第28話 苦手な気持ち
シュガルが最初にルノルノに下した命令は体を磨け、ということだった。
シュガルの屋敷の一階左奥、厨房隣には風呂場がある。
風呂場は「大浴場」と呼ぶ方がふさわしい。二十人入ってもまだ余るぐらいの大理石で出来た大きな浴槽があり、洗い場も同じぐらいの広さがある。
ルノルノは見たことない施設に戸惑った。どうしていいか分からないでぼんやり突っ立っていると、ミチャとラーマは服を脱いで裸になった。
『おいで』
ミチャは服を着たままのルノルノを連れて入った。
ラーマが大きな籠を持ってその後に続いた。
「ラーマさん、どうします? この服と鉢巻。あと靴も」
どろどろに汚れている上に虱が湧いている。捨てるのもありだが彼女にとって唯一のラガシュマの服だ。これを捨てるのは少々忍びない。
「まぁ、大事なものでしょうし、洗濯してあげるわ。虱は熱いお湯に浸けておいて、その後三日ぐらい乾かせば大丈夫よ」
「へー」
ミチャは着物であるシェクラとズボンであるルサック、靴のパロを脱がせてそれらをまとめて籠の中に入れた。
次にミチャは首飾りを取ろうとした。するとルノルノは取られまいとして胸に抱いて守る。
『どうしたの? 大事なもの?』
そう聞くと、ルノルノはおずおずと首飾りを見せた。革の首飾りに髪の毛と思われる黒い毛の束が括り付けられていた。
『この短いのがお父さん、これがお母さん……』
声が震えている。
ミチャは聞き取りにくい単語を一生懸命拾い、カルファ族の言葉と照らし合わせながら何のことか理解しようとした。どうやら父親と母親のことを言っているらしい。
『そしてこの長いのが……』
そこまで言って喉を詰まらせる。そして絞り出すように言った。
『おねえ、ちゃん……』
それだけははっきり分かった。発音は微妙に違うが、同じ言葉だからだ。
そしてその前後からようやくその意味を理解した。
「どうしたの?」
声を詰まらせるルノルノを見て、ラーマが不安げに聞いた。
「家族です」
「家族?」
「首飾りの髪」
遺髪か、とラーマも気づいた。
恐らく家族を一度に亡くしたのだろう。
流行り病だろうか。何かの争いに巻き込まれたのだろうか。
いずれにせよ、この子は一人ぼっちになってしまったのだ。
嗚咽するルノルノの背をラーマはそっと撫でてあげた。
「頼れる人もいなかったのかしら。大変だったのね……大丈夫、首飾りは大事に置いておくだけだから。勝手に取ったり捨てたりしないわ」
その言葉をミチャに訳させてルノルノに伝える。
ルノルノには「大事にする」と「捨てない」の二語しか分からなかったが、その二語で十分理解した。
小さく頷くと、首飾りを外して籠の中に入れた。
ラーマは何とも言えない複雑な気持ちになり、涙を滲ませてルノルノの頬を撫でた。
どういう経緯かは分からない。だがこの幼い少女は、一度に家族を失ったのだ。そしてこんなにぼろぼろになるまで一人彷徨い、ここへ辿り着いたのだ。
この「アンテカール」のような裏組織に身を置く者は何らかの辛い境遇で生きて来た者が多いし、それぞれの人生を単純に比較することはできない。
だがこの子は恐らく遺髪を大事にするほど、家族を愛してきたし、また愛されてきたのだろう。
そんな「普通」の、幸せな境遇にいた少女がここまで突き落とされたのだ。ラーマはそんなルノルノのことを思うと涙が溢れた。
『お姉ちゃんに、会いたい……お父さんに会いたい……お母さんに会いたい……』
一方でミチャはちょっと心が萎え始めていた。
家族があんな髪束になってしまうぐらいだから悲しい経験をしてきたのだろう。同情にも値すると思う。
しかしどんな目に遭ったのか知らないが、現実を受け止めないとこの社会では生きていけまい。自分の相棒となると尚更だ。
(まぁ、今は仕方ないのかもしれないけど……)
家族が死んで一人ぼっちになった。だがそんな経験者、この組織にはごまんといる。
「この子の虱だらけの髪、どうします?」
ミチャはそんな自分の心の動きを押し隠して聞いた。
ラーマは涙を軽く拭って笑顔を作った。
「そうね。ちょっと短く切った方が良いかもしれない。虱も退治しなきゃね。ちょっと待っててね。鋏を取ってくるわ」
ラーマはタオルを巻いて一旦浴場の外へ出て行った。
ラーマが出て行くと、ルノルノは涙を溜めて俯いていた。重い空気が流れる。
人見知りで、陰気で、涙脆くて……。あたしはちょっと苦手だな、という気持ちが芽生える。
それでもミチャはそれを払拭しようと話しかけた。
『とりあえず、下着も脱ごっか』
ミチャはルノルノが脱いだ汚れてどろどろの下着を摘まみ上げた。
汚い下着だなぁ、経血までついてんじゃん、と思いながら籠に放り込む。
『ルノルノは、この街は初めて?』
『うん』
『そうなんだ。ここまでどうやってきたの?』
『キルス……馬』
『馬、いるんだ?』
『うん。でもどこにいるか分かんない』
ルノルノは涙を滲ませた。苦労を共に分かち合って生き延びた友達の行方が分からなくなってしまったのだ。
さすがにミチャもその馬がどうなったのかまでは知らなかった。
『ここまでどのくらいかかった?』
『分かんない』
またぼろぼろと泣き出すルノルノを見て、鬱陶しくなって来た。そもそも泣く子供とは会話にならない。
「あんただけが不幸って訳じゃないのよ」
ルノルノには分からないトゥルグ語でそう呟いた。
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