第48話【相談】間違いは早く訂正を
竹刀が
自分の考えていることを七瀬さんに伝えてみると言ったのはいいが、何をどう伝えたものか整理がつかない。春原さんは考えすぎずにドンとぶつかった方がいいって言ってくれたけど、俺はそこまでアドリブに強くない。いざ、話してみたら何を言っていいかわからず固まってしまうかもしれない。
そんなことを考えてしまうと頭の中がごちゃごちゃして余計にどうしていいかわからなくなったから、香澄の家の武道場を借りて竹刀を無心に振っている。
「うちの武道場は雅紀のプライベート武道場じゃないんですけど」
俺と同じように素振りをしていた白の道着姿の香澄はその手を止めて、ため息交じりにこちらを見た。
「急に使いたいって言ってすまない。どうしてもこうやって身体を動かしたくなって」
いつもなら事前に源隆さんと稽古する日を決めてここに来ていたが、今日は香澄に頼んで入れてもらった。ちなみに今は源隆さんは留守とのこと。
「本当に身体を動かしたいだけなの?」
「どうして?」
俺も一度竹刀を降ろして香澄の方を向いた。夕暮れの西日が窓から差し込み香澄を橙に染めている。
「雅紀が本当に身体を動かしたいだけなら、近所を叫びながら全力疾走するかなと思って」
「そんなことしたら近所の人に通報されるわ」
七瀬さんと大喧嘩して修復不可能な関係になったらそうなるかもしれないけど。
「あと、雅紀がこうやって身体を動かしたい時って何か考え事や悩んでいることがある時かしら」
「わかってんなら、ボケを入れないでくれ」
「だって、今の雅紀の顔、いつにも増して険しい顔になっているからリラックスと思ってねっ」
そう言って、香澄は俺の眉間を人差し指でつんと突いた。
普通の表情ならおでこに伝わるはずの衝撃が眉間に寄せられた皺に吸収される。
「ずっとそんな顔していると皺が消えなくなるわよ」
「なんだかいろんなことが整理できなくて」
「それってクロエちゃん絡み?」
香澄は目を細めてこちらの表情の小さな変化まで見逃さないという顔をしている。
「ど、どうして……」
「雅紀が悩むことなんてそれぐらいしかないと思ったから」
香澄ならそのくらいお見通しか。こいつ相手に下手な嘘や小細工をしてもしょうがない。それこそ春原さんが言っていたドンとぶつかれだ。
「まあ、その……、七瀬さん絡みだ」
「もしかして、クロエちゃんのこと好きになった」
「えっ!? ちょ、おま、どうしてそうなる」
「最近、学校でやたらとクロエちゃんのこと見てるでしょ」
それは恋したとか好きになったとかじゃなくて、七瀬さんが大切にしたい人が誰なのかを探っていたからだ。
すぐに否定しないで、答えに窮する俺に香澄が続ける。
「クロエちゃんは可愛いし、性格もいい。一緒に暮らしていれば雅紀がクロエちゃんのことを好きになっても不思議じゃないもの」
「たしかに七瀬さんは魅力的だと思うけど、妹をそういう目で見れないだろ。もちろん嫌いってこともなくて……」
「じゃあ、そういう思いを抱いたとしても胸の内に秘めておくの」
「そりゃ、そうだろ。もし、そんなことを表に出したら兄妹や家族って関係でいられなくなる」
「でも、付き合うと誰であってもそれまでの関係のままではいられないんじゃない。兄妹、友人、先輩後輩、幼馴染だってきっとそれまでと一緒というわけにはいかないでしょ」
俺の道着を掴んだ香澄の顔は俺に曖昧な返事を求めていないように見えた。
まずい、話の方向が俺の悩んでいる方向とは別の方向にどんどん進んでる。
これ、ここで方向転換しても大丈夫だろうか。
「えっと、香澄の言いたいことはわかるけど、今、俺が七瀬さん絡みで悩んでることってそういうことじゃなくて――」
俺は最近、七瀬さんの様子が以前とは違っていてそれについて考えているということを説明し始めた。
俺の説明が進むにつれて香澄の俯いた顔が朱くなっていき、竹刀を持っている手がぷるぷる震えているのがはっきりとわかった。
そして、俺の説明が終わると香澄はその俯かせた顔をギギギという機械が軋むような音を立てながら上げて、竹刀をギガスラッシュでも放つかのように構えている。
やばい、これ絶対に怒ってるやつだ。
「あんた、なんでもっと早く私が全然違う話をしてるって言わないのよ!!」
「い、いや、話そうと思ったんだけど、香澄が矢継ぎ早に話すかrっ」
俺が言い終えるより早く、香澄の竹刀が俺の頭を狙ってきた。
俺がその一撃を自分の竹刀で受けると、その後も次から次へと太刀を浴びせてくる。
くっ、相変わらず速いな。
「あんたが早く止めないからマジになって話しちゃったじゃないっ!」
香澄の猛攻を受けきってはいたのだが、最後の一撃の後にまさかのミドルキックが追加で繰出され、それが俺の脇腹にヒットした。
「フグッ!」
ハァハァとお互いに息を切らす。
「ったく、本題の悩みなんていつも私に話すみたいに話せばいいだけじゃないの」
「本当に大丈夫だと思うか」
「まったく、身体はでかいくせにそういうところは肝っ玉が小さいんだから。短いながらも一緒に暮らして、一緒に過ごした時間があるならそれをちょっとは信じなさいよ。もし、雅紀が何かしてクロエちゃんに嫌われたのなら、その時は屍を拾ってあげるわ。安心しなさい」
屍になりたくないからこっちはずっと悩んでいるんだ。
「いいこと言ってたのに、最後ので台無しだな」
俺はわき腹をさすりながら武道場の隅に設置してある冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを香澄に手渡した。
西日が差し込む縁側に二人並んで座り、ミネラルウォーターに口を付ける。
「どういう理由でクロエちゃんが目を合わせて話さなかったりしているかはわからないけど、気になるならちゃんと話せばいいのよ。必要以上に気を使われて腫れ物に触るようなことをされる方がクロエちゃんだって嫌だと思うわよ」
「そうだな。姉さんたちが出て行った後、ずっと、俺と親父だけ生活していて、そこに急に七瀬さん達が家族に加わったから、家族に対してどんなふうに接していいかわからなくなっていたのかもな」
「関係が壊れないように気を使うことも大切だけど、自分の気持ちを押し殺し続けたって上手くいかないわよ」
自分の気持ちに正直にか……。
七瀬さんと話をしてみたら意外と大山鳴動して鼠一匹みたいな結果になるかもしれない。
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