由人との子作りをした場合というところだ。
奴隷は主人以外の自由人との子作りは許されない。つまりこの条文はシュガルとルノルノが子作りした場合という意味になる。
「ルノルノは処女か?」
シュガルがそう言うので、ミチャは仕方なくルノルノに男と付き合ったことがあるか尋ねた。
当然ながら無いという答えである。
シュガルはにやりと笑った。
「ならば、する。身綺麗になったあいつはなかなか良い女だ」
シュガルは簡単には愛人を作らない。だから女奴隷を抱くことはまずない。
自分の子種が持つ威力をよく理解しているのだ。
だから今でも欲望は全て自由人で若い恋人であるラーマにぶつけている。
だがそんなシュガルが良い女だから愛人にしてやると言った女奴隷がミチャの知る限り二人いる。
一人はクレミというミチャの七つ年上の女奴隷。もう一人がミチャ自身だった。
クレミは色々あって、もう他の男奴隷と結婚してしまい、愛人の候補からは外れた。
だから今シュガルの愛人になる資格を持つのは自分だけだとミチャは思っていた。思っていたのに……。
「いつぐらい?」
「それはあいつ次第だな。早ければ来年ぐらいから仕込み始めるだろうな」
「え、来年? 相棒にするのは?」
「要は一年様子を見て、お前の相棒として役に立たなかったら俺の子を産ませる」
来年ということは、ルノルノは十五歳だ。
アルシャハン教で定められている結婚可能年齢および性交渉可能年齢は十歳からである。
だが大人としての体が完成されていないなどの理由で、子作りは最低でも十五、六歳ぐらいまで、出来るなら十八歳ぐらいまで控える方が良いと推奨されている。
だからほとんどの一般家庭ではその原則を守っており、結婚は二十歳前後まで待つ。
だが奴隷の場合は違う。その性的搾取は教義通り十歳を越えれば始まることが多い。
奴隷の少女達はそういった理由から十八歳未満で身籠ってしまうことがほとんどである。
余談になるが、大人の体になっていない母体はそれだけ子供を産むリスクが高く、彼女達が命を落とす主な原因の一つとなっている。
「えー、ずるくないですか? あたしはまだなのに? この子の方が子供じゃないですか」
シュガルはどちらかと言えばラーマのような大人の女性が好みのはずである。腑に落ちないという顔でミチャはシュガルの腕に体を擦りつけた。
ミチャは早くシュガルとの子供が欲しい。だからいつ声がかかっても良いように毎晩体は隅々まで清潔にしているし、良い匂いがするように香油を塗ることにも余念がない。
ミチャもまだ十六歳だが体格は恵まれている方だ。
確かに胸はラーマに比べれば発展途上かもしれないが、比較的豊かに育っている。背は同年齢の子達より少し高く、すらっとした体型をしている。
見るからに幼女っぽいルノルノよりはミチャの方がシュガル好みのはずなのだ。
「お前はまだ役に立つからな。大事に取ってあるんだ。こいつだって役に立つなら来年とは限らない」
ミチャは少し拗ねた顔をした。
ルノルノがシュガルの役に立つ訳がない。そもそも精神的にもたないだろう。つまり自分よりも先に愛人となることはほぼ確定しているようなものだ。自分の方が前からいるのに、納得出来ない。
「じゃあ、あたしとはいつ作ってくれるんですか?」
「お前はいつ欲しいんだ?」
「今晩すぐ。あたしは旦那のためなら何だってします。全身でご奉仕しますよ」
シュガルの腕にしがみつき、豊かな胸を押し当てて縋りつくように言った。
ミチャは、シュガルのことが好きかどうかなど自分でもよく分かっていない。考えようともしたことがない。
それでも彼女がシュガルに媚を売るには別の理由がある。
早く自由人になりたいのである。ミチャの解放条件もルノルノと全く同じだ。だからシュガルの子供を産めば自由人になれるのだ。
自由人になれば蓄財も許される。さらにシュガルの愛人になれば財産の分け前も相当な額になる。自由を手に入れ、良い暮らしも手に入る。良いこと尽くしなのだ。
そんなミチャの打算を見抜けないシュガルではない。
だが彼にとってミチャのそういうところはあざとい子猫のようなもので、可愛いものだと思っている。
「そうだな、あと二、三年もすればお前ももっといい女になるだろ。その時にまた考えてやる」
「えー……」
納得はいかない。しかしシュガルの機嫌を損ねるのも得策ではないので、それ以上は何も言えなかった。
「じゃあ二年後! 二年経ったら子作り約束ですよ! あたしも旦那の子種が残ってるうちにしたいんだもん」
「まぁ、俺も五十だしな。なぁに、お前が相手なら俺も若返るさ」
シュガルはミチャの若い体の感触を楽しむように腰に腕を回してそう言った。
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