第20話【日常?】登校は悲劇と喜劇(後編)

「――それで、クロエちゃんはどんなお菓子を作るのが得意」


 香澄と七瀬さんは昨日に引き続いてお菓子談義を始めた。


「私はこれが得意というのはないのですが、失敗したくないので、レシピサイトで簡単に作れるって書いてあるものを作るようにしてます」


「でもでも、ああいうのって、簡単とか謳いながら実際作ってみるとなかなか上手くいかないのよね」


 香澄は料理の才能よりもダークマターを作る才能に長けているから、それはレシピが悪いというよりも香澄の料理の腕に問題がある気がする。


「たまにレシピが悪いものもありますから」


「こないだもフィナンシェを作ろうと思ったんだけど、薄力粉が足らなくて天ぷら粉を足したら失敗したのよ」


 レシピのせいじゃない。それにそこでよく天ぷら粉をチョイスしたな。


「ちなみに天ぷら粉で作るとどうなりましたか」


「全然しっとりしなくて、さくさくのクッキーみたいなったわ」


「それはそれで美味しそうですけど、お菓子はレシピのとおり忠実に作ることが大事です。しっかりと分量を量って作らないと上手くいきません」


「うちのシェフも同じようなことを言っていたわ」


「えっ、香澄さんのお家はシェフがいるんですか」


 あのでかい十文字ヶ丘家には何人かのお手伝いさんがいて、料理を専門に担当している人もいる。そのシェフも薄力粉の代わりが天ぷら粉だと聞いてさぞ驚いたことだろう。


「うちは親が仕事でいないことが多いから、お手伝いさんたちが家のことはしてくれているのよね」


「香澄さんって、本当にリアルお嬢様なんですね」


「リアルにお嬢様だけど、お嬢様っぽさは皆無だよな」


 思わず後ろから割って入ってしまった。別に百合の間に割って入るわけじゃないからいいよな。


「私はちゃんとしないといけないときは、ちゃんとお嬢様ムーブしてるわよ。雅紀みたいに年中ラフでいるわけじゃないのっ」


 香澄は俺のネクタイを掴むとそのままぎゅっと締めて、緩めていた首元を優等生のように整えた。


「く、苦じい。そんなきっちり締めなくてもいいんじゃないですか、香澄さん」


「衣替え前のこの時期は服装が乱れるから校門前で百田先生が竹刀構えて待ってるわよ。そんなに生徒指導室せっきょうべやに行きたいの」


「行きたくないです。ありがとうございます」


 ネクタイを掴んで俺を見上げる香澄とは嫌でも近くなる。さすがにこの近さで見られると幼馴染とはいえ少し緊張してしまう。


 香澄は目鼻立ちは整っているし、まつげも長いから黙っていれば美少女だ。シャンプーや化粧品もいいものを使っているのか髪は艶やかで肌も綺麗だし、ほんのりいい香りもする。


 昔は同性のように遊んでいた幼馴染だって、中学や高校に進めば付き合い方も変わってくると思うし、一緒に遊んだりすることだって減るはずだ。


 しかし、香澄は昔と同じように俺の部屋に遊びに来るし、俺のベッドに寝っ転がりながらマンガを読んだりゲームをしたりする。


 そういうことをされてしまうとその後そこで寝る俺は大変だ。俺が横になった時にベッドからあいつのいい香りがしてくるなんて落ち着いて寝られるわけがない。


 だから、そういう日は香澄が帰ったあとにそっとシーツを洗濯して、予備のシーツに変えている。


「今日は朝からお熱いことで」


 背後から甲高い声を掛けられて俺と香澄は同時にそっちを向くと、そこにはわざとらしく口元を手で隠す仕草をする鳥嶋がいた。


 朝から面倒なタイミングで現れるな。


「これは雅紀がだらしないからよ」


「OK、大丈夫。二人がエブリタイム一緒にいることには慣れているから」


 決めポーズのように額に手を当てる鳥嶋。


「お前、香澄の言ってること聞いてないだろ」


 鳥嶋のおかげで香澄へのドキリとした気持ちは風に吹かれたように消えて平常心に戻れた。その点については心の中で礼を言っておく。


「おはようございます。鳥嶋さん」


「おはよう、七瀬さんって。四元! 十文字ヶ丘さんだけじゃなくて七瀬さんまで一緒なのか。前世でどれだけ徳を積めばこんなことができる」


 鳥嶋も香澄とは別意味で朝からテンションが高く、こっちまで唾が飛んでくる勢いで話す。


 みんな何でそんなに月曜の朝から元気なんだ。普通はエンジンかかるまでに半日くらいは必要だろ。


「前世のことなんて知るかよ。一緒に登校してるっていっても七瀬さんと香澄が二人で話していて、俺はその後ろに付いているだけだぞ」


 鳥嶋の考えているような両手に花でハーレムを形成しているような登校風景ではない。


「それでも、いつも一人で登校している僕からすれば十分羨ましい」


 そんな鳥嶋を哀れんだのか七瀬さんが鳥嶋さんも一緒に行きましょうなんて声を掛けると、鳥嶋はすぐにお供させていただきますと言って俺の隣に並び、七瀬さんと香澄に聞こえないように耳打ちした。


「朝から七瀬さんに誘ってもらえるなんて今日は何だかいいことありそう」


 軽くスキップ気味に歩く鳥嶋。


 通学路をそんな風に歩くと横にいる俺まで変な人だと思われるからやめて欲しい。


 まったくまだ学校に着いていないのに午前中の気力をほとんど使ってしまったような気分。今日は一日が長そうだ。


 あと、これはちょっとした余談だが。


 校門まで来ると、そこには香澄が話していたとおり竹刀を持った百田先生が閻魔大王のように待ち構えていた。俺は香澄のおかげで百田に捕まることなく閻魔大王の前を通過したのだが、ネクタイを緩め、シャツも出ていた鳥嶋はきっちり閻魔大王に捕まっていた。


 今日のいいことは七瀬さんに誘ってもらったところまでだったようだ。


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