第14話 慟哭
奇妙な感覚に囚われた。
広場に足を踏み入れた瞬間から、周りから見られているような背後に視線を感じるようなそんな感覚だ。
異臭がする。
今まで嗅いだことがない、息が詰まりそうな生臭い匂いだ。
ルノルノはゆっくりと広場を見渡した。
そこで初めて、今自分が地獄の真ん中に放り出されたことに気づく。
族長のように四肢を引き千切られた死体が五体、少し離れたところに転がっていた。
首に縄をかけられて引き摺られたように全身がぼろぼろの死体もあった。
首と胴体の離れた死体が最も多かった。死体の身体の上には不気味なぐらい丁寧に切り落とした首を乗せていて、整然と並べられていた。
弓矢で狙い撃たれてハリネズミのようになっている死体もあった。それは三体あり、広場の端の方に、これも並べて置かれていた。
そして屠殺された家畜のように解体された死体が何体か。中には妊婦もおり、胎児を引き摺り出されていた。
そして広場の真ん中にはこれ見よがしと立たされている死体が一体。
色んな方法で殺された死体が転がっていた。
全ての死体が裸にされており、まるで殺し方毎に分別するように、広場全体を使って整然と並べられていた。
ルノルノは肩で息をしながら死体を一つ一つ確認するように見て回る。
頭が締め付けられるように痛い。
全身の皮膚が剥がれた死体が目に入った。
『嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ……! オロム……!』
ルノルノは首を横に振った。死体はオロムだった。馬に引き摺られたのだろうか。首には縄がかけられており、全身の皮膚はめくれあがっていた。
眩暈を覚えた。恥ずかしそうに告白してくれた彼。自分よりも強くなって胸をときめかせてくれた彼が思い出され、胸が張り裂けそうになる。
その隣に並べられていたのは仲間のセフタル。それ以外にも妹のように慕ってくれていたリュミ、いつも内気だった少年のウガル……みんなルノルノと一緒に遊んでいた仲間だった。子供達は全員全身の皮がめくれあがっていた。
夢なら覚めて……。
ルノルノは息が詰まりそうになりながら、さらに周りを見た。
四肢を引き千切られた死体の一つはハガシャだった。オロムがいつも自慢していたあのハガシャも、まるでごみのようにぼろぼろにされて置かれていた。
他の四体も確認する。一つの死体の前でルノルノは凍りついた。
『やだ……やだよ……どうして……うあ……うああああぁぁぁぁっ!』
それは最も見覚えのある顔……父親ロハルだった。無惨に四肢を引き千切られ、心臓に剣を突き立てられていた。その剣は父親の三日月刀だった。恐らくむごたらしい処刑の後、自分の剣で止めを刺されたのだろう。その顔は苦悶に歪んでいるように見えた。
『お父さん! お父……さんっ!』
動きもしない体を揺さぶる。
冷たい肌が残酷な事実を語っていた。
体が別の生き物になったように、全ての感覚が鈍くなり、視界が歪むのが分かった。
背筋が寒くなり、体が震え出す。
『お姉ちゃん……』
まさかこの中に姉と母親がいるのか。この無惨な肉塊の中に……。
ルノルノは一人一人の死体を確認し始めた。
無数の矢で体を貫かれた死体に目がいった。
ルノルノはまるで吸い寄せられるように、その死体に近付いた。
『どうして……お母……さん……どうしてこんな……』
変わり果てた母親の前に立ち尽くす。あの明るい笑顔もなく、叫んでいたのだろうか、口を大きく開けたまま息絶えていた。
涙が溢れて来る。同時に吐き気が込み上げて来た。恐らく即死には至らなかっただろう。まるで遊びの標的のように狙い撃たれたことは想像に難くなかった。そして一本だけ、右の眼球を貫いていた。
これは夢だ! 夢なんだ!
そう自分に言い聞かせても込み上げてくる吐き気が現実を突きつけてくる。
そして族長のマフの正面、中央近くに立っている死体に目が向けられた。
一番目立つ死体。
それは立っているのではなく、立たされていた。
わざわざ用意していたのだろうか。巨大な杭を立てた荷車が置かれていた。その荷車の杭は犠牲者の股間から肩口にかけて貫いていた。顔は俯いていて見えなかったが、体つきから若い女性であることが分かった。
心臓の音がやけに大きく聞こえる。呼吸が浅くなり、目の前の光景がさらに歪む。震える脚を前に進めるごとに体が揺れて真っ直ぐ歩けない。
ルノルノは気づいてしまった。
一番恐ろしいことが起こってしまっていることに。
それでも確かめなければならない。
その俯いている顔を。
ルノルノは荷車に乗り、意を決して覗き込んだ。
『うぐっ……!』
胃がぐっと押されるような感覚を覚え、その場に嘔吐した。
『かはっ! あぅっ! はっ! ああぁっ!』
中のものが何も出なくなっても、何度も何度も不快感が込み上げる。それがようやく治ると、腹の底から呻き声が絞り出された。
『うあ……ああああああぁぁぁぁ……ああああああああぁぁぁぁぁ……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーっっっ!』
ルノルノはその場に跪き、死体の足に縋りついた。
『おね……あああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ! うああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーっっ! おね、えちゃ……っ! あああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーっっっっっっ!』
言葉にならない悲しみ。
形にならない絶望。
視界が白くなっていく。
一生懸命耐えていた心の中で、何かが音を立てて壊れていく。
その犠牲者……愛して止まなかった姉ミアリナはルノルノを見下ろしていた。
目は閉じられることなく、その瞳は苦しげで、悲しげで、恨めしげで、無機質だった。
その冷たくなった足に額を擦りつけたまま、身動きが出来なかった。
やがて、地平線に太陽が乗ろうとしていた。
茜色の光が死者の集落を照らす。同時に冷たい空気がルノルノの体を包み始めた。
虚な瞳でふらふらと立ち上がった。
父親の死体に近付き、無言で胸から刀を引き抜く。
そして父親の髪の一部を切り取った。
次に母親の元に行き、同じようにその髪の一部を切り取った。
中央の姉の元に行く。そう言えばいつも姉の元には駆け寄っていった。抱きついて、その温もりを感じて、幸せだった。
姉の長い髪に手を伸ばした。荷車の上に乗り、背伸びをして、腕を出来るだけ伸ばして、父の刀で一際長く切り取った。
全員の髪を切って回りたかったが、家族だけに止めておいた。
『ごめんなさい、みんな……』
三人の髪束を握りしめ、自分のマフにふらふらと戻る。
『キルス、寒くなるから、キルスも中においで』
扉を開けて、キルスをマフの中に導き入れた。この凄惨な光景の中に大事な友達を放しておくのは気が引けた。
祖母の形見の首飾りを外す。
そして天窓から差し込む薄暗い西日を頼りに、三人の髪の毛をその首飾りに結びつけていった。
エル祭りで歌った歌を口遊む。
三人の髪の毛を結び終えると、また首にかけ直した。
そして父親の毛布と母親の毛布、姉の毛布、そして自分の毛布と四枚重ね、服もそのままにその中にもぐり込んだ。
かまどに火はない。
『お姉ちゃん、お父さん、お母さん、寒くない?』
髪の毛に語りかける。
返事はない。
ルノルノはまたエル祭りの歌の続きを口遊み始めた。
やがてマフの中は暗闇に閉ざされ、冷気がルノルノを包んだ。
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