第7話 エル・キ・セラン・ヒルヌ祭り

 十日が過ぎた。


 エル祭りの日である。


 場所はラガシュマ族長ムラグルのマフの前で行われる。


 比較的マフが密集している集落の中で、族長のマフの前だけは広く空いていて、九十七人全員が参加出来る広場となっている。


 昔、百五十人いた時は今よりももう少し多かっただろうから、ここでは手狭だっただろう。今となっては当時の様子を知る者はいない。


 ただ集落あげての大きな祭りだったことは間違いない。








 祭りは自然の神々、先祖への祈りを捧げる。これは族長が代表して行う。


 そして羊を二十頭屠るのである。


 この二十頭は族長の持つ羊から提供される。


 羊を解体するのはそれを得意とするラガシュマの男達が行う。血液を一滴も零すことなく解体していくのは遊牧民族の妙技と言っていい。


 そして内臓から調理していく。腸には血液を流し込んで煮込み、腸詰めにする。その他の内臓も食べやすいように煮込んでしまう。肝臓だけは焼く。


 肉も同じく煮込んだり焼いたりする。


 この季節の羊は秋の羊ほど太っている訳では無いので、少し味は落ちる。それでも丸ごと調理するのはこの上ないご馳走である。そしてこの日だけは女達は調理しない。男達が率先して行う。


 女達はエルグやロンカといったラガシュマ伝統の楽器を弾きながら、自然の神々、先祖、そして生贄となった羊達を讃える歌を歌う。


 料理が出来上がると最初に神々と先祖に捧げてお供えし、全員でまた春の恵みに感謝する。


 そして調理された羊をみんなで食す。飲み物としては馬乳酒を蒸留して作ったラガシュマ語でセラムルと呼ばれる酒が振る舞われ、みんなで回し飲む。


 この時に『イム、アクトゥ・リムハ。イム、ケトゥ・ケルク。コレム、シルミトゥ・ラサハ。セラン、ヒルヌ、イ、ラガシュマ・カルラ』と唱えながら飲む。


 意味としては『去れ、雪豹の悪鬼アクトゥ・リムハ。去れ、犬鷲の悪鬼ケトゥ・ケルク。来たれ、神シルミトゥ・ラサハ。狼の子ラガシュマ・カルラにもたらす恵みに感謝します』という内容になる。


 ラガシュマ族は自分達が神話に出てくる狼の子孫であると信じており、自分達のことを『狼の子ラガシュマ・カルラ』と表現する。


 子供もこの日だけはセラムルを飲まされる。ただしかなりきついお酒なので一口だけだ。


 ルノルノも一口だけ飲んだ。すぐに酔ってしまうが、この酩酊は嫌いではない。


 酒も回る頃になると男達による剣の舞と女達による弓の舞が舞われる。どちらもラガシュマの伝統的な舞で、親から子へ伝承されていく舞である。ただ、それほど堅苦しいものではなく、たまに酔い潰れてちゃんと踊れない者がいて物笑いの一つとなる。


 大昔は手順ももっと多く、厳格にやっていたらしいが、人口の減少とともにきちんと伝える者も少なくなり、簡素化されてしまった。


 最後は集落あげての酒盛りという様相を呈する。祭りとしては非常に素朴なものである。








 そんな喧騒の中、ロハルの家族はムラグルの立ち会いの下、客人として参加しているユルヴァハン族の族長クルルスとその息子オルハンに会っていた。ルノルノまで会う必要は無いのだが、相手が族長だけに失礼が無いよう、一家総出である。



『クルルス族長。こちらに控えておりますのが娘のミアリナとルノルノです』



 ロハルの紹介を受けてミアリナが下げていた顔を上げた。



『お久しぶりです、クルルス族長』



 ミアリナはユルヴァハン語を知らないが、クルルスはラガシュマ語を知っている。族長ともなると外交の必要性からある程度の言葉は知っているものだが、百人もいない部族であるラガシュマの言葉を自由に操れる族長はそんなにいない。クルルスは稀有な人と言って良いだろう。



『久しぶりだ。二人とも三年前より随分大人っぽくなって見違えた。ロハル殿は美しい娘さん達に恵まれているな』



『恐縮です』



 本人達に自覚は無いが、二人は美人姉妹で通っている。清楚で美しい姉と快活で可愛らしい妹というのがラガシュマ族内での評判だ。オロムやセフタルがついちょっかいを出したがるのも頷ける。



『こちらも紹介せんとな。こいつが不肖の息子、オルハンだ』



 不肖の、と紹介されたが、かなりの偉丈夫で精悍な顔付きの青年だった。



『……オルハンと申します。ラガシュマの伝統的な祭事にお招きいただき、恐縮しております』



 比較的流暢なラガシュマ語で挨拶出来るところを見ると頭脳も明晰そうだった。



『不肖だなんてご謙遜を。剣術や馬術においてかなりの腕前と聞いておりますぞ』



 ムラグルがそう言うと満更でもない様子でクルルスは笑った。



『いや、こいつはこれでも少し気が小さいところがありましてな。今だってミアリナ殿の美しさに気後れしとるのですよ』



 ルノルノはオルハンの顔をまじまじと見た。オロムやセフタルといった同年代の少年とばっかり付き合っていているため、年上の青年とこうして対峙するのは初めてだった。そしてその大人特有の落ち着きは確かに魅力的に見えないこともない。


 その視線を感じたのか不意にルノルノと目が合う。オルハンはルノルノに小さく微笑みかけた。その優しそうな笑顔にルノルノは思わず目を逸らした。


 オルハンは美しいミアリナに気後れしていると紹介されたが、それでもぎこちなく二言、三言話し始めていた。


 偉丈夫なのに、美しい女性を前にしてしどろもどろとなってしまう態度には愛嬌を感じる。


 ミアリナもそんな彼に優しく微笑みかけている。


 ルノルノは激しい嫉妬を感じた。


 気が付くと大人達は勝手に話し合いを始めていた。どうやら結婚に前向きな話を進めているようだった。


 一方、ミアリナとオルハンも二言、三言から始まるぎこちない会話だったのに、いつの間にか楽しそうに談笑している。


 悔しいが、良い雰囲気であった。


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