第46話 七瀬クロエの初恋(後編)クロエ視点

 私が四元君の姿を初めて見たのは高校の入学式の日。


 那由多を除けば全く知合いのいない教室で式が始まるまで待機ということで皆が自席に座っていた。


 四元君は教室の前方の入口近くの席にいた。どうして覚えているかといえば、まず、身体が大きくて目立つこととちょっと強面な彼がその席にいることで、その入口から入る人が一瞬驚いた表情をするからだ。


 可能な限りこっちからは関わらないでいた方がいいかな。


 その見た目から私が四元君に対して抱いた最初の感想はそんなものだった。


 最初の感想がそうなってしまうと普段の学校生活の中で関わることは多くはない。私は那由多や他の女子生徒と一緒にいることが多いし、四元君は香澄さんや鳥嶋君と一緒にいることが多いからそれぞれのグループで休憩時間を過ごすことがほとんどだった。


 ただ、体育祭や文化祭の時期になればクラス一丸で練習や準備をするからその時に事務的な話をしたけれど、何を話したかということはあまり覚えていない。


 でも、文化祭の時はちょっとした事件があって私と四元君は少しだけ関わることになる。



「ねえ、クロエ、次はどこに行く? あたしはこのアイスクリームの天ぷらが気になるんだけど」


 文化祭の案内を持った那由多が次に行きたい模擬店のある教室を指さした。


「私もそれ気になっていたから食べに行こう」


 アイスクリームの天ぷらとはいかなるものだろう。アイスクリームに天ぷら粉を付けてあげるのだろうか。でも、アイスクリームは油の温度に耐えられるのだろうか。例えば油の温度が百八十度だとしたら、アイスクリームは一瞬で溶けてしまってその形を保てないのではないか。というよりも油の中でアイスクリームが液体になってしまったら大惨事になってしまうのではないか。


 そんな科学を超越したような食べ物が模擬店で出ているとは、さすが高校の文化祭です。中学の時とは全然別物です。


 那由多と二人で目的教室を目指して廊下進む。


 それぞれの出し物が行われている教室の入口は飾り付けられ、呼び込みの人が声を張り、宣伝のために仮装なのかコスプレなのか判断がつかない格好をした人がチラシを配っている。


 もはや、いつもの学校とは全くの別物で、見方によってはカオスとも言っていい様相を呈している。


「このあと、講堂でライブをする軽音楽部です。ぜひ来てください」


 自分の前に差し出されたチラシを反射的に受け取り一瞬足が止まってしまう。


「君、一年生の七瀬さんでしょ。もうすぐ、俺たちのライブあるから見に来てよ。すっごく盛り上がると思うから」


 受け取ったチラシから目を上げるとさわやかな笑顔を振り撒く上級生がいた。


 私が返答に一瞬詰まっていると、はいはーいと言って那由多がわたしと先輩の間に割って入ってきた。


「先輩、すいません。クロエはこれからあたしとアイスクリームの天ぷらを食べに行くのでこの後すぐは難しいっすね」


「じゃ、じゃあ、明日もライブあるから明日来てくれると嬉しいな」


「明日はまだ予定は決まっていないので、空いてたらお邪魔させていもらいますっ」


 そう言うと、那由多は私の手をぎゅっと握って再び歩き始めた。


「クロエ、断る時はスパッと言わないと、ちょっとでも気があると思われるとぐいぐい来られるよ」


「べ、別に気がある素振りとかしてないけど」


「ううん、目が合うだけでも俺に気があるんじゃないかって思ってしまう勘違い男子もいるわけ。まあ、クロエに彼氏でもいれば違ってくるのかもしれないけど、かぐや姫のごとく次々と告白を断っているからみんな自分にもワンチャンスあるかもって思うわけよ」


「そんなこと言ったって、ほとんど知らないような人から告白されて、付き合って欲しいなんて言われても困るよ。告白してきた人は私のこと好きかもしれないけど、私はそういう気持ちじゃないし。それに、今はこうやって那由多と一緒にいる時間が好きだから」


「くぅぅぅー、可愛いこと言ってくれるね。そんなこと言われるとあたしがクロエのこと食べたくなっちゃう」


 那由多は後ろから抱きつくとそのまま大型犬を撫でるように私をわしゃわしゃと撫でまわした。


 やっぱり私はこうやって那由多と過ごす時間が一番好きだ。


 いつか自分にも好きな人ができるのかもしれないけど、それは今こうやって那由多と過ごしている感じ近いものだろうか。


 アイスクリームの天ぷらの模擬店をやっている教室の前に来るとそこには行列ができていて、十人程度が並んでいた。列の整理をしている人の話だと、アイスなので作り置きができない関係でお待たせしているということだ。


 私たちが並ぶとすぐに後ろにラガーマンのような体格のいい男性が並んだ。うちの高校の文化祭はオープンなものなので、生徒の家族だけでなく、地域の人もやってくる。後ろに並んでいる人も家族か近所の人なのだろう。


