第30話 夢と現実

 風呂を出てからはルノルノを襲う睡魔の猛攻は苛烈を極めていた。


 体力が戻ってないにも関わらず、早朝からウルクスと激闘したのである。無理もないことであった。


 ふらふらの彼女を連れて、ミチャは自分の部屋に戻る。


 シュガルからは寝食を共にするように命じられている。こんな子と一緒だなんて正直気が重い。



『ここがあたしの部屋』



 彼女に与えられている部屋は二階で、玄関ホールから左の階段を上がってすぐのところにある小さな部屋だ。

 大きなベッドが一つ壁際に置かれているが、それだけでかなり部屋は手狭になっている。



『そして今日からあんたの部屋でもあるのよ』



 もう一つベッドが入る訳ではない。部屋の広さにそんな余裕はないし、そもそもルノルノがシュガルに飼われることになったのも今朝急に決まった話だからもちろん準備なんて何もない。


 ルノルノの持ち物は全部没収された。父親の三日月刀も結局取り上げられてしまった。もうどこにあるか分からない。形見の刀なのに、と思うと悲しかった。


 服はミチャのお下がりを着ている。彼女が十三歳の頃に着ていた服で、上は胸だけを隠し、お腹は露出している。下はゆったりとした膝丈のパンツだ。ごくシンプルな動きやすい服である。


 しかしミチャが十三歳の時に比べると十四歳のルノルノの方がずっと幼く、小さい。むしろ服が大きく見える。


 そういったお下がりの服がルノルノのために三着用意された。


 ルノルノは床に倒れ込むように寝転がった。



『ベッドで寝なよ』



『ありがとう。でも、床でいい』



 ルノルノもさすがに今日初めて知り合った人と同じベッドで寝る気にはなれない。


 ミチャもその辺りは弁えているので無理強いしない。



『今日はもう一日寝ちゃいなよ。朝から色んなこと同時にあったしね』



 ミチャの言葉の後半はもうルノルノには届いていなかった。


 すーっという寝息が聞こえる。あっという間に眠りに落ちたようだった。



「ふぅ……」



 大きな溜息を吐く。


 新しく出来た妹分は陰気だが、心が奪われるほどの美少女でもあった。



「こんな可愛い子、初めて見た……」



 仲良くはなりたいとは思わない。だが同時にもっと知りたいという矛盾した感情が芽生える。



「どうしたもんかなー……」



 ミチャはルノルノの寝顔を眺めながら、トゥルグ語で呟いた。








 ルノルノは夢を見ていた。


 大好きなミアリナが冷たく、虚な目でルノルノを見つめている。


 その後ろには四肢を失ったロハル、無数の矢で射抜かれたリエルタもこちらをじっと見つめている。


 その時横から視線を感じる。


 オロムを始めとする仲間達がぼろぼろになった体を引き摺りながら、こちらを恨めしそうに見ている。


 周りを見渡せば、ラガシュマのみんながルノルノを冷たく、虚で、無機質な目で見ているのだ。


 ルノルノは叫んで蹲る。


 ごめんなさい! ごめんなさい! 助けられなくてごめんなさい! 一人生き残ってごめんなさい!


 すると左肩に冷たい手が置かれる。見上げると杭に貫かれたミアリナがルノルノをじっと見つめていた。








『わあああぁぁぁっ!』



 眠っていたルノルノが突然大声を上げて目を覚ました。


 慌てて周りを見回す。そこはマフではない。姉はいない。父もいない。母もいない。ラガシュマのみんなもいない。


 見覚えのない壁、天井、ミチャ、そしていつの間に入って来たのか分からないがあの大男がいた。


 ルノルノは左肩の冷たい感触を思い出す。そこにはミチャの手が置かれていた。



『起きた? 大丈夫? なかなか起きないから……』



 ルノルノはこくんと頷いた。



『大丈夫……』



 ゆっくりと立ち上がる。


 窓の太陽の高さを見る限りまだまだ朝のうちであり、そんなに時間は経っていないようだった。


 床で寝ていたせいか体の節々が少し痛い。



『……ルノルノ、あたし、忘れてたんだけど、行かなきゃいけないところがあったの』



『行かなきゃいけないところ?』



『そう……今それをウルクスが言いに来てね』



『ウルクス?』



『あ、彼の名前ね』



 ルノルノは自分が戦った相手がウルクスという名を持つ歴とした人間であることを改めて認識した。


 彼と目が合うと少し怯えてしまう。馬乗りになって殴られた恐怖は剣術で勝ったぐらいでは拭えない記憶となっている。



「用件は伝えたか?」



「うん」



「それでは、行くぞ」



 ルノルノは期せずして街へ出ることとなった。


 シュガルとルノルノ以外に、ウルクスとミチャ、そして初めて見る男が三人、お供としてついて来た。



『紹介するわ。ジェクサー先生、マウル。二人とも旦那の護衛だよ。そしてこちらの方がクロブさん。シュガルの旦那の補佐してる』



 ジェクサーは線の細い優男といった感じで、肌は白く、髪も金色で、瞳も青い。年は三十五歳だそうだ。



『彼の両親は遥か西のリディナル王国の人なんだよ。ちなみにあたしの剣術の先生』



 ルノルノにはそれがどこなのか全くぴんと来なかったが、タンジス高原の遊牧民には無いタイプの人間であり、少し怖く感じた。剣術の先生ということは、ミチャも剣術をやるのだろう。


 マウルはジェクサーとは正反対で濃い褐色の肌、黒い髪、黒い瞳をしていた。肌の色はミチャよりも一際濃い褐色である。童顔で年齢も二十歳らしいのだが、十代半ばにしか見えない美少年然とした風貌をしていた。



『あたしの母親と同じ、サヴール王国の出身なんだよ』



 クロブは小太りな中年男で、髪も瞳も黒く、肌は小麦色をしたトゥルグ人である。一見にこやかで人は良さそうだが、ルノルノを舐るように眺めている。


 ミチャはルノルノに耳打ちした。



『彼は色々あるから怒らせない方が良いよ』



 ルノルノは意味が分からなかったがこくりと頷く。



『よろしく、お願いします』



 三人に挨拶するが、もちろん言葉は通じなかった。


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