第30話【すんすん】義妹の距離感

 生クリームを添えたガトーショコラは試食で食べたものよりもずっと美味しかったし、俺が香澄にいつもと同じで頼んだコーヒー(ミルクあり、砂糖なし)にもよく合っていた。


 香澄は私もやればできるというように言っていたけれど、きっと、鳥嶋が上手くフォローをしてくれていたに違いない。


「この頃の四元君はまだ小さいですね」


「そうね。まだ今みたいに目が死んでないわ」


「今も死んでねえよ」


 お菓子を食べ終わると七瀬さんの希望で卒アルや俺と香澄の小学校の写真の鑑賞会が始まった。


 小学校と中学校の卒アルはいいとして、このご時世にデジタルで撮った写真をきちんとプリントして時系列順にまとめているとはまめな奴だ。


「十文字ヶ丘さんはこの頃可愛いね」


「鳥嶋君、勇気ある発言ね。あとで剣道の稽古するときに相手になってもらおうかしら。もちろん、防具なしでね」


「訂正、この頃もです」


 お菓子作りでいいところをも見せてもすぐにこうやって評価を下げていくところが鳥嶋だ。


 そして、四人での楽しい時間はあっという間に過ぎて時刻は夕刻を迎え本日のお菓子作り会はお開きとなった。


 自宅に戻り、玄関で靴を脱いだところで後ろにいた七瀬さんにお礼を言った。


「お菓子を食べる前はありがとな」


「お菓子を食べる前?」


 こてっと首を傾げる七瀬さん。ちょっと情報が少なかったようだ。


「ほら、お菓子を食べる前に道着を着替えるように言ってくれたろ。あの時、稽古で汗かいていたし、剣道の防具のにおいもしていたから、ああいう風に言ってくれたんだよな」


「あ、えっと、それは……」


「いくら香澄や鳥嶋の前とはいえ、直接臭いなんて俺に言ったら俺が傷つくと思ったからだろ。気を使わせちまったな」


「そんな気を使ったとかではないです。本当に大事な道着がお菓子で汚れてはいけないと思っただけで――」


 あれ、俺の思い違いだった? これってけっこう自意識過剰だったりする?


 自らの自意識過剰発言の恥ずかしさで身体は硬直して顔の温度がどんどん上昇していく。


 七瀬さんは硬直している俺の胸に顔を近づけるとそのまますんすんと俺のにおいを嗅ぎ始めた。息遣いがシャツ一枚を隔てた胸をくすぐるからこそばゆい。


 もし、俺が犬を飼っていて俺のことを今みたいにすんすんしてきたら、わしゃわしゃと撫でまわすのだろうけど、七瀬さんにそれをしては大問題になりかねない。


「あの時も今も私は臭いなんて思ってないですよ」


 すんすんを終えた七瀬さんはそんなに心配することはないよというような笑顔で話す。


「い、今は着替えた時にボディーペーパーで汗拭いたから大丈夫なだけで、あの時は汗かいていたから」


「だから、今はちょっと甘い匂いがするんですね」


 甘い香りはピーチの香りのボディーペーパーを使っているからだろう。


 七瀬さんはボディペーパーの香りの感想を言っているだけなのに、自分からそんな甘い匂いがしているかと思うとちょっと恥ずかしくなる。


 ただそれと同時に俺にすんすんなんてする七瀬さんが心配になる。どうも七瀬さんはガードが甘いというか、距離感が近いところがある。


「七瀬さん、女子同士ならまだしも他の男子にこんなことしたらだめだから。こんなことすれば勘違いして告白してくる男子がいるかもしれないから」


「それって――」


 ピンポーン


 七瀬さんの言葉を遮るように玄関のチャイムが鳴らされた。


 助かったと思いながら、再び靴を履いて玄関ドアを開けるとそこにいたのは香澄だった。


「どうした? 忘れ物でもしてたか」


「ううん、そうじゃなくて。ほら、明日でしょ」


 香澄は視線を斜め下に向けて、口をもごもごさせているという普段あまり見ない様子でいる。


「明日?」


 何か約束していただろうか。それともゲームの発売日で明日の休みはそれを俺の部屋でやりたいということだろうか。それなら、後ろに七瀬さんがいるからそれを知られるのが恥ずかしいという気持ちがわからないでもない。


「自分の誕生日も忘れたの」


「ああ、そうか明日だったな」


「明日は家族でお祝いするかなと思って先に渡しに来たのよ」


 そう言って香澄は手に持っていた紙袋を俺に手渡した。


 去年までは親父が忙しかったりしたからあまり誕生日らしいことをしていなかった。唯一あったとすれば、香澄の家で豪華なご飯をご馳走になっていたぐらいだ。


「そんな気を使わなくてもいいのに」


「それは別にいいのよ。それよりも雅紀が何だったら喜ぶかなと考える方が大変だったんだからね」


「そんなに考えてくれたんなら、今ここで開けていいか」


「うん」


 紙袋に入っていたA5サイズの包みを開けると、そこに入っていたのは俺と香澄が好きな劇団ウルトラエクスプレスの演劇『エルフとサムライ』のブルーレイディスクだった。『エルフとサムライ』は釜茹での刑になった石川五右衛門が異世界転生して、そこで出会ったエルフの美女と冒険を繰り広げる物語だ。劇場で見るライブ感もいいけれど、映像作品だと俳優さんの細かい表情の演技まで観れるところがいい。


「これ、受験の年で行けなかったときに上演したやつだよな」


「そう、雅紀が観に行けなかったって残念がっていたやつよ」


「ありがとう。今度、香澄も一緒に観ようぜ」


「私だけじゃなくて、クロエちゃんも一緒がいいんじゃない。きっと、これを観ればクロエちゃんも私達と同じように沼に堕ちるわ」


 香澄からの誘いに、笑顔で私も観たいですと答えた七瀬さんだが、

「大丈夫か? なんだか顔色がよくないようだけど」


 普段から色白だけど、ちょっと血の気が引いているような様子だ。


「あ、はい、大丈夫です。今日ははしゃぎすぎてちょっと疲れたみたいなので、私は先にあがってますね」


 それだけ言うと、こちらに顔を合わすこともなく階段を駆け上がり自分の部屋へ入って行った。


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