第37話【暗黒面】思い出の共有

 靖国通りから末広通りに入ると居酒屋だけでなく和・洋・中、東南アジアや中東まで世界中の料理店が軒を並べる。このあたりのお店は土曜日や日曜日なら昼からでもお酒を飲んでいる人で賑わうところだが、さすがにまだ午前中ということもあって人通りは多くない。いくらか行列ができているのは末廣亭くらいだ。それでも昼の部は十二時からだからまだだいぶ時間がある。


「ここって、寄席ですか?」


 寄席の前に立てられている色鮮やかなのぼり旗には今日出演する落語家の名前が特徴的なフォントで書かれていて、七瀬さんはそれらを物珍しそうに眺めている。


「ああ、ここは寄席の末廣亭だな。ここ以外にも東京で有名なのは浅草演芸ホール、池袋演芸場、上野広小路亭とかだな」


「詳しいですね。四元君は落語好きなんですか」


「好きというよりも源隆さんが若いうちはいろんなものに触れた方がいいからって香澄と一緒に俺も連れて行ってくれていたんだ。他にも博物館とか演劇とか」


 そのおかげで俺は親父しかいなくても寂しい思いをあまりしなくてすんだのだと思う。源隆さんとは自分の身内でも友達でも先生でもなく不思議な距離感だけど、その距離感がちょうどよく、親父に言われて響かないことが、源隆さんに言われると妙に納得するところがある。


「なんだか、もう一人のお父さんみたいな存在ですね」


「やめてくれ。あの厳しい源隆さんが親父だったら俺は擦れて暗黒面に堕ちる気がする。一緒に住んでいる香澄がまともに育っているのが奇跡と思えるくらいだ」


「暗黒面って? あの黒い鎧を着てシュコーシュコーって言うやつですか?」


 ライトセイバーを持つようなジェスチャーと独特の呼吸音のものまねをする七瀬さん。


 おそらく去年から一緒のクラスメイトの誰もが見たことのない貴重な場面に今遭遇している。


「それって、ダースベイダーのこと?」


「そうそれです。もしかしたら四元君はああいう風になったかもしれないってことですか」


「うーん、まず、今度一緒にスターウォーズを観よう。それで説明した方が早い気がする」


 おそらく七瀬さんは暗黒面の面をサイドではなくダースベイダーのマスクのことと勘違いしている。


「あれ? もしかして、私すごく変なこと言ってますか?」


「ううん、大丈夫。俺が暗黒面なんて言ったのが良くなかったから」


 七瀬さんを傷つけないように笑顔で答える。


「それ全然大丈夫じゃないやつですよね」


「あと、学校でさっきのダースベイダーのマネをすると呼吸困難になるくらい笑う人が出るかもしれないからやめた方がいいな」


 さらにクラスメイトの安全まで守る。


「やっぱり、全然大丈夫じゃないやつじゃないですか」


 俺の背中をぽこぽこと叩く七瀬さんはSDキャラのようで可愛いの塊でしかない。


「七瀬さん、別に痛くないけど、街中でそれをされると恥ずかしさの方が……」


「あっ、えっと、すいません……」


 フェードアウトしていく七瀬さんの声。後ろにいるから顔は見えないけどきっと赤くしているに違いない。


 俺たちの場合はたとえ〝兄〟〝妹〟とプリントしてある服を着ていたとしても兄妹だと思われない。今の様子はきっとはたから見ればバカップルがいちゃついているように見えるだけだ。


「たぶん、暗黒面についてはわかりやすく説明しているサイトがあると思うから探してみる」


 昼飯の時にでも探してみるかなんて考えながら再び歩こうとすると、七瀬さんがこつんと俺の背中に頭を当てながら口を開いた。


「でも、それだけじゃなくて映画の方も一緒に観たいです。家族とか兄妹って同じ映画を観たり、本を読んだりすることでその作品だけじゃなくて一緒にその時の思い出も共有できるじゃないですか。まだ、四元君とはそういうものがあまりないから増やしていきたいです」


「……それなら、今日の夜にでも観るか」


「はい、約束ですよ。もし、破ったら、香澄さんに私の楽しみにしていた気持ちを弄んだって言いますから」


「それマジでやめて。それ小学生が先生に言ってやるって言うやつの十倍くらい怖いやつだから」


 どうやら七瀬さんは俺と香澄の力関係をすでに把握しているようだ。


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