第15話【悪戯】クロエの仕返し

 香澄はお茶を飲んだ後、先日俺から借りたマンガを返すと、その続きを三冊借りて帰った。


 俺は週明けに提出しないといけない課題を片付け、スマホのゲームをしたり、買ったばかりのラノベを読んだりといつもの週末と同じような過ごし方をしていた。


 ラノベを半分ほど読み進めたところで、微かではあるが美味しそうな匂いが漂ってきた。時間を確認するともう夕方と言っていい時間だ。夏がまだ本格的に始まる前のこの時期は夕方でも明るいからデジタルで示される時刻ほど黄昏時という雰囲気はない。


 美味しそうな匂いは美咲さんが作ってくれている夕食の匂いだろう。七瀬さんが自分よりもずっと美咲さんの方が料理が上手いと話していたから楽しみだ。


 美咲さんがどんな料理を作ってくれているのだろうと考えたところで、俺は今朝から一度も美咲さんに挨拶どころか顔も合わせていないことに気付いた。もちろんこれは俺が昼近くまで寝坊していたことが原因ではある。このあと夕食の時に急に現れてご飯だけ食べるというのはなんだか素っ気ない感じがすると思って、一度キッチンに行って、顔を出すなり、手伝えることがあるなら手伝った方がいいのではと考えた。


 リビングに入ると七瀬さんが親父と並んでテレビを観ている。七瀬さんの肩には力が入っているというか緊張している雰囲気があるし、親父は親父でいつもよりも姿勢よくソファーに座っている。


 昨日の今日だから緊張するのはわかるが二人とももう少しリラックスした方がいいんじゃないか。


 一方、キッチンでは美咲さんが巷で人気のなんとなく小さくてかわいいキャラクターがプリントされたエプロンを付けて手際よく夕食を作っている。


 七瀬さんのエプロンが紺色のシンプルなものだったからそのギャップがすごい。


「美咲さん、何か手伝えることはありますか」


「わざわざ気を使ってくれてありがとう。お手伝いを頼むなら……、そうだ、お手伝いというよりはお遣いになってしまうけど、牛乳とミニトマトを買ってきて欲しいわ」


 牛乳だけならすぐ近くのコンビニで売っているが、ミニトマトもとなるとスーパーまで行った方がいいだろう。


「それならスーパーまで行ってきますね。もし他に買う物があればついでに買って来ますから教えてください」


「そうね。それならついでにお醤油もなくなりそうだからお願いしようかしら――」


 美咲さんは調味料の入っている棚を確認しながら追加オーダーを出した。


 牛乳に醬油とは重い物を重ねてくる。けど、自転車で行けば関係ないか。


「それとせっかくスーパーに行くならクロエも一緒に連れて行ってくれないかしら。まだ、このあたりの地理に詳しくないと思うから」


 最後の追加オーダーによって自転車で買いに行くことは中止となった。我が家には自転車が一台しかない。でも、スーパーまでは歩いても一〇分弱の道のりだから特別遠いということもない。


「ということですので、雅紀君、道案内お願いします」


 振り返るとさっきまでソファーに座っていた七瀬さんが俺の後ろに立って敬礼のポーズをしている。


 夕食の時間も近いと思うので買い物袋と財布を持つとすぐに七瀬さんと一緒に家を出た。ちなみに、服は香澄が帰った後にちゃんと着替えたのでよれたTシャツではない。


 駅前にあるスーパーに着くと、まずは野菜売り場でミニトマトをかごに入れたのだが、何となくいつもと違う雰囲気を感じた。


「雅紀君、どうかしましたか」

「なんだろう。何かいつもと違うような」


 もちろん、売られている商品はいつもと同じだ。どうしてだろうと思って周りを見渡してその原因がすぐにわかった。


 七瀬さんが隣にいるからだ。


 俺が一人で買い物をしていても俺のことを見る人なんて誰もいない。


 でも、今日は七瀬さんが隣にいる。長袖のTシャツにライトブルーのジーンズというラフな服装であるがTシャツがタイトなものなので七瀬さんのボディラインがしっかりと出ているし、何より二度見どころではなく三度見はしたくなる可愛らしさがある。


 俺と手をつないだり腕を組んだりしているわけではないが、ピッタリ横に着いて移動するので七瀬さんに飛んでくる視線は自然と俺の方にも飛んでくるわけだ。


「七瀬さんって街中で視線とか感じる?」


「小さい頃から髪色が他の子と違うので見られているなとは感じます。でも、いつものことなので今はあまり気にしません」


「俺は普段は全然見られてるって感じないけど、今は周りの視線を感じる気がして……」


 自意識過剰と言われるかもしれない。ただ、一人でコンビニに行っても感じないようなものを感じる気がする。


「あの……、たぶんなのですが、雅紀君のズボンのチャックが開いているからではないでしょうか」


「えぇぇっ!?」


 そっちで注目を浴びていたのか! チャックが開いていることも恥ずかしいが、自分に向けられている視線を七瀬さんに向けられているものだと勘違いして話していたことで二重に恥ずかしが込み上げる。


 すぐに買い物かごを持っていない方の手でズボンのチャックを確認すると……、閉まってる……?


 あれ? どういうことだろう。七瀬さんは開いているって言っていたのに。


 訳が分からず横にいる七瀬さんに視線を落とすと、


「すいません。雅紀君のズボンのチャックが開いているというのは噓です」


 笑いを堪えるように口に手を当てて身体を前かがみにしている七瀬さんがいる。


 やられた。こんな小学生がやるようないたずらを七瀬さんがするなんて思わなかった。チャックが開いていなかったことはよかったが、慌てて閉まっているか確認している姿を見られたことはそれはそれで恥ずかしいというものだ。


「どうして、そんな嘘を?」


 七瀬さんは口に当てていた手を降ろすとぺろっと舌を出して答える。


「これは雅紀君へのちょっとした仕返しです」


 仕返しって、俺は何か七瀬さんを怒らせるようなことをしたのだろうか。


「思い当たる節がないんだけど。俺また何かした?」


「何かしたというか……、雅紀君はいろいろ罪な人ということです」


 それって今後も俺が知らないうちに何かをやらかすと、その度にこういうお仕置きというか罰ゲームのようなものがあるってことか。


 どうやら本格的に言動に気を付けた方がいいのかもしれない。


 七瀬さんは俺の横から前へと出ると、売り場の奥へ進みながら振り返って言った。


「さあ、雅紀君、残りの買い物を済ませましょう。あとは牛乳とお醤油です」


 そっちの売場には牛乳もお醬油もないと思って急いで七瀬さんの後を追いかけた。


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