第12話【美味】義妹の作ったランチはプライスレス
洗面所で一応顔だけは洗ったけど、着ている服は寝ている時に着ていたゆるいTシャツのままだ。同級生の女の子と一緒に暮らすようになったからといって、休みの日に自分の家で少々だらしのない格好でいても問題はないだろう。
ただ、これからはお風呂上がりに暑いからといってパンツ一丁でいるのはさすがに控えることにする。
リビングを通ってダイニングまで来たが親父と美咲さん姿はなく、代わりに香ばしい美味しそうな香りが広がっている。キッチンでは紺色のエプロンに身を包んだ七瀬さんが何やら調理中だ。
「七瀬さん、親父と美咲さんは外出?」
対面式のキッチンカウンター越しに問い掛けると、七瀬さんは調理の手を一度止めて顔を上げた。
「お母さんとおじさんなら新生活を始めるのに欲しい物がいろいろあるからということで、新宿に買い物に行きました」
「なるほど、新宿で買い物デートってわけか」
「いいんじゃないですか。せっかく結婚して一緒に住むようになっても私たちがいるからあまり新婚らしくないというか、いちゃいちゃできないですから」
七瀬さんからいちゃいちゃという単語が出てきたことが普段学校で見る彼女の言動からは想像できないものだったので、思わず笑いが込み上げてきた。
俺が急に笑ったものだから七瀬さんは驚いた表情になると同時に顔が上気して、
「な、なんで、急に笑うんですか。私、変なこと言いました?」
「ううん、別に変なことは言ってないけど、七瀬さんもいちゃいちゃなんて言葉使うんだって思ってさ。だって、学校じゃそんなことを言うイメージないから」
「それは学校ではそういう話をしないだけで。いちゃいちゃくらい普通に使いますよ」
俺が笑った理由を聞くと驚いた表情から一転して、口を尖らして不満な表情になった。あまりにもころころと変わる表情は見ていて飽きないが、それを言うと怒られそうなので心に留めておくことにする。
「悪い悪い。七瀬さんとは去年から同じクラスだけど、あまり話すことがなかったから、
「四元君は十文字ヶ丘さんと鳥嶋さんと仲がいいですよね。さあ、お昼ご飯ができました。冷めないうちに食べましょう」
そう言うと、七瀬さんはホットサンドが盛られた皿を渡してくれた。俺はそれをテーブルに置くと、せめてもの手伝いとして二人分のコップに作り置きの麦茶を注いだ。
食べやすいように切られたホットサンドの断面からはふわりと焼かれた卵と厚切りのベーコン、レタスとトマトが顔を覗かせ色合いも綺麗だ。
「「いただきます」」
はむっと大きな口を開けてかぶりつく。ベーコンの塩分と旨味が卵や野菜と絡み合って美味い。普段俺が使っているのと同じキッチンを使っているはずなのにどうしてこうも美味しく作れるのだろう。
「やっぱり、七瀬さんの作った料理は美味い。卵の焼き加減もちょうどいい」
「褒めすぎです。ホットサンドくらいなら誰が作っても簡単に美味しく作れますよ」
七瀬さんはホットサンドをくわえながら上目づかいでこちらを見る。その姿はさっき夢の中で見た姿とは違い、思わず撫でたくなる子猫みたいだ。
「そんなことはない。俺が作ったんじゃ、卵はこんなにふんわりとならない」
「卵は四元君でも何度か練習すればふんわりできると思います。私の料理の腕なんてお母さんに比べれば大したことはありませんが、四元君から毎日でも食べたいって言われたのはとても嬉しかったです」
ニヘヘというような笑みを浮かべながら話す七瀬さんを見て、無意識とはいえ七瀬さんの料理を毎日食べたいと言った自分が思い出されて恥ずかしさが込み上げてくる。
あの時は特に何も考えずに率直な気持ちを言葉にした。だから、その言葉を取り消したり訂正したいとは思わない。
ただ、俺の言葉が自分が考えていたのとは違う方向で七瀬さんに受け止められていたのは想定外だったけど……。
そんな俺の心を見透かしたかのように七瀬さんが続けた。
「私、わかってますよ。LIMEで『俺と一緒に幸せになろう』と送ってくれたこともお弁当を一緒に食べた時に『こんなに美味しいと料理なら毎日でも食べたいな』と言ってくれたこともきのうの夜の言葉だって、四元君が特別意識して言ったものじゃないってことぐらいは」
「えっと、その……、ごめん。LIMEのメッセージは勘違いされると思っていたんだけど、ちゃんと言い出せなかったし、他の言葉は全然無意識に言ってしまって」
「ううん、無意識でも嬉しいですよ。さあさあ、冷めないうちにどんどん食べてください」
ありがとうと言ってから食べたホットサンドサンドは最初の一口よりも優しい味がした。
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