第8話 ユルヴァハン族
結局ルノルノは話す相手もおらず、独りになってしまっていた。
(つまんないな……)
ルノルノは目の前にある手付かずの羊の肉に手を伸ばした。宴会で疎外感に囚われたら食べるか飲むしかやることがない。
大人達はお酒が入って楽しそうにお話し、周りでは大騒ぎしている。そんな騒がしく、明るく、楽しい時間のはずなのに、自分一人だけが何だか暗く、寂しい。
(早く終わんないかな……)
不意にキルスに乗ってどこか遠くへ走り出したい気持ちになってしまう。彼に乗って草原を駆け出せば、少しは気持ちが軽くなるだろうか。
オロムやセフタルは何をしているんだろう。彼らのとこに行ったらちょっとは楽しめるのかもしれない。
そう思った瞬間、オロムの言葉を強く意識してしまう。
――結婚しよう。
ルノルノは胸がまた高鳴るのを感じた。
(違う違う、あんな奴何とも思っていないんだから)
ルノルノは大きく深呼吸して、手にしていた羊肉を再び食べ始め、別のことに考えを巡らせ始めた。
『退屈かい?』
色々考えている内に、剣を二刀で振るうなら右手からが良いか左手からが良いか、みたいな本当にどうでもいいことを考えてしまっていた。そんな時に突然声をかけられたものだから、咄嗟に反応出来ない。
『ルノルノ、大丈夫?』
何も答えないルノルノを、ミアリナも心配そうに見ている。
『あ……うん、大丈夫。あ、いや、大丈夫……です』
相手が目上の人であることを思い出し、使い慣れない敬語を使う。まさか彼らの意識が急に自分に来るとは思っていなかったものだから、思わず緊張してしまう。
『まぁ、年上ばかりだと、気を遣うのも当然だね』
オルハンはそう言ってルノルノに優しく微笑みかけた。奇妙な対抗意識が芽生えてくるが、どうやろうとも敵いそうにない。
『そうだな。面白いかどうかは分からないが、退屈しのぎに少しユルヴァハン族の話をしようか』
ユルヴァハン族はバヌール川を越えた東の方を活動拠点にしており、地図的にはタンジス高原のほぼ中央部がその勢力範囲になる。ただその人口は八十万人と大所帯なのでその行動範囲もかなり広い。だから東西南北、そして中央のどこに住んでいるかによって若干ではあるが地域差がある。
例えば南に住んでいる者は家畜にヤクを飼っているし、東の方に住んでいる者はラクダを飼っている。北に住む者は森林を利用して生活しているし、西の方に住んでいる者は隣接するラガシュマ族と生活体系が似ている。
自分達の勢力範囲を十カ所に分割し、それぞれに族長がいる。そして十人の族長会議で大族長を選出する。族長会議は五年に一回行われ、大族長も交代でなる。
また遊牧生活から定住生活に切り替えている者も多く、そういった者達は農業に従事していたり工業に従事していたりする。アルファーン帝国から購入しなくても自前で米や小麦を収穫したり、鉄器や綿製品などを製造したりしている。
『大族長になると何か良いことあるの……あるんですか?』
『良いことも悪いこともある。良いことは各族長から献上品がもらえる。最低限の規範から外れなければ決まり事を作ることが出来る。ただし部族内全員に対して責任が生じるから、それぞれの族長からの相談事は全て引き受けなければならないし、部族代表として外交もしなければならない。今は平和だから大丈夫だが、戦いになればその指揮も執らなければならない。要するに面倒な事は一手に引き受けるって感じかな』
言うなればユルヴァハンは小さな遊牧国家であり、大族長は国王にあたると言っていいだろう。
オルハン達が住んでいるのは西の端の方で、ラガシュマから見れば最も近くに住んでいる一団になる。それでもラガシュマ族のこの集落からは馬で七日ほどかかるらしい。
遠いな、と思う。愛しい姉とそんなに離れてしまうことを考えるだけでやっぱり辛い。それが何年か先のことであっても、だ。
不意に涙が零れた。
『あれ……』
止まらない。せっかくのお祭りの席なのに、お祝いの席なのに、ぽろぽろと溢れる涙を止めることが出来ない。
『おかしいな……ごめんなさい、ちょっと待って……』
いつか離れなくちゃいけないことは理解した。
辛くても幸せを願って送り出すことも理解した。
嫌なことでも相手のことを思いやって我慢する。
それが大人になるっていうこと。
理解した。理解したはずなのに……心が追いつかない。
ミアリナがそっとルノルノの肩を抱く。ルノルノは姉の肩にもたれかかり、声を出さずに泣いた。ミアリナはそんな泣き虫で甘えん坊な妹の頭を優しく撫でた。
『ごめんなさいね、オルハンさん。この子も色々考えちゃうみたいで……』
オルハンは気まずそうに鼻の頭を掻きながら言い訳をするように言った。
『……それでも我々はこうしてラガシュマの人々と交流はあるから、会えない訳ではないし……。幸い一番近いところだし……それに……』
どんなに言い訳をしてもルノルノの涙を止めることが出来ず、オルハンは苦笑いをするしかなかった。
親同士の会話は着実に進んでいる。もうこの結婚は止められようがなかった。
祭りは夜遅くまで行われた。一日中飲み明かして誰もが笑い、浮かれていた。
広場のあちこちで焚き火がされ、集落全体が明るく照らされていた。
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