第9話【愕然】無意識に義妹を口説いてました

 なんだか、お寿司の量以上にお腹がいっぱいな気がする。


 自分の部屋のベッドに仰向けに寝転がりながらゆっくりと呼吸をして心とお腹の中を落ち着かせる。


 たかだか女の子の名前を呼ぶくらいでそんなにドキドキしてどうする。たしかに七瀬さんは可愛い。でも、これから家族として、義兄妹きょうだいとして一緒に暮らしていくのだからいちいちドキドキしていたら身が持たない。


 これまでの人生における恋愛経験値の低さを呪うがどうしようもない。


 とりあえずは、七瀬さんと一緒に生活することに早く慣れるしかないというところだろう。


 コンコン


 部屋の扉が軽やかなリズムでノックされた。


「四元君、今、少しお話しできますか」


 予想していなかった七瀬さんの突然の訪問に驚きながら起き上がって、見られて不味いものはないかと部屋の中を一瞥してからどうぞと返事をした。


「お邪魔します」

「そんなにかしこまらないで」


 扉を閉めながら俺の部屋を見渡している七瀬さんの視線を追ってしまう。


「男の子の部屋ってもっとごちゃごちゃしているイメージがあったのですが、四元君の部屋は綺麗で整頓されていますね」


「まあ、多少はな」


 七瀬さん達が引越して来るにあたり、家中の不用品を処分したのだが、その時に俺の部屋も大掃除をしていて助かった。


 ベッドに腰掛けている俺は七瀬さんを勉強机用の椅子に座るように促した。


 さすがにベッドに二人並んで座るのはまずい。


「呼び方元に戻した?」


「さっきのはお母さんがあんなふうに言ったからで……。学校では四元君って呼んでいるのに急に名前で呼ぶのは、やはり慣れないというか、恥ずかしいというか」


「だな。俺もすごく恥ずかしかったから」


「でも、お母さんの気持ちもわからなくはないです。きっと、私と四元君が早く打ち解けて欲しいと思ったのだと思います。小さな子供同士なら一緒に遊んだりしながらすぐに仲良くなれるのかもしれませんが、高校生にもなるとそうはいきません」


 七瀬さんの言うことは一理ある。


 引越しの片づけをしている時の親父と美咲さんはとても仲睦まじい様子だった。そこに俺と七瀬さんが加わった時に俺たちの間にすごく距離があると家族としていびつな気がする。


「だから、まずはお母さんやおじさんの前だけでも名前で呼び合えたらいいかなと思います」


「そうだな。最初はそんなもんでいいんじゃないか。急に一緒の家で生活を始めて、今日から家族ですなんて言われたってすぐに上手くいくわけないからな。これから一緒に暮らしていれば腹の立つこともあると思うけど、そういうことも含めて楽しいとか幸せだなって思えるようになりたいな」


「ま、また、そんなことを言って……」


 七瀬さんは膝の上に置いた拳をきつく結んで、顔を俯かせてしまった。


 あれ? 何か変なことを言っただろうか。


 生活様式が違う家族が一緒に暮らすのだから最初はうまく嚙み合わなくて、腹の立つこともあるかもしれないと思って先に言っておいたのだけどまずかったか。


「七瀬さん、俺、変なこと言ったかな」


「どうして、名前を呼ぶのは恥ずかしと思うのにそういうことはさらっと言うのですか」


「そういうこと?」


「そうです。LIMEのメッセージやこないだ一緒にお弁当を食べた時もです」


 どうしよう。全く何のことを言っているのかわからない。もしかして、気付かないところで何かのハラスメントをしていたのだろうか。


「えっと、俺が無意識に七瀬さんの嫌なことをしていたのならごめん」


 七瀬さんは立ち上がるといつもクラスの女子に可愛がられている時の子猫のような雰囲気から、同じネコ科でもひょうとか虎のような捕食者の雰囲気に変わり、俺はその蠱惑的な眼差しで見つめられて目をそらすことができない。


 彼女が一歩近づくと、俺はベッドに手を着いて身体を後ろに反らせて距離を保とうとした。


「やっぱり、気づいていなかったのですね」


 七瀬さんはベッドに手を着き、俺との距離をさらに縮めてくるが、こちらはこれ以上身体を反らせない角度になっている。


「あ、あの七瀬さん、もしかして、怒ってますか」


「そんなことありません。ただ、四元君は罪な人だと思っているだけです。私も一応年頃の女の子ですから、一緒に幸せになろうとか言われますと……」


 俺は七瀬さんの言葉を聞いて自分が勘違いをしていることにやっと気が付いた。


 やっぱり、七瀬さんはあのメッセージをプロポーズの言葉として受取っていた。そう気付いた瞬間にお弁当を一緒に食べた時のこと、今話したことが走馬灯のように駆け巡った。


『俺と一緒に幸せになろう』

『こんなに美味しい料理なら毎日でも食べたいな』

『腹の立つこともあると思うけど、そういうことも含めて楽しいとか幸せだなって思える』


 プロポーズに使うような言葉を言いまくってる!


 そのことに気付いた時には七瀬さんの顔が拳ひとつくらいにまで近づいていた。


 一気に名前を呼んだ時よりも顔が上気して、心臓が跳ねだす。


 呼吸の仕方がわからない。


「あ、あれは、その無意識というか――」


「では、四元君は誰にでも無意識にあのようなことを言ったりするのですか」


「ないない。言わないし、言う相手もいない」


「いないですか……。私はあのメッセージを受取った時になんて返事をすればいいかわかりませんでした。だから、四元君のことをもっと知りたくてお弁当に誘ったんです」


 あの時はお礼だって言っていたけれど、本当の目的はそれだったのか。


「まさかお弁当を食べながらあんな言葉が飛び出すとは思いませんでした」


「あれはお弁当が本当に美味しかったから言っただけで」


「でも、そうやって素直に言ってくれることが嬉しかったです。だから、私も一緒に幸せになろうという言葉に素直に返事をしたいと思います」


 七瀬さんとの距離はさらに縮まり俺はついに目を瞑ってしまった。


 しかし、俺と七瀬さんの距離がゼロになることはなく、代わりに耳が七瀬さんの吐息交じりの声にくすぐられる。


「不束者ではありますが、これから末永くよろしくお願いします」


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