第6話 告白

『よう。精が出るな!』



 少しはぐれた羊を追って群れに誘導しながら、オロムが近付いて来た。彼も父親に連れられて、遊牧の手伝いに来ていたのだ。



『なんだ、オロムか』



『なんだって、酷い言い方だな』



 群れに戻って行く羊の背を見ながら、ルノルノは小さく溜息を吐いた。



『どうした?』



 ルノルノが元気なさそうな顔をしていることをオロムは見逃さなかった。



『ねぇ、オロム。木剣、持ってる?』



『とーぜん』



 ラガシュマの男の子にとって木剣は玩具に等しい。常に持ち歩いているものなのだ。



『ちょっと勝負して』



『お前の方が強いじゃん』



『一回でいいからさ』



 オロムは木剣を右手に持ち、構える。流麗な剣捌きでルノルノを防戦一方に持ち込んでいく。



『どうしたんだ? 具合でも悪いのか? いつもの切れがねーぞ』



 ルノルノは防御の型でオロムの猛攻に耐える。しかしオロムの舞うような動きをだんだん捉え切れなくなって来た。


 そして最後はぱんっとルノルノの木剣を跳ね上げ、その首筋に剣先を突きつけた。



『お前、なんかいつもの動きと違ったな。……って、左手でやってたのかよ!』



 木剣といえどもそれなりに重さはある。慣れない手で振るい続ければ持ち重りしてくるのは明白だ。



『何の練習なんだ?』



『いや、両手で剣が使えるようになるかなって思って』



 ルノルノは落ちた剣を拾い上げながらそう言った。そして再び小さく溜息をついた。



『どうした?』



 疲れたとは違う、浮かない表情だ。



『ん?』



『いや、なんか思いつめた顔してるからさ』



 ルノルノの顔を覗き込みながらそう言った。



『そう? そんなことないよ』



 いつも通りの笑顔を作って見せる。羊が呑気に草を食んでいる。


 しばらく沈黙が流れたが、やがてルノルノは独り言のように喋り始めた。



『何かさ、お姉ちゃん、結婚するかもしれないんだって』



『え?』



 オロムが思わず聞き返す。



『だから、結婚するの』



『誰が?』



『お姉ちゃん』



『まじで?』



 ルノルノは答える代わりに木剣で手遊びを始めた。それを横目に、オロムが尋ねた。



『ミアリナねえちゃん、年いくつだっけ?』



『十五』



『そっかぁ。そろそろそういう年なんだな』



 花嫁修行をする期間も考慮すれば遊牧民の女子の婚約は十五歳から二十歳の間ぐらいである。早い娘なら十三歳ぐらいから婚約する子もいる。



『いつ?』



『んー、正式には決まってないみたいだけど今度のお祭りでお見合いだって』



『あと少しじゃん』



『うんー』



 もう空元気をする余裕すらない。寂しさがルノルノの心を覆った。



『どこの誰と結婚するんだ?』



『ユルヴァハンの人。お偉いさんの息子さんだってさ』



『ユルヴァハンの人達って、結構あっちの方の人達だよなぁ。大きい川も越えるんだろ?』



 オロムは太陽の方角、東を指さして言った。


 大きい川とはバヌール川のことである。


 北側だか南側だかどちらか忘れたが川を渡ることができる場所があるとは聞いたことがある。


 もちろん行ったことないのでどこにあるのかは知らない。


 しかしそのせいでかなり回り道しなければならないので、実際の移動距離は直線距離よりもはるかに遠い。



『会いにくくなっちゃうな』



『そうだね。こんなことならラガシュマの誰かと結婚して欲しかったな』



 部族内結婚は少ないが前例が無いわけではない。ルノルノの知っている限りでもオロムの祖母はラガシュマ内の人だった。祖母、曽祖母の年代では何人か聞いたことがあったが、確かに最近は聞かない。



『ルノルノ』



『うん?』



『ルノルノは部族内で結婚しろよ』



 ルノルノは唐突にそんなことを言うオロムに不思議そうな顔をした。



『誰と結婚するのよ』



 オロムの顔は赤い。


 ルノルノは少し胸が高鳴った。



『……俺とは……だめか……?』



『え……?』



 オロムは思い切ってルノルノを抱き締めた。二人とも胸の高鳴りが最高潮に達し、耳まで真っ赤になるのが分かった。



『だから……俺と、結婚しよう』



 ルノルノは思わずオロムを突き放しかけたが、なぜかそんな乱暴には出来なかった。


 しばらくそのまま固まっていたが、やがてオロムの体をそっと押して抱擁を解かせると、照れながら言った。



『ば、ばぁか……そんなの、する訳ないでしょ』



 ルノルノは照れ隠しに顔を背けてオロムから離れると、キルスに飛び乗った。



『だ、大体、そういうことは……その……もうちょっと、私より、強くなってから、言ってよね!』



 ルノルノはそう言うと、群れから外れそうな羊を見つけ、キルスを走らせた。








 太陽が地平線に近づき、空が茜色になりつつある頃、遊牧の仕事は終わる。羊達を石囲いの中へ誘導し、柵を閉めると、ラクシュがその番をするように前に座った。


 馬達は馬具を外し、外に放置しておく。放置しておいても逃げることはない。


 今日はオロムの行為に驚き過ぎて、どっと疲れた。


 今朝泣き喚いたことなどすっかり忘れてしまっていた。



『ただいまー』



 ロハルの後ろに続いてマフに入る。



『おかえり』



 ミアリナが優しい笑顔で父と妹を出迎えた。


 美味しそうな匂いがした。


 真ん中のかまどで羊の干し肉を出汁にミアリナが何かを炊いていた。



『何作ってるの?』



 ルノルノが覗き込むとミアリナは



『稷のお粥よ。ルノルノ、好きでしょ?』



 稷はラガシュマ族が栽培する数少ない穀物だ。夏の頃に牧草地の片隅で種を蒔くだけであとは天任せという原始的な農法だが意外によく育つ。去年の夏は比較的豊作だった。


 ルノルノは稷のお粥が好きだった。ほのかな甘みと苦味が混在して岩塩の塩味がよく合う。何より温かいしお腹がいっぱいになる満足感がある。


 きっと朝から気持ちが塞ぎ込んでいた自分のために作ってくれたのだろう。



『……お姉ちゃん、ありがとう』



 やっぱり姉は優しい。姉がいて、両親がいて、キルスがいて、ラクシュがいて……。


 こんな当たり前のことが幸せ。


 この幸せがずっと続けばいいのに。


 不意にオロムの言葉が頭の中に響いた。


 胸がきゅんと高鳴る。


 思わず姉に背中からぎゅーっと抱きついた。



『こらこら、だめよ、危ないでしょ』



 注意されてもルノルノはしばらくミアリナから離れられなかった。


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