 列が進んでもう少しで私たちの番が来る頃に後ろの方から聞いたことがある声がすると思って振り向くと、四元君、香澄さん、鳥嶋君の三人がこの列に加わったところだった。


「あっ、すいません」


 急に那由多が謝ったからどうしたのだろうと思って、今度はそっちの方を見ると、後ろに並んでいるラガーマン風の人が置いていた紙袋に那由多の足が当たって、紙袋が倒れてしまっていた。


 置いていた紙袋に足が当たって倒れただけならすいませんで済んだだろう。問題はその倒れた紙袋からごろりと転がって出てきたビデオカメラ。しかも撮影中だということを示す赤いランプが点灯している。


「これって…………」

「やべっ」


 男はそう短く言うと、ビデオカメラを拾い上げ、列から出て逃げようとした。


「ちょっと、待ちなさい」


 逃げようとする男の手を那由多が掴んで制止させようとする。


「放せっ!」


 那由多が掴んだ手を振りほどこうとする。力の差は歴然としていて、解放された男の手が、勢いそのまま私の肩に当たる。


「痛っ」

「クロエっ!」


 男はそんなことにかまうことなく、ビデオカメラを持ったまま走り出す。


「誰か、そいつ捕まえて! 盗撮してる」


 那由多の声に素早く反応したのは香澄さんで列から飛び出て、男の逃走経路を塞ごうとした。


「そこどけ!」


 勢いを殺すことなく突き進む男と香澄さんがぶつかればどう考えても香澄さんが怪我をしてしまう。


「きゃっ」


 短い悲鳴は男が香澄さんにぶつかったからではなかった。四元君が香澄さんの手を引いて男の逃走経路から外すと代わりに自分がそこに入った。


 その時にはもう男と四元君との距離はほとんどなく、このままでは今度は四元君が危ない。


 しかし、次の瞬間、廊下に響いたのは男が廊下に叩きつけられる音とうめき声だった。


 四元君は突進してくる男の懐に入り、その勢いをそのまま利用するように投げた。


「鳥嶋、早く先生呼んで来て。香澄、七瀬さんと春原さんを頼む」


「言われなくてもわかっているわよ。そっちこそ背負い投げ決めたからって調子に乗ってないで、ちゃんと押さえておきなさいよ」


 香澄さんは私達の方に駆け寄ると大丈夫と声を掛けてくれた。


「私は全然大丈夫です。十文字ヶ丘さんも怪我とかはないですか」


「私も大丈夫よ。雅紀にちょっと腕を引っ張られたくらいだから」


「あのまま、香澄とこいつがぶつかって怪我でもしたら俺が源隆さんに叩き斬られるんだから勘弁してくれ」


 男の腕を取ったまま押さえこんでいる四元君は首だけをこちらに向けながらやれやれと言った表情をしていた。


 別にこの出来事は私が助けられたというよりも香澄さんが助けられたと言った方がいい出来事だ。でも、今まで怖い人っぽいと思っていた四元君のイメージが覆るには十分な出来事だった。


 ◆


 鳥のさえずりがアラームセットしていた時間通りに鳴る。


 寝つきは悪かったのに頭はすっきりしている。それにいつもなら起きたと同時に記憶から消えていく夢の内容も今日はしっかりと覚えている。


 四元君のことを身体が大きくて目立つから視界に入ることも多いと思っていたけれどそうじゃない。


 あの頃から私は無意識のうちに四元君のことを目で追っていたんだ。


 妹扱いされてむかむかしたこと。


 那由多が一緒にお弁当を食べたと聞いてもやもやしたこと。


 引越してきた日に無意識のうちに末永よろしくお願いしますって言ってしまったこと。


 私も四元君のことを大切にしたいって思っている気持ち。


 これらってそういうことだったんだ。


 今までばらばらだったパズルが一気に組まれたようにすっきりとした。


「まずい、学校に行く準備しなきゃ」


 時計に目をやるといつも仕度を始める時間を過ぎていた。


 着替えて、身なりを整えキッチンに向かうとすでにお母さんが朝食とお弁当の準備を始めていた。


「おはよう」


 私もエプロンを着てお母さんの手伝いを始める。


「おはよう、今朝はいつもよりすっきりとした顔してるわね」


「別にいつもどおりだよ」


 いつも同じようにと思っているのにお母さんにいきなりすっきりしているなんて言われてしまった。無意識のうちにいつも同じようにいられない。


「おはようございます」


 少し眠たそうな声とともに目を擦りながら四元君がダイニングの方にやって来た。


「お、おはようございます」


 どうしよう。目を合わせて話せない。


 世界は昨日と何も変わっていない。四元君に対する感情も変わっていない。だけど、それに名前が付くだけで私の世界は一変した。


 私は四元君に恋している。


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