第25話 怒りの矛先

 シュガルはベラーノの肩にぽんと手を置いて言った。



「ウルクスは俺の用心棒の中では一、二を争う腕の持ち主だ。同時に相手がガキならガキほどやる気になる変態鬼畜野郎だ。そのウルクスに勝つぐらいなら役に立つ女だと認めてやるよ」



 ベラーノは色んな意味で相手が悪過ぎると思った。


 確かにナイフを跳ね上げた時の技術には可能性を感じた。


 しかしあくまで可能性を感じただけだ。


 そもそもまだ安静は必要と言われている。状態は悪い。なのに、さっきウルクスに締め上げられて戦意を喪失していると来ている。


 一方でウルクスの腕は本物だ。手加減ありといえどもかなりの強さである。体格差も如何ともし難いし、体調も万全。その上幼い少女をいたぶるという滅多にないシチュエーションに興奮している。


 しかしシュガルの言葉は絶対だ。仕方ないとばかりに彼の手から木剣を受け取った。


 ベラーノはぼんやりと立っているルノルノの首輪と手枷を外した。



「おい、遊牧民。お前勝たなきゃ変態爺と変態ハゲの慰み者にされるぜ。嫌なら勝て」



 手が自由になったルノルノに木剣を渡す。そしてその背をぽんと叩いてウルクスの前に立たせた。


 しかし言葉が通じないので全く状況が掴めない。何だろうとルノルノは思う。


 また理解不能なことが起きている。


 家畜として躾けるつもりじゃなかったのか。急に拘束を解いたと思ったら今度は木剣を渡してくる。


 この大人達は何がしたいのか分からない。言葉が通じれば分かるのだろうか。


 あの首を絞めて来た怖い大男も木剣を握っている。


 あの大男と剣術試合をしろとでも言うのだろうか。


 大男と目が合った。ルノルノの背に冷たいものが走る。さっきの暴力の恐怖が甦ってくる。手が震え、足が竦んだ。



「だめだ、ありゃ」



 ベラーノは額を押さえた。


 少女とウルクスではやる気に差があり過ぎる。勝敗は最初から見えているようなものだ。


 その様子を見て、シュガルはくるっと背を向けて去ろうとした。



「見ないんですかぃ?」



 ベラーノが聞くと、ふん、と鼻で笑った。



「見るまでもないだろう」



「ねぇ、あなた。何もそこまでやらなくていいんじゃないの? 普通にお客様に出しちゃだめなの……?」



 さっきまで黙って見ていたラーマが宥めに入った。するとシュガルは首を横に振った。



「ベラーノにチャンスはやっているだけさ」



「でも相手がウルクスなんて無茶苦茶よ? チャンスなんて与えてないのと一緒じゃない。あの子が怪我するだけ損だわ」



 シュガルはラーマの肩を抱いて言った。



「ベラーノにはベラーノの意地があるだろうさ。それを捨てて謝って来たら許してやるつもりだったが、奴は意地を捨てずに木剣を取った」



 シュガルはにやりと笑った。



「なぁに、大丈夫だ。ウルクスは幼女のことになれば無我夢中になる困った奴だが、剣の腕は本物だ。怪我をさせるなと言えばさせずに倒すさ」



 ラーマはそれ以上何も言えなかった。


 ベラーノはルノルノにやる気を起こさせようと必死になって状況を説明していたが、言葉が通じないことに頭を悩ませていた。



「よし、よく聞け、遊牧民。って言っても言葉は通じねぇんだろうが」



 ベラーノは出来るだけ身振り手振りをつけてルノルノに語りかけた。



「お前の相手はあのハゲだ。お前はこの木剣であのハゲを倒す。そうしたら体を変態に渡さなくて済む。……いや、違うな。こんな小難しいこと通じる訳がない」



 この遊牧民は自分の言わんとしていることを理解しようとはしている。それは視線で分かる。もっと簡単にやる気を焚きつけることは出来ないものか……。


 ふと自分が手に持っている三日月刀に気づいた。



「よし、じゃあこうしよう。この刀を返してやる。いいな? あのハゲを倒したら、この刀をお前に返してやる」



 もちろんルノルノには何を言っているのか分からない。ただやたらと父の刀を見せる動作が気になった。



(……返してくれるの……?)



 剣術試合に勝ったら?


 何を言っているのかさっぱり分からない……。



「おい、遊牧民。やる気を見せてくれよ。でないとマジで変態共に犯されるぞ? ……ダメだな。通じている気がしねぇ」



 遊牧民の小娘の運命なんかどうってことないとは思う。慰み者になろうが路傍に捨てられようが気にはならない。


 ただ見る目が無いと思われるのはプライドが許さないし、腕が落ちたと思われるのは組織の中での沽券にも関わる。


 ベラーノは知っている。長年一緒にやってきた仲だから分かる。


 シュガルは臍を曲げているだけなのだ。


 彼の不機嫌の一番の理由はごく単純。


 要は朝から「汚物」を見せられ、あまつさえ家に上げたからだ。


 シュガルにしてみれば虱と垢に塗れた遊牧民なぞ「汚物」以外の何物でもない。


 潔癖な彼のことだ。些細なことのようだが彼にとってはそっちの方が大事なのだ。


 むしろ接待女を買ってこなかった云々の話の方が、瑣末な事柄なのだ。



「ベラーノ殿。そろそろ退いてもらいましょうか」



 ウルクスがにやにやしながら、木剣を構えている。



「分かった。好きにしろ。だが試合開始の合図は俺が出す。いいな」



「いいでしょう」



 ついにルノルノはウルクスと対峙した。


 ルノルノの震えは止まることはなかった。


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