第27話【真剣】十文字ヶ丘家道場にて(前編)
「いやぁぁぁぁあああ、えぇぇぇんやぁぁぁぁ!」
十文字ヶ丘家の武道場に響き渡るのは、なんとも文字に起こしにくいような掛け声、踏み込んだ時に床を蹴る音、ぶつかり合う竹刀の乾いた音。
こちらがいくら手数を出しても的確にそれを受ける
しかし、剣道というものはそれだけで勝敗が決まるものではない。
次はどうしたものか。
竹刀の先までその集中力が伝わっているかのような源隆さんの構えに隙はない。でも、こちらから踏み込んでいかなければ一本は取れない。
「いやぁぁああ」
パーーッン
こちらが踏み込んで打ち込むより先に俺の小手が弾かれた。
速っ!
それまでずっと受けに回るばかりだった〝静〟の状態から一瞬で一本を取りに来る〝動〟への切り替えの速さに圧倒される。
もっとも、俺はここ以外で剣道を習っていたわけではないし、剣道部に所属しているわけでもないから剣道が上手くはない。俺に剣道を教えてくれたのも源隆さんだ。
面を外して、道場の隅に置いていたタオルを取って汗を拭う。
「ほれ、ちゃんと水分も補給しろ」
ミネラルウォーターの入ったペットボトルを持った源隆さんが手渡してくれた。
「ありがとうございます」
「迷いのある太刀筋には隙が生まれる。お前さんはわしの構えを見て、どうしていいかわからなくて、とりあえず踏み込んできた。そういう時の太刀筋には迷いがあるから、すぐにわかる」
「その通りですね。迷いながら闇雲に竹刀を振ろうとしたらやられました」
俺の隣に座る源隆さんはとても六十代後半とは思えないようなしっかりとした筋肉が付いている。もともと武道が好きで、剣道だけでなく柔道や武術太極拳まで多岐にわたって長けていることもあってか、頭髪は薄くなっているが、きりっとした眉に眼光は鋭く、背筋も伸びているから同年代の人よりも若々しさがある。
「もとより、今日のお前さんは全体的に雑だがな。いつもよりも集中力を欠いている気がする。原因はあの子か」
源隆さんはニヤッとしてそれまでの表情を崩すとペットボトルに口を付けた。
七瀬さん、香澄、鳥嶋の三人は母屋の方でお菓子作りをしている。俺は簡単な料理はするがお菓子作りはほとんどやらないので、今日はお菓子ができるまでの間こうやって源隆さんと稽古をしているところだ。
稽古といっても基本動作をしたり、さっきみたいに試合形式をしたりするぐらいで、学校の部活動みたいにみっちり稽古というものではない。
もともと俺がここで剣道や柔道を始めたのは、中学に入っても特に部活動をすることもなく、ふらふらしていた俺に香澄と一緒にいることが多いなら身体も大きしボディーガード代わりになるようにと言われて始めたところだ。
身体を動かすことは嫌いではなかったし、親父も仕事で夜まで帰ってこないので、俺にとって香澄の家は放課後の居場所の一つだった。
「急に親父が再婚するって聞いて、数週間後には一緒に暮らし始めているんです。戸惑いはあります」
「香澄から親父さんが再婚したとも同い年の妹ができたとも聞いてはいたが、えらい可愛い子が妹になったの。さっき、ちらっと見かけたが驚いた」
「可愛いのはいいのですが、何というか妹らしくないというか……」
別に七瀬さんからお兄ちゃんと呼ばれたいだとか、兄を頼って欲しいとかいうものではない。一緒に暮らし始めて一週間ぐらいだけど、距離が近いというか……、いや、家族なのだから距離が近いことは悪くはないのだけど。
「――七瀬さんはしっかりして妹というよりも姉って感じの時もあれば、子供っぽい時もあったり、スーパーにお遣いに行くだけなのに振り回されたりって感じでよくわからないんです」
「ほー、なんだか妹というより彼女みたいだの」
「か、彼女って! 何言ってるんですか。家族なんだからそういう関係にはならないです」
「でも、ぶっちゃけ、どうなんじゃ。あんなに可愛い子と一つ屋根の下で暮らせば気にはなるものじゃろ」
今日の源隆さんは珍しく俺のことを掘下げて聞いてくる。
いつもなら俺のことよりも香澄の学校での様子を聞くことが多い。クラスに馴染めているかとか、変な男が近寄ってきていないかとかという具合だ。俺の知っている範囲では香澄に近づいてくる男はいないのだが、もし、そういう奴がいたとして、俺が実名を挙げたらそいつは源隆さんに消されるのではないかと思ってしまう。
まあ、そのぐらい源隆さんは香澄を溺愛しているというところだ。
「全く気にならないと言ったら嘘になります。でも、今はそういうことよりも今の関係というか家族として七瀬さんのことを大事にしたいって気持ちです」
七瀬さんと一緒にいると自分では制御できないくらい胸が高鳴ることがある。しかし、その気持ちに押し流されてしまうと今の関係は壊れてしまう。一度壊れてしまった家族は、割れてしまったガラス細工のように、前と同じに戻すのは容易ではない。
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